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紋谷のソコヂカラ
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屁理屈礼賛[紋谷のソコヂカラ]
投稿日時:2011/05/05(木) 15:03
「時間を大切に…」
ここ数年、このあたりまえのことに、こだわっている。
あたりまえすぎて、日常の行動に活かしずらい
そう、あまりに当たり前すぎて…。、
「これって意味あるの?」
こう自問することで
行動の取捨選択は分かりやすくなる。
何事も単純化できるかにかかっているのだ。
単純化できないことも多いし、
また、意味があろうがなかろうが
やらなきゃならないこともある
…むしろそんなことばかりだ。
がしかし、
ほんとうにそうだろうか?
「意味がないように感じたのなら
あるようにする術はないのか?」
こう考えてから“はじめること” “ことを起すこと”に
こだわっている時間には…意味がある。
こだわってみて
それでも うーん 無意味だ…と思うなら
思い切ってやらない
そちらが正しい。
まあ それくらいちっちゃなことに、
こだわるだけでも、意外に日常の無駄は解消できる。
ここ数年そういう意味ではいろいろスリムになった。
今までが、いかに適当になんとなく
「昨日の次が今日で 明日は今日の先にある」
という緩やかな怠惰のもとで
生きていたのかと思えたりする。
…なんと理屈っぽい(笑)
GWに帰省してわが実弟と話すと…
嗚呼!もんや兄弟の
なんと理屈の多いことか。
弟の嫁さんのまた始まった…
という横顔を見るにつけ、
嗚呼! 確かに
われわれ兄弟の会話の理屈の多いことか。
そもそも父親のせいには違いない。
物ごころつくぐらいから
理屈の中で暮していた気がする。
もういま思い返すと それは屁理屈だろう…
というようなことも
理屈となって、刷り込まれていた。
「お誕生日おめでとう 今夜は豚の丸焼きを食べよう」
「?? …これって 豚の丸焼きなの?」
「そうだよ 美味しいだろう」
「美味しいけど この 細長いのはなに?」
「それは 豚のおちんちんだよ」
「ええっ! おちんちんなの?… こっちは?」
「それは足に決まっているじゃないか?」
「ええっ!? 豚は足よりおちんちんの方が 長いの?」
「そうだよ」
それはただの鳥の丸焼きであり、
その長細い部位は、おちんちんなどではなく
ただの“首”なのですが、
小学校をあがるまで
僕は あの長いものを
豚のおちんちんだと信じていた。
中学になり
「父さん 嘘をついたね
あれはただの鳥肉じゃないか!?」
と、父親に指摘すると、
「すぐ答えが分かるのは、冗談であり、
分からないのが 嘘である。
それがわからないのは、長男よ
お前が未熟なだけなんだ。
わたしは単なる冗談を言ったまでで、
嘘などついていない」
と怒られた。
完全に 屁理屈である。
ちなみに、この歳になる今でも
クリスマスに七面鳥の丸焼きなどを見ると
一瞬、長い首がおちんちんに思えてしまう。
「どうして シェーンはどこかに行っちゃうの?
悪者をやっつけたんだから
いっしょに暮せばいいじゃん?」
「シェーンにはあの山のむこうに家族がいるんだよ。
だからそこに帰んなきゃならないのさ」
「ええっ~!? 家族がいるの?
ふーん。でもさあ、家族がいるのに
この女の人を助けたの…なんかへんなの?」
「じゃあ 助けない方がよかったと思うのか?」
「そうは思わないけど…
可哀想じゃん いなくなったらさあ」
「シェーンはもう死んでいるんだよ あの馬の上で…
ほら 手をだらんと伸ばしてただろ 」
「ええっ!!
死んでいるの!?
死んでいるのに…??」
「それでも帰るんだよわが家に男だから
この西部劇は 男はわが家が一番って話しなんだよ」
翌日 学校で担任の先生と
お弁当食べながら シェーンの話しになった。
「シェーンは家に残した奥さんのもとに帰るんだよ」
というと…訳が分からないという顔になり?
「それは 間違いだと思うよ。
シェーンは自分がいてはいけないと決めて
その信じる心に従っただけだよ」
と言われたので
帰ってその話を父親にすると
「おまえの担任は独身だからな。
まだ わからないんだよ。
男はとにかくわが家に帰る
撃たれても なんでも
死んでも帰る。
そういうもんだ」
こうなると これはもう屁理屈ですらなく
単なる曲解の押しつけでしかなく、
いいのかそういう教育で
…といえなくもないのだが、
…「撃たれても帰る」って
なんだかかっこいいなあ
…と思わないでもなく
そうやって僕の価値観は出来あがっていった。
なんにしても
「理屈を語ることは大切で
そこに本質が見えてくる」
こういうことを小さいころから
なんだか毎日していた。
学生時代
映画が三度の飯より…
の類の先輩と映画談議に。
「シェーンのラスト さあ
…どこがラストシーンか覚えてるか?」
と先輩。
友人A
「シェーンカンバック~でしょ
草原を去るシーン 有名じゃないですか」
友人B
「違う 違う 甘いね…
その後 馬が駆け上がる山の上のシーン
あそこがラストだよ 」
そして先輩
「駆け上がった 山の向こう側に
遠くの方に墓地が見える
その墓地は シェーンが今まで
ガンマンとして葬った数々の悪人が眠っている
そんな墓地が ちらっと映るんだよ …」
A B
「ええっ~ そうなんですか?」
「そうそう もうあの時点でシェーンは死んでいるからね。
そういうことも墓地で示唆したんだよね」
AB 「へえ~」
映画好きには有名なエピソード
「シェーンのラスト」僕は知っていた。
尾ひれがついた伝説のようなもの。
ラストの去り際があまりに美しいがゆえに
こういうエピソードがついたのですが、
でも、その時 僕は思い出していた。
「あの山の向こうにあるのは
墓地じゃないんです…
あれはシェーンのわが家、
そこに家族が待っているんですよ」
先輩
「?? なんじゃそれ 」
「あの映画は 男は撃たれても家に帰る
そういうもんだ
愛する女が出来てしまっても
自分を待つ家族のもとに帰らなきゃ…
ってそういう話しなんです」
先輩
「そうなのか? そうなんだ
…へえ~」
すぐわかるのが冗談
わからないのが嘘なら…
これはもう嘘の部類に違いないが
そう感じることが本質であれば
それでよいのだろう。
家族がいるのに
ほかの女性に惚れてしまい
苦労している男性はこの世に多いとは思うが、
昔見た映画を見直して観ると言うのも手である。
苦労していないならどうでもよいが… 。
理屈好きの父親は
齢七十九にして健在であります。
「たかし(弟の名)が買った
あの 四角い やつはなんて言ったかなあ?」
「あい ぱっど だよ 最新のモデルだね」
「あ い ぱっど
…ふーん 何度聞いても覚えんなあ~
2ってことは3も4も出るってことだな 」
「最近は、そういう商売が主流だからね。
いったん入り込むと その商品から抜けられないような仕組み
…でも、僕は本屋をさ迷うのが趣味だから、
あれで本を読む気にはなれないなあ 」
「それはおまえの理屈だろ。
4とかになれば、さ迷いたくなるかもしれない。
よいわるいじゃなくて
そうなるってことでしかないよ」
「そうなんだろうけど…」
「いまは読める本の数も少ないんだろうけど
…それは今だけのことで
いまにああいう機械で本を読むことが
普通になるだけのことさ 」
「あの中の本屋でさ迷うのはどうも抵抗がある」
「…とにかくそうなる
文句を言っても仕方ない
世の中は便利な方に流れるしかないんだから」
「便利で失うこともある」
「だから失うと感じるのは
お前の理屈で…
そういう理屈はこねていても仕方がない
4を手に取る人の問題 」
いい歳をした息子が
もっといい歳をした父親に
諭される内容としては
あまりに当たり前すぎる会話ですが、
こういう会話がもんや家の会話であり
こういう会話も 親孝行なのだと
あえて、してしまう 。
そして こういう会話は
いつかなにかを考えるヒントになる。
口にしないでわかった顔をしていることでも、
誰かと話してみると 自分がほんとうは
どう感じているのか
相手はどう感じているのか
その根っこが分かる。
その根っこは本質で
…いつかなにかの役にたつ。
近い将来、僕に
“iPAD4”のセールスプロモーションの
依頼が来るかもしれない
…どうやったら高齢者が手に取るか
なんて話が…
そう言う時に 役に立つ
…くればの話だ(笑)
もし来ても断ると思うが
…くればの話だ(笑)
◆◆◆
村のお寺の「茅葺屋根造り」に駆り出された。
正確には 母が出ることになっていたのだが、
母の日に孝行も出来ないから…と自ら買って出た
(結局 母親も参加して孝行もへったくれもなくなったのだが)
朝の8時から午後の4時近くまで
休憩をはさみながら…大量の茅と格闘した。
こんなに小さな寺の門にこんな大量の茅が乗るのか…
ってくらいの量であります。
村の各組から当番が参加しての作業
僕と母以外はみんなおっさんやおじいさん
若きおっさま(ご住職)も参加した
…茅葺屋根造りははじめての人ばかり、
それでも畑仕事で何十年も生きてきたおっさん達は逞しい
段取りもよく動きも軽快。
負けてたまるかと ひたすら茅を運び
束ね ザクザクと切り また運ぶ …
体中がぐわぐわになった。
ザクザク切る道具は、昔からあるデカイ包丁
(名前を聞いたが忘れてしまった)
村の○○さんの家に眠っていたのを借りてきたらしい。
田舎は神仏一体の文化 お盆はお寺、
お祭りはお宮さん(神社)、
正月はお寺とお宮さん、
日々の暮らしや行事も
お寺とお宮さんは密接に関わっている。
とくにお墓のあるお寺の行事となると
村の結束は高い。
こんな小さな門で
こんなに大変なんだから
白川郷は…ありえない
などと思う
「見るとやるとじゃ違うねェ~」
とおっさんの声に、確かに…
とヘロヘロになりながら頷き、
茅と格闘した。
門の屋根に竹で土台を汲み
その上にまず“葦”を敷く
そして大量の茅の束を隙間なく
みっしりと積み上げてゆくらしい。
でもわれわれ素人の作業は
その茅の束を作るところまで
あとは任せることとなり、作業終了。
最後に記念撮影に混じった。
夏の帰省では完成している姿が見られる。
楽しみであります。
はじめに 意味があるかどうかはわからず
参加してみたが やり終えた今は
「意味があった」と思える。
こういうこともある。
考える前に動いたからといって
時間を無駄にしたわけではい。
一生懸命に それだけで意味があるということなのでしょう。
…久しく忘れていた。
(寺門と若きおっさま)
ここ数年、このあたりまえのことに、こだわっている。
あたりまえすぎて、日常の行動に活かしずらい
そう、あまりに当たり前すぎて…。、
「これって意味あるの?」
こう自問することで
行動の取捨選択は分かりやすくなる。
何事も単純化できるかにかかっているのだ。
単純化できないことも多いし、
また、意味があろうがなかろうが
やらなきゃならないこともある
…むしろそんなことばかりだ。
がしかし、
ほんとうにそうだろうか?
