紋谷のソコヂカラ

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にっぱち道[紋谷のソコヂカラ]

投稿日時:2009/04/04(土) 22:30

昭和56年渋谷「にっぱち」は一大ヴームを巻き起こした。
この「悪魔のゲーム」とも言われ、以後、公の場から姿を消した、
幻のトランプゲームは、当時、東急文化会館の裏にあった
喫茶店PATIOで、誕生したと言われている。



しかし、実際にはこのゲームが、いつ、
誰によって考案されたのかは、謎である。
 
一説には、辛亥革命の時代の中国、上海に在住していたイギリス人が、
その発案者とも言われているが、それはこのゲームが、
“麻雀の要素を取り入れているトランプゲーム”であるということと、
当時、魔窟と言われた上海に在留するヨーロッパ人が、
自分達の興じるギャンブルを求めていたことに由来する。
 
ゲームそのものは、誠に単純ながら…その奥深さは、人を惑わせ、
あまりの面白さに、人は溺れてゆく…
それが悪魔のゲーム、または、
サタンのゲーム…といわれ、封印された所以であろう。
 
まずは、手元に5枚のカードを配り、
1枚を場に(オモテにして)置く、
残りは山にして、これも場に置く。
順番は時計回りに進行する。

プレーヤーは場にあるカードと
「同じ数字もしくは同じマークのカード」を捨てることができ、
早く手持ちのカードがなくなったものが勝利者となる。
 
…とここまでは …そう…UNOの単純版である。
※UNOの場合、まだゲームは続くが、
にっぱちは、ひとり上がって1回終了である。

にっぱちは数字の2と8を意味し、
この2枚は、ゲームの進行に特別の役割を持つ。

8はオールマイティーのカード、数字、
マークに関係なく場に捨てることが出来る上に、
捨てるものは次のプレーヤーにマークの指定が出来る。

2が捨てられた場合、次のプレーヤーは2しか出すことが出来ない。
…手持ちにない場合は、山より新たに2枚引く羽目になり、
仮に重ねて2を出されたらその次のプレーヤーは、
4枚引かなければならない…という嫌がらせのカードである。
 
…なんだ、それもUNOみたいじゃないか? 
と思われることと思う。

これだけなら、「悪魔のゲーム」などとは言われはしない。
面白いのは、にっぱちには、「どっちん!」があるということである。
 
どっちんとは、誰かが、カードを捨てる…その瞬間、
自分の手持ちのカードの数字の合計が、
その捨てられたカードの数字になる場合、
「どっちん!!」と宣言して、ゲームは終了、
勝者となる。

たとえば、自分の手持ちが
 
2 3 5
 
の3枚だったとしよう。 

誰かが、場に10を捨てた…その瞬間に「どっちん!!」
を宣言でき、勝者となる。
 
また、さらにどっちんには「返し」というものが存在する。
上の例で説明すると…
10を捨てたプレーヤーの残りの手持ちカードの
数字の合計がポイントで、
 
たとえば 
10を捨てたプレーヤーの残りの手持ちの数字の合計が10の場合、
どっちんを宣言したプレーヤーに「返し!」と宣言することができ、
逆転勝利を勝ち得るのである。
 
この返し技こそが、にっぱち最大の美学であり、
プレーヤーが目指す至福の極みともいえる。

つまり、にっぱちにおいて、冒頭書いた、
手持ちの札を順番に捨てて行き…無くす 
という行為は意味を成さない。

もっといえば、それで勝ちを得てたプレーヤーは、
「ションベンタレ(関西弁のへタレの意)と揶揄される。
また、「2を捨てる」この行為も同様に、
「ションベンタレ」=場をダメにする行為と見なされ、
上級者同士の対戦で、こんなことをしようものなら…
永久追放となる。
 
また、このゲームは、ギャンブルであり、
他のプレーヤーいかにマイナスにして、
自分がプラスになるかを競うことが本来で、
そのための点数は、ゲーム終了時の持ちカードで決定する。

どっちんによってゲームが終了した場合、
①どっちんしたものが勝者で、場の点数を総取りすることができる。
  (これは普通に誰かが手持ちのカードを捨てきって勝利した場合も同様)
 
②どっちんをした者、された者、その両名以外のプレーヤーは
 単純に手持ちのカードの数を合計(端数は取捨五入)し、
 それを2倍にした数字をマイナスとして申告する。
 
③合計する場合…8は20と数える
 (特別な役割のカードであるため価値が高い)
  また、JQKの絵札は共通して10と数える
  手持ちに2がある場合、
  合計×2から更に枚数に応じて倍×倍とする。
 
④どっちんされたプレーヤーは、どっちんした者の手持ちのカード
 も含め合計、自分のマイナスとして、計算しなければならない
 
 たとえば…Kをどっちんされ、
 手持ちに2 2 8 Q の4枚の手札があるとする。
 相手(どっちんしたプレーヤー)の手札の合計は…13
 …その内訳が5 8 だったとする。
 合計しなければならないカードはK 2 2 8 Q 5 8の7枚。
 69を四捨五入して70 
 これをまず倍にして140 
 2が2枚あるので 更に×倍×倍で560 となる。
 
 いかに他のプレーヤーにカードを残して終了させるかが、
このギャンブルの醍醐味なのである。
 
また、このゲームは高速で進行する。
長考は許されず、もたもたしているプレーヤーは、
やはり上級者の場には入ることが出来ない。
プレーヤーは、配られたカードを見て、瞬時に戦略を練る。
 
具体的な戦略はさまざまあるが、この場では書かない。
それはプレーやが自分で見つけるものだからだ。
 
「いかに相手がカードを捨てられないように、
 その場をコントロールするか」

「どっちんをするための手作りを、
 手札と新たにやってきたカードで瞬時に判断する」

このあたりは麻雀に通じるものがあります。
 
プレーヤーは、あくまでどっちんを狙い、返し技に固執する、
そこにこのゲームの精神…「どっちん道」が宿っている。
 
どっちんという、ゲームはその魔力ゆえに封印されたと言ったが、
ルールを伝え、精神を伝承する者は存在する。
 
それが「にっぱち 正規伝道者」であり、
かく言うわたしもそのひとりであります。
 
わたしは、昭和56年の渋谷で、まさにこのにっぱちヴームを体験し、
苦難の連続を経て、その4年後、
帝王(にっぱち最高の位)より「伝道者の称号」を頂いた。
 
苦難とは大げさだが、上記のようなゲームの進行の中、
ぺいぺいの私は、プレーをしながら…常に書記をやらされた。
諸先輩のマイナスの申告を聞き取り、回数ごとに合計して、
リアルな数字を出し続ける…単純な作業だが、

「もんや いま おれ いくら マイナス?」 

この質問に即座に答えないと…怒鳴られる。
従って、「後で、計算します」などとは口が裂けてもいえない。
 
1回の集計を急がないと、もう、次の手札が配られていて、
もたもたしていると「遅い!!」と怒鳴られる。
まるで、負けているのがわたしのせいの如しだった。
 
その書記業務は…結局4年間続いた。
それでも、負けないプレーヤーでいられたことは、
僕がこのゲームに向いていたのであろう。
 
当時の、話を書くといくらスペースがあっても終わらないので、
またいつかの機会に。
 
とはいえ、あれから28年が過ぎ… 
このゲームをやることもなくなってしまった。
 
誰か興味があったら、いっしょにやりましょう。
 
 にっぱちは 4人でやるがよい。
3人は なおよい。
2人では 終わらず。
5人ではつまらず。



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