「意味がないように感じたのなら
あるようにする術はないのか?」
こう考えてから“はじめること” “ことを起すこと”に
こだわっている時間には…意味がある。
こだわってみて
それでも うーん 無意味だ…と思うなら
思い切ってやらない
そちらが正しい。
まあ それくらいちっちゃなことに、
こだわるだけでも、意外に日常の無駄は解消できる。
ここ数年そういう意味ではいろいろスリムになった。
今までが、いかに適当になんとなく
「昨日の次が今日で 明日は今日の先にある」
という緩やかな怠惰のもとで
生きていたのかと思えたりする。
…なんと理屈っぽい(笑)
GWに帰省してわが実弟と話すと…
嗚呼!もんや兄弟の
なんと理屈の多いことか。
弟の嫁さんのまた始まった…
という横顔を見るにつけ、
嗚呼! 確かに
われわれ兄弟の会話の理屈の多いことか。
そもそも父親のせいには違いない。
物ごころつくぐらいから
理屈の中で暮していた気がする。
もういま思い返すと それは屁理屈だろう…
というようなことも
理屈となって、刷り込まれていた。
「お誕生日おめでとう 今夜は豚の丸焼きを食べよう」
「?? …これって 豚の丸焼きなの?」
「そうだよ 美味しいだろう」
「美味しいけど この 細長いのはなに?」
「それは 豚のおちんちんだよ」
「ええっ! おちんちんなの?… こっちは?」
「それは足に決まっているじゃないか?」
「ええっ!? 豚は足よりおちんちんの方が 長いの?」
「そうだよ」
それはただの鳥の丸焼きであり、
その長細い部位は、おちんちんなどではなく
ただの“首”なのですが、
小学校をあがるまで
僕は あの長いものを
豚のおちんちんだと信じていた。
中学になり
「父さん 嘘をついたね
あれはただの鳥肉じゃないか!?」
と、父親に指摘すると、
「すぐ答えが分かるのは、冗談であり、
分からないのが 嘘である。
それがわからないのは、長男よ
お前が未熟なだけなんだ。
わたしは単なる冗談を言ったまでで、
嘘などついていない」
と怒られた。
完全に 屁理屈である。
ちなみに、この歳になる今でも
クリスマスに七面鳥の丸焼きなどを見ると
一瞬、長い首がおちんちんに思えてしまう。
「どうして シェーンはどこかに行っちゃうの?
悪者をやっつけたんだから
いっしょに暮せばいいじゃん?」
「シェーンにはあの山のむこうに家族がいるんだよ。
だからそこに帰んなきゃならないのさ」
「ええっ~!? 家族がいるの?
ふーん。でもさあ、家族がいるのに
この女の人を助けたの…なんかへんなの?」
「じゃあ 助けない方がよかったと思うのか?」
「そうは思わないけど…
可哀想じゃん いなくなったらさあ」
「シェーンはもう死んでいるんだよ あの馬の上で…
ほら 手をだらんと伸ばしてただろ 」
「ええっ!!
死んでいるの!?
死んでいるのに…??」
「それでも帰るんだよわが家に男だから
この西部劇は 男はわが家が一番って話しなんだよ」
翌日 学校で担任の先生と
お弁当食べながら シェーンの話しになった。
「シェーンは家に残した奥さんのもとに帰るんだよ」
というと…訳が分からないという顔になり?
「それは 間違いだと思うよ。
シェーンは自分がいてはいけないと決めて
その信じる心に従っただけだよ」
と言われたので
帰ってその話を父親にすると
「おまえの担任は独身だからな。
まだ わからないんだよ。
男はとにかくわが家に帰る
撃たれても なんでも
死んでも帰る。
そういうもんだ」
こうなると これはもう屁理屈ですらなく
単なる曲解の押しつけでしかなく、
いいのかそういう教育で
…といえなくもないのだが、
…「撃たれても帰る」って
なんだかかっこいいなあ
…と思わないでもなく
そうやって僕の価値観は出来あがっていった。
なんにしても
「理屈を語ることは大切で
そこに本質が見えてくる」
こういうことを小さいころから
なんだか毎日していた。
学生時代
映画が三度の飯より…
の類の先輩と映画談議に。
「シェーンのラスト さあ
…どこがラストシーンか覚えてるか?」
と先輩。
友人A
「シェーンカンバック~でしょ
草原を去るシーン 有名じゃないですか」
友人B
「違う 違う 甘いね…
その後 馬が駆け上がる山の上のシーン
あそこがラストだよ 」
そして先輩
「駆け上がった 山の向こう側に
遠くの方に墓地が見える
その墓地は シェーンが今まで
ガンマンとして葬った数々の悪人が眠っている
そんな墓地が ちらっと映るんだよ …」
A B
「ええっ~ そうなんですか?」
「そうそう もうあの時点でシェーンは死んでいるからね。
そういうことも墓地で示唆したんだよね」
AB 「へえ~」
映画好きには有名なエピソード
「シェーンのラスト」僕は知っていた。
尾ひれがついた伝説のようなもの。
ラストの去り際があまりに美しいがゆえに
こういうエピソードがついたのですが、
でも、その時 僕は思い出していた。
「あの山の向こうにあるのは
墓地じゃないんです…
あれはシェーンのわが家、
そこに家族が待っているんですよ」
先輩
「?? なんじゃそれ 」
「あの映画は 男は撃たれても家に帰る
そういうもんだ
愛する女が出来てしまっても
自分を待つ家族のもとに帰らなきゃ…
ってそういう話しなんです」
先輩
「そうなのか? そうなんだ
…へえ~」
すぐわかるのが冗談
わからないのが嘘なら…
これはもう嘘の部類に違いないが
そう感じることが本質であれば
それでよいのだろう。
家族がいるのに
ほかの女性に惚れてしまい
苦労している男性はこの世に多いとは思うが、
昔見た映画を見直して観ると言うのも手である。
苦労していないならどうでもよいが… 。
理屈好きの父親は
齢七十九にして健在であります。
「たかし(弟の名)が買った
あの 四角い やつはなんて言ったかなあ?」
「あい ぱっど だよ 最新のモデルだね」
「あ い ぱっど
…ふーん 何度聞いても覚えんなあ~
2ってことは3も4も出るってことだな 」
「最近は、そういう商売が主流だからね。
いったん入り込むと その商品から抜けられないような仕組み
…でも、僕は本屋をさ迷うのが趣味だから、
あれで本を読む気にはなれないなあ 」
「それはおまえの理屈だろ。
4とかになれば、さ迷いたくなるかもしれない。
よいわるいじゃなくて
そうなるってことでしかないよ」
「そうなんだろうけど…」
「いまは読める本の数も少ないんだろうけど
…それは今だけのことで
いまにああいう機械で本を読むことが
普通になるだけのことさ 」
「あの中の本屋でさ迷うのはどうも抵抗がある」
「…とにかくそうなる
文句を言っても仕方ない
世の中は便利な方に流れるしかないんだから」
「便利で失うこともある」
「だから失うと感じるのは
お前の理屈で…
そういう理屈はこねていても仕方がない
4を手に取る人の問題 」
いい歳をした息子が
もっといい歳をした父親に
諭される内容としては
あまりに当たり前すぎる会話ですが、
こういう会話がもんや家の会話であり
こういう会話も 親孝行なのだと
あえて、してしまう 。
そして こういう会話は
いつかなにかを考えるヒントになる。
口にしないでわかった顔をしていることでも、
誰かと話してみると 自分がほんとうは
どう感じているのか
相手はどう感じているのか
その根っこが分かる。
その根っこは本質で
…いつかなにかの役にたつ。
近い将来、僕に
“iPAD4”のセールスプロモーションの
依頼が来るかもしれない
…どうやったら高齢者が手に取るか
なんて話が…
そう言う時に 役に立つ
…くればの話だ(笑)
もし来ても断ると思うが
…くればの話だ(笑)
◆◆◆
村のお寺の「茅葺屋根造り」に駆り出された。
正確には 母が出ることになっていたのだが、
母の日に孝行も出来ないから…と自ら買って出た
(結局 母親も参加して孝行もへったくれもなくなったのだが)
朝の8時から午後の4時近くまで
休憩をはさみながら…大量の茅と格闘した。
こんなに小さな寺の門にこんな大量の茅が乗るのか…
ってくらいの量であります。
村の各組から当番が参加しての作業
僕と母以外はみんなおっさんやおじいさん
若きおっさま(ご住職)も参加した
…茅葺屋根造りははじめての人ばかり、
それでも畑仕事で何十年も生きてきたおっさん達は逞しい
段取りもよく動きも軽快。
負けてたまるかと ひたすら茅を運び
束ね ザクザクと切り また運ぶ …
体中がぐわぐわになった。
ザクザク切る道具は、昔からあるデカイ包丁
(名前を聞いたが忘れてしまった)
村の○○さんの家に眠っていたのを借りてきたらしい。
田舎は神仏一体の文化 お盆はお寺、
お祭りはお宮さん(神社)、
正月はお寺とお宮さん、
日々の暮らしや行事も
お寺とお宮さんは密接に関わっている。
とくにお墓のあるお寺の行事となると
村の結束は高い。
こんな小さな門で
こんなに大変なんだから
白川郷は…ありえない
などと思う
「見るとやるとじゃ違うねェ~」
とおっさんの声に、確かに…
とヘロヘロになりながら頷き、
茅と格闘した。
門の屋根に竹で土台を汲み
その上にまず“葦”を敷く
そして大量の茅の束を隙間なく
みっしりと積み上げてゆくらしい。
でもわれわれ素人の作業は
その茅の束を作るところまで
あとは任せることとなり、作業終了。
最後に記念撮影に混じった。
夏の帰省では完成している姿が見られる。
楽しみであります。
はじめに 意味があるかどうかはわからず
参加してみたが やり終えた今は
「意味があった」と思える。
こういうこともある。
考える前に動いたからといって
時間を無駄にしたわけではい。
一生懸命に それだけで意味があるということなのでしょう。
…久しく忘れていた。
(寺門と若きおっさま)
あなたなら どうする?[紋谷のソコヂカラ]
投稿日時:2011/04/17(日) 20:26
お休みの昼下がり。
WOWOWで「マウンテンゴリラ驚きの帝国」を観ていて、
ふいに思いだした。
……誰かに似ている。
ウホウホいいながら
張り出した胸板をボコボコ叩くこの姿
…うーん?
…………
あっ!!
あのオバハンだ!
あのオバハン
…そういえば最近、見かけない。
どちらかと言わなくても
出来れば見かけたくない相手であって
記憶の奥に封印していたのに、
「マウンテンゴリラ驚きの帝国」のせいで
その記憶が蘇ってしまった。
なにしろ狭い一方通行を
真っ黒い大きなワンボックスカーに乗って
逆走してくるオバハンなのだ。
我が家からダイエーに抜ける近道
わき道から片側2車線の幹線道路をつなぐ
10メートルほどの路地、
この路地は幅員が狭い上に、
両側に住宅が建っていて、
誠に見通しが悪く以前は事故が多発していたようで、
幹線道路からは、時間制限で一方通行になる。
オバハンとの出会いはこの路地でした。
こちらがカーブミラーで確認し、
幹線道路に抜けようと、
路地に進入した途端に、
勢いよく曲がりこんできた
巨大な黒い塊が目の前に現れた。
しかもいわゆる “大回り” というヤツで、
狭い道のど真ん中に入り込んできた。
あちゃあ~
お互いの車間距離は2メートルもなく、
すり抜けようにもどうにもならない。
運転席を見上げるとオバハンである。
クラクションもはばかられ
しばし待つも 動く気配はない。
すり抜けるにはどちらかが
いったん下がるしかなく、
このオバハンにその意志が
微塵もないことはすぐに分かった。
なんと僕に向かって
クラクションを鳴らし始めたのである。
そしてハンドルの前で片手を振るのだ。
どいて どいて …と。
なにい~!
である。
しかし、こういうオバハンに理屈は通じない、
ここは黙って、こちらが身を引こうと
…後ろを確認すると…!?
あちゃ~
新たに路地に進入してきた車が、
僕の車の後ろに付いてしまったではないか!
これは困った。
……仕方がないので
車から降りてオバハンと立ち向かうことにする。
「あのですね もしもし コンコン 」
うぃーん ウインドが少し下がる
睨みつけてくるオバハン
「あのですね ここは一方通行なんですよこの時間」
「はあ?」
「だからそっちからは入ってきちゃいけないんです」
「はあ? なにを言ってるの
いつも曲がってるわよワタシ」
「いつも曲がってきちゃいけないんですヨ」
「バカにしないでヨ あなたが悪いんでしょ
早くどいてヨ 通れないじゃない」
カチン!
人間は困難に直面した時ほど冷静になれ
よく考えろこのオバハンにバックはできるのか?
幹線道路は車がびゅんびゅん走っている
仮に前向きであったとしても
そろりそろりと進み
前に乗り出して確認しないと曲がれない合流だ
この巨大なワンボックスでバック
そしてこのオバハンの説得…
無理だ あり得ない
… よし俺は冷静だ
くるりと踵を返し 僕の後ろ
(結局その後ろにももう一台車が来ていた)
の車に近寄ると
「すいません 前の車は行ってきちゃったようで
にっちもさっちもで…
下がってもらえます?」
そしてもう1台にも同じことを伝え、
順繰りに下がる
下がり終えるやいなや
オバハンは車を発進させ
悠然と去って行った。
その横顔は
ふん まったく 冗談じゃないわ
という顔であったことは…
そう 想像に難くない。
…そして そして そして
この事件は まったく同様にして
その2週間後に 再び
繰り返されるのでありました。
あれから 路地を曲がることに
細心の注意を払うことと
なってしまった僕でありました。
…が、それでも悪夢は繰り返された。
カーブミラーを確認、
よし!と勢いよく曲がりこみ
あと3メートルで幹線道路というその瞬間!!
ぐわあッという感じで目の前に
あの巨大な黒い塊が現れた!
キキーィ~
まさに急ブレーキ
向こうも
グワンッてかんじで
鼻先で停まる。
でたあ!! あのオバハンだ。
…と気づいたその瞬間
プワップワッ~♪
とクラクションが鳴らされた。
僕がではなく
僕に…であります。
見ればオバハン
この前にも増してすごい顔で睨んでいる。
いまここにある危機
困難は人を成長させる
乗り越えられない試練はない
…もたもたしてはいられない
「おばさん この前も言いましたが
ここは いっぽうつうこう!!
なんです!」
… …よし 言ってやった!
「はあ? あなた誰?
この前ってなに? なに言ってんの?
早くどいてよ ほらほら」
…ほんとか>・・-^¥
覚えてないのか? …。」
;「^ 不覚にも もんや言葉を失う…
「ほらほら
車はいってきちゃったじゃない? 」
あっ! あちゃ~ また僕の後ろに
あっ!また …あれよあれよ
あっ! …僕が入り込んだ距離が長いため
今度は後ろに3台も付いてしまった
「まったくどうすんのよ!
冗談じゃないわ!!」
考えろ 考えろ…
3台にバックを交渉 オバハンを説得…
この距離なら…
「僕が後ろを見ますから
下がってもらえますか?」
「はあ? 冗談じゃないわヨ
なんでワタシが下がらなきゃならないの
早くどいてよ」
そのあたりから後ろの車から
クラクションが鳴る!
おいおい!!早くしろよ♪
「じゃあ 僕が運転しますから
後ろ見てもらえますか?
…いや いいです
とにかく降りてください」
♪♪ クラクション ♪クラクション♪♪
さすがにこのままでは埒があかないと思ったのか
オバハン 車を降りた。
しかし、このオバハンの誘導でバック?
…あり得ない
…ちょっとこのままでと言い残すや
後ろの車に駆け寄る 運転手は若い男
「すいません あの車下がらせるんで
ちょっと後ろ見てもらえます?」
そうして、どうにかこうにか
幹線道路脇に巨大なワンボックス車を止め
…路地を平常に戻した。
しかし、このままでは、このオバハン、
またすぐ路地に入り込みかねないし、
何よりまたいつか同じ状況に遭遇するのはご勘弁だし
…で、きっちり分かっていただこう…
とオバハンに向かう。
「ここは この時間
入ってきちゃいけないんです 」
面と向かえば大人しくなるかと
おもいきや…
「知らないわよ いつも この道だし」
と言うやいなや
もうことは済んだとばかりに、車に乗り込み、
そして そして そして
そのまま
また件の路地を曲がって行ってしまった。
ちなみにこのオバハン
背丈は140cm くらい
しかし横幅と胸の厚さが半端ではない
その上に 黒いボワボワのセーターを
モコモコ着ている
髪は脱色ような金髪のショート
声は高くで大きい
足元はサンダルにこちらもモコモコの靴下
一度見たら忘れない印象を残す。
それからほどなくして、
この路地周辺の土地が分譲され、
少し拡張されて見通しがよくなったことと並行して
一方通行が解除されたことで、
あの恐怖の再来からは解放された。
なぜか、あの巨大なワンボックスを
見かけることもなくなった。
…しかし、2度あることの3度目は
意外な場所 ダイエーのレジ前でした。
僕の前のお客が
レジ打ちのお姉さんと揉めている。
「だから 2000円超えたら要らないわよ
他は戻してって言ったじゃない!!」
「はあ?
なにをおやめになりますか?」
「だから
なにとなんならちょうど2000円になるのか
言わなきゃわかんないわよ!」
…分かりにくいので解説をすると、
この客は欲しいものを適当に買い物かごに
突っ込んでレジへとやってきた
そして支払いの段になって
はじめて財布に2000円しかにことに気がついた
そこで2000円分だけ買い物するので
後は戻すと言うのだが
品物の優先順位が分からないから
レジのお姉さんは困っている
…とこういう状況なのであります。
そして このお客が小柄なのに
上半身が異常に大きい
ベリーショートの金髪の
サンダル履きの
黒いモコモコセーターの
…あの
あのあのオバハンであることに気付いた僕は
…なにも言わず その場を去り
別のレジに並び直したのであります。
勇気ある決断と
人は僕を
いや
僕が僕を讃えたことは言うまでもない。
◆◆◆
朝からまた地震です。
震源地は栃木…
こういうのも余震と言うのか。
花散らしの強い風が吹く前に
近所の公園に お花見にゆきました。
デイケアーの催しなのか
老人ホームの遠足なのか
車いすのお年寄りたちがたくさん
満開の桜を楽しんでいました。
あのオバハンもいつかは毒気が抜けて
あんな風になるのかなあ…と
思い出したついでに
想像してみるのでした。
WOWOWで「マウンテンゴリラ驚きの帝国」を観ていて、
ふいに思いだした。
……誰かに似ている。
ウホウホいいながら
張り出した胸板をボコボコ叩くこの姿
…うーん?
…………
あっ!!
あのオバハンだ!
あのオバハン
…そういえば最近、見かけない。
どちらかと言わなくても
出来れば見かけたくない相手であって
記憶の奥に封印していたのに、
「マウンテンゴリラ驚きの帝国」のせいで
その記憶が蘇ってしまった。
なにしろ狭い一方通行を
真っ黒い大きなワンボックスカーに乗って
逆走してくるオバハンなのだ。
我が家からダイエーに抜ける近道
わき道から片側2車線の幹線道路をつなぐ
10メートルほどの路地、
この路地は幅員が狭い上に、
両側に住宅が建っていて、
誠に見通しが悪く以前は事故が多発していたようで、
幹線道路からは、時間制限で一方通行になる。
オバハンとの出会いはこの路地でした。
こちらがカーブミラーで確認し、
幹線道路に抜けようと、
路地に進入した途端に、
勢いよく曲がりこんできた
巨大な黒い塊が目の前に現れた。
しかもいわゆる “大回り” というヤツで、
狭い道のど真ん中に入り込んできた。
あちゃあ~
お互いの車間距離は2メートルもなく、
すり抜けようにもどうにもならない。
運転席を見上げるとオバハンである。
クラクションもはばかられ
しばし待つも 動く気配はない。
すり抜けるにはどちらかが
いったん下がるしかなく、
このオバハンにその意志が
微塵もないことはすぐに分かった。
なんと僕に向かって
クラクションを鳴らし始めたのである。
そしてハンドルの前で片手を振るのだ。
どいて どいて …と。
なにい~!
である。
しかし、こういうオバハンに理屈は通じない、
ここは黙って、こちらが身を引こうと
…後ろを確認すると…!?
あちゃ~
新たに路地に進入してきた車が、
僕の車の後ろに付いてしまったではないか!
これは困った。
……仕方がないので
車から降りてオバハンと立ち向かうことにする。
「あのですね もしもし コンコン 」
うぃーん ウインドが少し下がる
睨みつけてくるオバハン
「あのですね ここは一方通行なんですよこの時間」
「はあ?」
「だからそっちからは入ってきちゃいけないんです」
「はあ? なにを言ってるの
いつも曲がってるわよワタシ」
「いつも曲がってきちゃいけないんですヨ」
「バカにしないでヨ あなたが悪いんでしょ
早くどいてヨ 通れないじゃない」
カチン!
人間は困難に直面した時ほど冷静になれ
よく考えろこのオバハンにバックはできるのか?
幹線道路は車がびゅんびゅん走っている
仮に前向きであったとしても
そろりそろりと進み
前に乗り出して確認しないと曲がれない合流だ
この巨大なワンボックスでバック
そしてこのオバハンの説得…
無理だ あり得ない
… よし俺は冷静だ
くるりと踵を返し 僕の後ろ
(結局その後ろにももう一台車が来ていた)
の車に近寄ると
「すいません 前の車は行ってきちゃったようで
にっちもさっちもで…
下がってもらえます?」
そしてもう1台にも同じことを伝え、
順繰りに下がる
下がり終えるやいなや
オバハンは車を発進させ
悠然と去って行った。
その横顔は
ふん まったく 冗談じゃないわ
という顔であったことは…
そう 想像に難くない。
…そして そして そして
この事件は まったく同様にして
その2週間後に 再び
繰り返されるのでありました。
あれから 路地を曲がることに
細心の注意を払うことと
なってしまった僕でありました。
…が、それでも悪夢は繰り返された。
カーブミラーを確認、
よし!と勢いよく曲がりこみ
あと3メートルで幹線道路というその瞬間!!
ぐわあッという感じで目の前に
あの巨大な黒い塊が現れた!
キキーィ~
まさに急ブレーキ
向こうも
グワンッてかんじで
鼻先で停まる。
でたあ!! あのオバハンだ。
…と気づいたその瞬間
プワップワッ~♪
とクラクションが鳴らされた。
僕がではなく
僕に…であります。
見ればオバハン
この前にも増してすごい顔で睨んでいる。
いまここにある危機
困難は人を成長させる
乗り越えられない試練はない
…もたもたしてはいられない
「おばさん この前も言いましたが
ここは いっぽうつうこう!!
なんです!」
… …よし 言ってやった!
「はあ? あなた誰?
この前ってなに? なに言ってんの?
早くどいてよ ほらほら」
…ほんとか>・・-^¥
覚えてないのか? …。」
;「^ 不覚にも もんや言葉を失う…
「ほらほら
車はいってきちゃったじゃない? 」
あっ! あちゃ~ また僕の後ろに
あっ!また …あれよあれよ
あっ! …僕が入り込んだ距離が長いため
今度は後ろに3台も付いてしまった
「まったくどうすんのよ!
冗談じゃないわ!!」
考えろ 考えろ…
3台にバックを交渉 オバハンを説得…
この距離なら…
「僕が後ろを見ますから
下がってもらえますか?」
「はあ? 冗談じゃないわヨ
なんでワタシが下がらなきゃならないの
早くどいてよ」
そのあたりから後ろの車から
クラクションが鳴る!
おいおい!!早くしろよ♪
「じゃあ 僕が運転しますから
後ろ見てもらえますか?
…いや いいです
とにかく降りてください」
♪♪ クラクション ♪クラクション♪♪
さすがにこのままでは埒があかないと思ったのか
オバハン 車を降りた。
しかし、このオバハンの誘導でバック?
…あり得ない
…ちょっとこのままでと言い残すや
後ろの車に駆け寄る 運転手は若い男
「すいません あの車下がらせるんで
ちょっと後ろ見てもらえます?」
そうして、どうにかこうにか
幹線道路脇に巨大なワンボックス車を止め
…路地を平常に戻した。
しかし、このままでは、このオバハン、
またすぐ路地に入り込みかねないし、
何よりまたいつか同じ状況に遭遇するのはご勘弁だし
…で、きっちり分かっていただこう…
とオバハンに向かう。
「ここは この時間
入ってきちゃいけないんです 」
面と向かえば大人しくなるかと
おもいきや…
「知らないわよ いつも この道だし」
と言うやいなや
もうことは済んだとばかりに、車に乗り込み、
そして そして そして
そのまま
また件の路地を曲がって行ってしまった。
ちなみにこのオバハン
背丈は140cm くらい
しかし横幅と胸の厚さが半端ではない
その上に 黒いボワボワのセーターを
モコモコ着ている
髪は脱色ような金髪のショート
声は高くで大きい
足元はサンダルにこちらもモコモコの靴下
一度見たら忘れない印象を残す。
それからほどなくして、
この路地周辺の土地が分譲され、
少し拡張されて見通しがよくなったことと並行して
一方通行が解除されたことで、
あの恐怖の再来からは解放された。
なぜか、あの巨大なワンボックスを
見かけることもなくなった。
…しかし、2度あることの3度目は
意外な場所 ダイエーのレジ前でした。
僕の前のお客が
レジ打ちのお姉さんと揉めている。
「だから 2000円超えたら要らないわよ
他は戻してって言ったじゃない!!」
「はあ?
なにをおやめになりますか?」
「だから
なにとなんならちょうど2000円になるのか
言わなきゃわかんないわよ!」
…分かりにくいので解説をすると、
この客は欲しいものを適当に買い物かごに
突っ込んでレジへとやってきた
そして支払いの段になって
はじめて財布に2000円しかにことに気がついた
そこで2000円分だけ買い物するので
後は戻すと言うのだが
品物の優先順位が分からないから
レジのお姉さんは困っている
…とこういう状況なのであります。
そして このお客が小柄なのに
上半身が異常に大きい
ベリーショートの金髪の
サンダル履きの
黒いモコモコセーターの
…あの
あのあのオバハンであることに気付いた僕は
…なにも言わず その場を去り
別のレジに並び直したのであります。
勇気ある決断と
人は僕を
いや
僕が僕を讃えたことは言うまでもない。
◆◆◆
朝からまた地震です。
震源地は栃木…
こういうのも余震と言うのか。
花散らしの強い風が吹く前に
近所の公園に お花見にゆきました。
デイケアーの催しなのか
老人ホームの遠足なのか
車いすのお年寄りたちがたくさん
満開の桜を楽しんでいました。
あのオバハンもいつかは毒気が抜けて
あんな風になるのかなあ…と
思い出したついでに
想像してみるのでした。
近況報告[紋谷のソコヂカラ]
投稿日時:2011/03/29(火) 18:40
CTを1回受けると6400マイクロシーベルトらしい。
とはいっても、1時間ずっと浴びているわけではない。
ものの1分…となると、106.7マイクロシーベルト。
年に3回ほどは受けているから300強マイクロシーベルト…
ミリに直せば…0.3と少々…
日本人の年間被ばく限度は1ミリシーベルトで、
福島第一原発の直近、3日間の累積放射線量が、
1.3~2.8ミリシーベルトかあ~
屋内への退避基準は、50ミリシーベルト、
30km圏内……北約45kmの相馬市は、
2日間で0.077ミリシーベルト
…180掛けると……うーん……。
こんなことを考えながら名前が呼ばれるのを待っていた。
地震の当日、我が家は夜中まで停電した。
寒いので、火鉢を引っ張り出した。
炭は2年前に長野の農家で買ったものの、
雑庫に放り込んであった。
真っ暗な部屋の中で、ずっと、炭を起して火を見つめていた。
あとは、蝋燭3本を灯しラジオを聴いていた。
10年ほど前、モロッコでのひとり旅の最中で知り合って以来、
たまの便りを重ねる仲となったTさんと連絡が取れない。
なんとなく思い出し、年賀状を引っ張り出したら…
住所は宮城の安城市であった。
メールを入れてみたが返信はない。
わたし程度の関係で、伝言板にあげるのも迷惑なのだろう…
でも心配である。
元気であってほしい。
石原地知事の、「天罰発言」はその前後の発言の脈絡の意味を、
きっちり報道して欲しいと思った。
あれでは、真意が伝わらない。
有事の際に公人が、自分の本音を自分の言葉で言える
ということはすごいことで。
その内容の、不謹慎と不見識の違いは、
より正確でなければならないと思う。
今回の震災で、平時の際に見えてこない本質が、
いろいろと浮き彫りになっている。
人の在り方と同じですね。
その本質は、大変な時にこそ見えてくる。
分からないのは、見ていないから。
しんどい時こそ、地は出てしまう。
腹が立つことも多いが、発見もある。
求められていることは、
自分自身の心の中をみつめること。
文句を言うのは簡単だ。
ブログ書く気がおきず…
まぁ、わたしの私事などどうでもよいだろう
と思っていたら
「ブログがあがらないので心配しています」
とメールをいただいてしまった。
恐縮であります。
予定通り、2月の頭に抗がん剤を入れました。
●ひと山目の「副作用」
前回、胃に激痛が続き、白血球が異常に下がり、
年末年始をつぶしてしまったのでビビっていたのですが、
今回はそれほどのこともなかったです。
一番の山でありました投薬後1週間のタイミングでも、
胃は痛むものの激痛というほどのものでもなく、
白血球も下がりはしたものの、
徐々に回復してくれて、ありがたいことです。
今回の投薬では、「補助薬品」の効果を実感しました。
たとえば “吐き気止め”、
これは、点滴で抗がん剤の前に入れるのですが、
この効果は大したもので、
15年前のはじめて…を思えば夢のような進化です。
肝心の抗がん剤も進んではいるものの、
その歩みの違いは歴然で、ぐだぐたになったあの日は昔です。
もちろんすべての気持ち悪さを取り去るわけではありませんが、
それでもかなり楽に投薬することができました。
聞けば、
「そうなんです。こういう薬は、どんどん良いものが出てきて…」
と看護師さん。
QCという意味では素晴らしいことです。
●ふた山目「効果」
投薬直前のマーカー値は
「66000(前回のブログ時点からまたあがっていたのです)」
~投薬後、6日目の検査で「49000」
それから5日後には「40000」
さらに1週間後には、「33000」
と徐々にですが順調に下がりました。
もう効かないかもしれないと、
内心では臆病になっていた自分がいたので、
この効果には素直にほっとしました。
●そしてみっつ目の山
「効果の持続」です。
本日、3月28日(投薬後、1か月と11日)現在「42000」…
……やはりというか、またあがってきています。
甘くはありません。
せめて、1万くらいには、落ちて欲しかった。
また同じくあがり始めることが歴然としている以上、
始まりがどのレベルからなのかは、
そのまま現実生活に直結しますから……。
本音は 「キツイなあ~」です。
さて、ここまでを、口笛吹きつつ、
軽妙な語り口で…と、報告したかったのですがそうもいきません。
…それは、効果が持続せずに
がっかりしているせいではありません。
世の中を思えば、軽口は叩けない
…そういうことで、僕自身が暗く落ち込んでいるわけではないので、
ご心配なさらずに。
津波が去って、見に行ったら家がなかった!?
…この絶望感に比べれば …屁
…失礼
…屁 …みたいなもんです。
42000…基準値(13.4)の3000倍の濃度が検出されました。
ちなみに単には“ng/ml”です。
付近の住民の皆さんは速やかに…
基準はあくまで基準。
なにをもっての基準なのか?
人によってその症状はさまざま
…聞けばマーカー値二桁でも、
ボロボロな人もいる。
僕は勇者ではない
でも、逃げるわけにはいけない。
(ペイルライダー 名もなき人の台詞)
比べること自体、不謹慎ですが、
がんばりどころは人それぞれ、
まずは自分の回りからです。
次回から どうでももんや節 口調は復活するでしょう。
※などと言っていましたら、
キーボードがまったく反応しなくなっちまいました。
後半は、スクリーンキーボードでひと文字ひと文字打ちました。
………サポートセンターのお兄さん曰く
「機械的な故障ですね。工場に引き取らせて頂くことになります」
…だそうです。
いつわが手元に復活するのかは
…未定だそうです。
だから次回は未定です。
「…もんやブログあがらないけど…だいじょうぶなの?」
「もんやはだいじょうぶだけど、
パソコンが三途の河原さ迷っているらしいよ」
という感じでお願いします。
神様は、乗り越えられる試練しか与えないぞ。
…もう試練はお腹いっぱいです。
とはいっても、1時間ずっと浴びているわけではない。
ものの1分…となると、106.7マイクロシーベルト。
年に3回ほどは受けているから300強マイクロシーベルト…
ミリに直せば…0.3と少々…
日本人の年間被ばく限度は1ミリシーベルトで、
福島第一原発の直近、3日間の累積放射線量が、
1.3~2.8ミリシーベルトかあ~
屋内への退避基準は、50ミリシーベルト、
30km圏内……北約45kmの相馬市は、
2日間で0.077ミリシーベルト
…180掛けると……うーん……。
こんなことを考えながら名前が呼ばれるのを待っていた。
地震の当日、我が家は夜中まで停電した。
寒いので、火鉢を引っ張り出した。
炭は2年前に長野の農家で買ったものの、
雑庫に放り込んであった。
真っ暗な部屋の中で、ずっと、炭を起して火を見つめていた。
あとは、蝋燭3本を灯しラジオを聴いていた。
10年ほど前、モロッコでのひとり旅の最中で知り合って以来、
たまの便りを重ねる仲となったTさんと連絡が取れない。
なんとなく思い出し、年賀状を引っ張り出したら…
住所は宮城の安城市であった。
メールを入れてみたが返信はない。
わたし程度の関係で、伝言板にあげるのも迷惑なのだろう…
でも心配である。
元気であってほしい。
石原地知事の、「天罰発言」はその前後の発言の脈絡の意味を、
きっちり報道して欲しいと思った。
あれでは、真意が伝わらない。
有事の際に公人が、自分の本音を自分の言葉で言える
ということはすごいことで。
その内容の、不謹慎と不見識の違いは、
より正確でなければならないと思う。
今回の震災で、平時の際に見えてこない本質が、
いろいろと浮き彫りになっている。
人の在り方と同じですね。
その本質は、大変な時にこそ見えてくる。
分からないのは、見ていないから。
しんどい時こそ、地は出てしまう。
腹が立つことも多いが、発見もある。
求められていることは、
自分自身の心の中をみつめること。
文句を言うのは簡単だ。
ブログ書く気がおきず…
まぁ、わたしの私事などどうでもよいだろう
と思っていたら
「ブログがあがらないので心配しています」
とメールをいただいてしまった。
恐縮であります。
予定通り、2月の頭に抗がん剤を入れました。
●ひと山目の「副作用」
前回、胃に激痛が続き、白血球が異常に下がり、
年末年始をつぶしてしまったのでビビっていたのですが、
今回はそれほどのこともなかったです。
一番の山でありました投薬後1週間のタイミングでも、
胃は痛むものの激痛というほどのものでもなく、
白血球も下がりはしたものの、
徐々に回復してくれて、ありがたいことです。
今回の投薬では、「補助薬品」の効果を実感しました。
たとえば “吐き気止め”、
これは、点滴で抗がん剤の前に入れるのですが、
この効果は大したもので、
15年前のはじめて…を思えば夢のような進化です。
肝心の抗がん剤も進んではいるものの、
その歩みの違いは歴然で、ぐだぐたになったあの日は昔です。
もちろんすべての気持ち悪さを取り去るわけではありませんが、
それでもかなり楽に投薬することができました。
聞けば、
「そうなんです。こういう薬は、どんどん良いものが出てきて…」
と看護師さん。
QCという意味では素晴らしいことです。
●ふた山目「効果」
投薬直前のマーカー値は
「66000(前回のブログ時点からまたあがっていたのです)」
~投薬後、6日目の検査で「49000」
それから5日後には「40000」
さらに1週間後には、「33000」
と徐々にですが順調に下がりました。
もう効かないかもしれないと、
内心では臆病になっていた自分がいたので、
この効果には素直にほっとしました。
●そしてみっつ目の山
「効果の持続」です。
本日、3月28日(投薬後、1か月と11日)現在「42000」…
……やはりというか、またあがってきています。
甘くはありません。
せめて、1万くらいには、落ちて欲しかった。
また同じくあがり始めることが歴然としている以上、
始まりがどのレベルからなのかは、
そのまま現実生活に直結しますから……。
本音は 「キツイなあ~」です。
さて、ここまでを、口笛吹きつつ、
軽妙な語り口で…と、報告したかったのですがそうもいきません。
…それは、効果が持続せずに
がっかりしているせいではありません。
世の中を思えば、軽口は叩けない
…そういうことで、僕自身が暗く落ち込んでいるわけではないので、
ご心配なさらずに。
津波が去って、見に行ったら家がなかった!?
…この絶望感に比べれば …屁
…失礼
…屁 …みたいなもんです。
42000…基準値(13.4)の3000倍の濃度が検出されました。
ちなみに単には“ng/ml”です。
付近の住民の皆さんは速やかに…
基準はあくまで基準。
なにをもっての基準なのか?
人によってその症状はさまざま
…聞けばマーカー値二桁でも、
ボロボロな人もいる。
僕は勇者ではない
でも、逃げるわけにはいけない。
(ペイルライダー 名もなき人の台詞)
比べること自体、不謹慎ですが、
がんばりどころは人それぞれ、
まずは自分の回りからです。
次回から どうでももんや節 口調は復活するでしょう。
※などと言っていましたら、
キーボードがまったく反応しなくなっちまいました。
後半は、スクリーンキーボードでひと文字ひと文字打ちました。
………サポートセンターのお兄さん曰く
「機械的な故障ですね。工場に引き取らせて頂くことになります」
…だそうです。
いつわが手元に復活するのかは
…未定だそうです。
だから次回は未定です。
「…もんやブログあがらないけど…だいじょうぶなの?」
「もんやはだいじょうぶだけど、
パソコンが三途の河原さ迷っているらしいよ」
という感じでお願いします。
神様は、乗り越えられる試練しか与えないぞ。
…もう試練はお腹いっぱいです。
あなたはわたしの特別枠[紋谷のソコヂカラ]
投稿日時:2011/03/08(火) 23:40
コンパスで 同心円を描いてみる。
中心からだんだんと 遠くに何重にも
真ん中の点は自分。
一つ目の円に入るのは 両親や兄弟
旦那さまや奥さん 子供はもちろんこの円の中に。
二つ目の円は 血縁の関係はないけれど
自分にとってかけがえのない“他人”
…大切な友が入る。
このZONEに入る人数は少ないだろう。
長く生きたからと言ってその数が増えるわけでなし、
ただ、最近疎遠だからと言って、消えることもない
大切な友はいくつになっても変わらない存在。
別れた奥さん 僕の場合は彼女もこのZONE。
三つ目の円は 親友とは呼べないまでも、
一緒に居ると安心する他人のみなさん。
付き合った時期や長さはさまざまで、
学生時代 それも同じサークルであるかないか
職場、こちらも同じ職場であるかないか
週末の趣味のサークル仲間やネットで
知り合いOFF会で仲良くなった同好の志。
男女 年齢はもちろん
「つながっている理由がさまざま」
いちばんバリエーションに富んでいるZONE。
知り合った当時はそれほどのこともなかったが、
環境が変わり、お互い大人になり、
ふとしたことで身近になった
そんな友人がいたら、その方もこのZONE。
四つ目の円には、なんというか
現実的に関係の深い友人が入る。
いやらしい言い方だが、ここには、
ただ今現在の直属の上司や同じ課の同僚
学生時代のサークル仲間 現在の愛人…
さまざまに深く関わり関わってきていて、
相手のことを“語ることのできる
”それくらいの距離にいる。
いま現在、頻繁に顔を会わせている。
このうち、現在の愛人などは、
突然一つ目の円に入ってくる可能性があるが、
ほかはない。
おそらくないということは知っている。
五つ目の円は さらに遠くなる。
けっこう飲みに行った前の職場の同僚の○○
中学時代あれほど毎日いっしょだったのに、
今何をしているのかも知らないし、
正直興味もない同じクラスだった○○。
毎朝、おはようございますと
声をかける隣の家の奥さん。
「いらっしゃい!!今日は早いねェ~
ビールでいいかい」焼鳥屋のオヤジ。
息子の担任の先生なんかもこれくらいの距離か。
とても大切なクライアントだったのに
取引がなくなり会うこともなくなったあの会社の部長も…
これが今も続いているなら、四つ目に昇格するけれど、
それもいつまで続くかわからない。
そうこのZONEは二つ目は難しいとしても
付き合い次第では
三つ目の円くらいに入ってくる可能性がある。
六つ目ともなると もうどうでもよい(笑)
が 見知ってはいる
…そういう顔ぶれ。
とりたてて例はあげない。
こうしてみると、中心点からの円までの距離が表すものは、
共に過ごした時間の長さではなく、
「心の距離」なのだと気がつく。
そう考えていると、どの円にも属さないのだけれど
大切な人という存在があることに、また気がつく。
いわば、“特別枠”とでもいうのか。
顔を合せる機会は2年に1度、あるかないか。
ふたりで酒を飲んだことはない
趣味も考え方も正反対
住む場所も離れている
そんなこんなで理由がなければ会うことがない。
それでも理由が出来て会うことになると、なんだか嬉しい。
いま なにをしているのか?
なにが好きなのか?
話してみたい…そういう気分になることが不思議だ。
自分にとって「意味のある人」
片思いかも…一方的な存在なのかもしれない。
先日コピーライターの神戸真さんがお亡くなりになりました。
享年51歳
ひとり暮らしの彼が世を去ったその姿を
最初に見たのは大家さん。
玄関のドアの鍵穴からだったそうです…
解剖されて判明した死因は「脳梗塞」
実際にいつ倒れたのかは知る術もなし。
その訃報を僕が聞いた時には
もうお骨にされていて、
ご実家のある三重県に戻っていました。
数日後、神戸さんの住んでいたマンションの部屋で
簡単なお焼香ができたのは、
お兄さんお姉さんのおかげ。
あいだを繋いでくれた友人たちのおかげ。
広告の発注主であり、ディレクターとして、
僕が神戸さんと仕事を頻繁にしていた時代は
もう15年以上前になります。
「神戸さんは 生まれる時代が違ったんじゃないですか?」
「…なぜ?…じゃあ いつが良かったというんじゃ」
「明治維新 改革の時代ですね。
知り合った当時は、室町のお公家さんの
イメージだったんですが」
「うーん どっちも嫌だな」
「日本がわさわさとしている時代
絣の着物に革靴履いて 山高帽子にステッキ持って
… そうだなあ 大手新聞社なんかじゃなくて、
大衆が喜びそうなカストリ雑誌に好きなこと書いて
編集者から 先生…先生 なんて呼ばれて…
けっこう締め切りに追われているのに、
書かないで、言いたいことばかり言って…
なんだかそういうイメージなんです」
「…うーん 大手出版社がいいな
それに状況的には今となにも変わらんじゃないか!」
「なんというか ストレスのかかり具合が違うというか
あの時代なら感じずに過ごせたのかと…」
「へんなこと言うなあ~はじめて言われたなぁ~」
こんな会話をしたのを覚えています。
あるFCの取材で沖縄に行った時に、
接待され連れて行かれた
地元のクラブでは、ホステスさんに囲まれて
恥ずかしいんだけれど、
なんか言わなきゃ気が済まなくて
言ったら言ったで恥ずかしくて
それでも言っちゃう神戸さん…
「その 見えそうで見えない
胸元はなんとかならんものか」
「♡…ええ~ダメですかぁ~♡」
「見せるんなら見せる
見せないんなら見せない
はっきりしなさい」
「♡~チラッ」
「……け…けしからん!」
「♡…でも
うちィ~あんまり大きくないんです~♡」
「………!
そうか よいよい
想像してしまったじゃないか」
「エッチやわあ~お客さん」
「エッチでなにが悪い
ふんっ!!」
「胸の小さい女の娘はキライデスかぁ~」
「…それは そうだなあ~……
くっ…苦しゅうない」
「あとお ワタシ 乳の輪が大きいんです
~きゃ 恥ずかしい」
「……… ! だ…だいじ オッほん !
大事なのは乳首じゃ
キミの乳首はなにか
…その色はなに色じゃ」
「ええっ~ 普通ですよ 」
「普通なんて返事があるか愚か者!
ピンクなのか…と聞いておるんじゃ」
「ええっ~じゃあ~
ミテ ミマスカ?♡~」
「…… ……?
いや その …いい
結構じゃ!
み…見るに堪えん!!」
こんな神戸さんが僕は大好きでした。
他の誰かだと聞くに堪えない
古典的ですらあるこんな下世話な会話でも、
神戸さんならずっと聞いていたくなるのです。
亡くなられてなお
こんなことを暴露して
…それでも僕は最後まで神戸さんをいじります。
いじられて嬉しい神戸さん
素顔はとても真面目な神戸さん
頑固で筋が通らないことは大嫌い…
それでいて温かみとユーモアがある神戸さんは
僕にとっての特別枠です。
神戸さん。
よく散歩をしていただいた
ミルキーがそちらにいるハズです。
朝、起きたら1日2回朝夕にお散歩お願いします。
そして、散歩の途中に雲の隙間から下界を覗き込んで…
「いかんな もんやさん それはいかんよ」
と 声をかけてください。
たとえその声が聴こえてこなくても
そう言ってくれているんだと思い
日々 生きていこうと思います。
お焼香に連れて行ってくれたM君
(副作用でフラフラしていたので
車で送り迎えしてくれたのです)が、
帰りの車中で言いました。
「思い出したんですよね。前に見た西部劇の映画で…
若いアンちゃんが 老ガンマンに拳銃を向け…
『ジジイは引っ込んでろ!…』
とかなんとか言うシーンがあって、
そう言われた老ガンマンが言うんです
『オマエはそのジジイになることはないだろう』って…
…今の時代でも、ジジイになるのって、
大変なことなのかもしれないなあって
神戸さんの遺影みて
なんだかそんなこと思いだして…」
確かに、なんだかいろいろちゃんとしないと、
ジジィになるまで生きられないかもしれない。
ただ、生き抜いた先にジジイがあるなら(ババァでも)
…だらだらと過ごしていて
なんとなくジジイになるよりは
満足のゆくジジイになっていたいと思う。
また。この老ガンマンの台詞は
「お前の生き方では 俺の年にはなれないぞ!」
と戒めてくれているなら、
生き抜けるようなスタイルを身につけていたいと思う。
それがアランラッドも真っ青な
早撃ちなら極めてしまえと思う。
「ご冥福など けっこうじゃ」
そう怒られるので
空に聴こえるのなら…
そんな言葉は言いません。
死に方がどうでも
そんなことは関係ありません。
死んだ時が死ぬ時
それだけのことですよね 神戸さん。
あなたは素敵なジジイでした。
安らかに…。
中心からだんだんと 遠くに何重にも
真ん中の点は自分。
一つ目の円に入るのは 両親や兄弟
旦那さまや奥さん 子供はもちろんこの円の中に。
二つ目の円は 血縁の関係はないけれど
自分にとってかけがえのない“他人”
…大切な友が入る。
このZONEに入る人数は少ないだろう。
長く生きたからと言ってその数が増えるわけでなし、
ただ、最近疎遠だからと言って、消えることもない
大切な友はいくつになっても変わらない存在。
別れた奥さん 僕の場合は彼女もこのZONE。
三つ目の円は 親友とは呼べないまでも、
一緒に居ると安心する他人のみなさん。
付き合った時期や長さはさまざまで、
学生時代 それも同じサークルであるかないか
職場、こちらも同じ職場であるかないか
週末の趣味のサークル仲間やネットで
知り合いOFF会で仲良くなった同好の志。
男女 年齢はもちろん
「つながっている理由がさまざま」
いちばんバリエーションに富んでいるZONE。
知り合った当時はそれほどのこともなかったが、
環境が変わり、お互い大人になり、
ふとしたことで身近になった
そんな友人がいたら、その方もこのZONE。
四つ目の円には、なんというか
現実的に関係の深い友人が入る。
いやらしい言い方だが、ここには、
ただ今現在の直属の上司や同じ課の同僚
学生時代のサークル仲間 現在の愛人…
さまざまに深く関わり関わってきていて、
相手のことを“語ることのできる
”それくらいの距離にいる。
いま現在、頻繁に顔を会わせている。
このうち、現在の愛人などは、
突然一つ目の円に入ってくる可能性があるが、
ほかはない。
おそらくないということは知っている。
五つ目の円は さらに遠くなる。
けっこう飲みに行った前の職場の同僚の○○
中学時代あれほど毎日いっしょだったのに、
今何をしているのかも知らないし、
正直興味もない同じクラスだった○○。
毎朝、おはようございますと
声をかける隣の家の奥さん。
「いらっしゃい!!今日は早いねェ~
ビールでいいかい」焼鳥屋のオヤジ。
息子の担任の先生なんかもこれくらいの距離か。
とても大切なクライアントだったのに
取引がなくなり会うこともなくなったあの会社の部長も…
これが今も続いているなら、四つ目に昇格するけれど、
それもいつまで続くかわからない。
そうこのZONEは二つ目は難しいとしても
付き合い次第では
三つ目の円くらいに入ってくる可能性がある。
六つ目ともなると もうどうでもよい(笑)
が 見知ってはいる
…そういう顔ぶれ。
とりたてて例はあげない。
こうしてみると、中心点からの円までの距離が表すものは、
共に過ごした時間の長さではなく、
「心の距離」なのだと気がつく。
そう考えていると、どの円にも属さないのだけれど
大切な人という存在があることに、また気がつく。
いわば、“特別枠”とでもいうのか。
顔を合せる機会は2年に1度、あるかないか。
ふたりで酒を飲んだことはない
趣味も考え方も正反対
住む場所も離れている
そんなこんなで理由がなければ会うことがない。
それでも理由が出来て会うことになると、なんだか嬉しい。
いま なにをしているのか?
なにが好きなのか?
話してみたい…そういう気分になることが不思議だ。
自分にとって「意味のある人」
片思いかも…一方的な存在なのかもしれない。
先日コピーライターの神戸真さんがお亡くなりになりました。
享年51歳
ひとり暮らしの彼が世を去ったその姿を
最初に見たのは大家さん。
玄関のドアの鍵穴からだったそうです…
解剖されて判明した死因は「脳梗塞」
実際にいつ倒れたのかは知る術もなし。
その訃報を僕が聞いた時には
もうお骨にされていて、
ご実家のある三重県に戻っていました。
数日後、神戸さんの住んでいたマンションの部屋で
簡単なお焼香ができたのは、
お兄さんお姉さんのおかげ。
あいだを繋いでくれた友人たちのおかげ。
広告の発注主であり、ディレクターとして、
僕が神戸さんと仕事を頻繁にしていた時代は
もう15年以上前になります。
「神戸さんは 生まれる時代が違ったんじゃないですか?」
「…なぜ?…じゃあ いつが良かったというんじゃ」
「明治維新 改革の時代ですね。
知り合った当時は、室町のお公家さんの
イメージだったんですが」
「うーん どっちも嫌だな」
「日本がわさわさとしている時代
絣の着物に革靴履いて 山高帽子にステッキ持って
… そうだなあ 大手新聞社なんかじゃなくて、
大衆が喜びそうなカストリ雑誌に好きなこと書いて
編集者から 先生…先生 なんて呼ばれて…
けっこう締め切りに追われているのに、
書かないで、言いたいことばかり言って…
なんだかそういうイメージなんです」
「…うーん 大手出版社がいいな
それに状況的には今となにも変わらんじゃないか!」
「なんというか ストレスのかかり具合が違うというか
あの時代なら感じずに過ごせたのかと…」
「へんなこと言うなあ~はじめて言われたなぁ~」
こんな会話をしたのを覚えています。
あるFCの取材で沖縄に行った時に、
接待され連れて行かれた
地元のクラブでは、ホステスさんに囲まれて
恥ずかしいんだけれど、
なんか言わなきゃ気が済まなくて
言ったら言ったで恥ずかしくて
それでも言っちゃう神戸さん…
「その 見えそうで見えない
胸元はなんとかならんものか」
「♡…ええ~ダメですかぁ~♡」
「見せるんなら見せる
見せないんなら見せない
はっきりしなさい」
「♡~チラッ」
「……け…けしからん!」
「♡…でも
うちィ~あんまり大きくないんです~♡」
「………!
そうか よいよい
想像してしまったじゃないか」
「エッチやわあ~お客さん」
「エッチでなにが悪い
ふんっ!!」
「胸の小さい女の娘はキライデスかぁ~」
「…それは そうだなあ~……
くっ…苦しゅうない」
「あとお ワタシ 乳の輪が大きいんです
~きゃ 恥ずかしい」
「……… ! だ…だいじ オッほん !
大事なのは乳首じゃ
キミの乳首はなにか
…その色はなに色じゃ」
「ええっ~ 普通ですよ 」
「普通なんて返事があるか愚か者!
ピンクなのか…と聞いておるんじゃ」
「ええっ~じゃあ~
ミテ ミマスカ?♡~」
「…… ……?
いや その …いい
結構じゃ!
み…見るに堪えん!!」
こんな神戸さんが僕は大好きでした。
他の誰かだと聞くに堪えない
古典的ですらあるこんな下世話な会話でも、
神戸さんならずっと聞いていたくなるのです。
亡くなられてなお
こんなことを暴露して
…それでも僕は最後まで神戸さんをいじります。
いじられて嬉しい神戸さん
素顔はとても真面目な神戸さん
頑固で筋が通らないことは大嫌い…
それでいて温かみとユーモアがある神戸さんは
僕にとっての特別枠です。
神戸さん。
よく散歩をしていただいた
ミルキーがそちらにいるハズです。
朝、起きたら1日2回朝夕にお散歩お願いします。
そして、散歩の途中に雲の隙間から下界を覗き込んで…
「いかんな もんやさん それはいかんよ」
と 声をかけてください。
たとえその声が聴こえてこなくても
そう言ってくれているんだと思い
日々 生きていこうと思います。
お焼香に連れて行ってくれたM君
(副作用でフラフラしていたので
車で送り迎えしてくれたのです)が、
帰りの車中で言いました。
「思い出したんですよね。前に見た西部劇の映画で…
若いアンちゃんが 老ガンマンに拳銃を向け…
『ジジイは引っ込んでろ!…』
とかなんとか言うシーンがあって、
そう言われた老ガンマンが言うんです
『オマエはそのジジイになることはないだろう』って…
…今の時代でも、ジジイになるのって、
大変なことなのかもしれないなあって
神戸さんの遺影みて
なんだかそんなこと思いだして…」
確かに、なんだかいろいろちゃんとしないと、
ジジィになるまで生きられないかもしれない。
ただ、生き抜いた先にジジイがあるなら(ババァでも)
…だらだらと過ごしていて
なんとなくジジイになるよりは
満足のゆくジジイになっていたいと思う。
また。この老ガンマンの台詞は
「お前の生き方では 俺の年にはなれないぞ!」
と戒めてくれているなら、
生き抜けるようなスタイルを身につけていたいと思う。
それがアランラッドも真っ青な
早撃ちなら極めてしまえと思う。
「ご冥福など けっこうじゃ」
そう怒られるので
空に聴こえるのなら…
そんな言葉は言いません。
死に方がどうでも
そんなことは関係ありません。
死んだ時が死ぬ時
それだけのことですよね 神戸さん。
あなたは素敵なジジイでした。
安らかに…。
明日から、また抗がん剤を入れることになりました[紋谷のソコヂカラ]
投稿日時:2011/02/14(月) 23:36
昨年の10月段階の選択は、
上がり続ける がんマーカー値を前に、
“継続の効果”を期待して、免疫療法の次のSTEPに
チャレンジするか、いったん抗がん剤で、
癌の活性を抑えることを優先するのか…
この二者択一を迫られて、
結局 免疫療法を選びました。
免疫療法によって、僕のリンパ球が活性して、
癌の増殖を食い止めることが出来たなら、
これほどよいことはなく
大いに期待してのチャレンジでしたが…
1クールを終え 年明けの検査結果では
… 「効果なし」
残念な結果となりました。
といっても、目に見える効果
=マーカー値を下げる
ということに効果がなかっただけで、
実際にリンパの注入は
僕の体によい効果をもたらしているのでは
と思っています。
体の基礎代謝が強くできているらしいことは
以前もお話しましたが、それでも
ここまで癌が活性していて目立った症状がでない
ということはチャレンジした
免疫療法が関係していると感じています。
もし、リンパ球療法をしていなかったなら
もっと症状が出てきていたのかもしれません。
比べていないのでわからないからといって
目に見えない効果だからといって 侮ることはできません。
免疫療法ののクリニックでの検査では、
現在AFP(マーカー)の値は “53000”
間をおかず、癌センターでもCTと血液検査をしまして
そちらの検査ではAFP値 “51000”
両肺にあった腫瘍は倍くらいの大きさになっています。
※2000の差は検査の仕方やタイミングでの誤差です
ただ、幸いなことに 他の臓器への転移をはじめ
相変わらず残っている首リンパ部の腫瘍に
目立った変化は見られません。
これは以前にも書いたことですが、
少なくともここまでの経緯を見ると
「僕の癌の活性は 肺の腫瘍の大きさがもたらしている」
と見てとれます。
つまりマーカー値=肺の腫瘍という“感じ”なのです。
実際はそんなに単純なものではなく
患者本人がわかりやすく受け止めたいが故に、
目に見えることで理解しているだけのことかもしれませんが、
それでも素人なりに治療への期待を込めて解釈すると
「肺の腫瘍を小さくできれば
癌の活性を抑えたことになるのでは」
と思うのです。
大局に立てば些細なことのようで
実際に病気に対する本人としては
こういう理解が大切で
この理解が目標となり
戦う気持ちにつながります。
単純なようでこの目標を持てる
ということは大きいことで
目標がないまま
つらい抗がん剤治療を続けている患者を思えば
とても幸せなことでもあります。
抗がん剤はNI
…昨年まで入れていたものと同様のセットです。
山は3つ あります。
●まず
久しぶりの投薬での副作用が心配
●次に
ここまで活性している癌の進行を食い止められるか
●そして
うまいこと効いたとして
その効果…どこまで持続できるか
この3点です。
もちろん 真ん中の山がいちばん重要なのでして、
「久しぶりだから効くのか」
「敵が大きすぎて 効かないのか」
このあたりは入れてみなければわかりません。
悲しいことをいえば、
今回の抗がん剤が効かないとなると
「いよいよ覚悟」の局面です。
そんなこと言っても
もんやの場合はなんだかんだ大丈夫なんじゃないの?
はい はい そのつもりですが
その なんだかんだ
がいろいろ大変なのです
まあ なんだかんだあったりするのが
人の道ということはわかってはいても、
“なにが なんだ”で、
“どこが かんだ”か わからない
というのは 怖いですね。
バーナード ショウは“死ぬ間際に”
こう言ったそうです
「もたもたしてたら、こうなることは分かっていた」
そして、昨年、ザッケ ローニは遠藤に
「日本は無駄なパスが多すぎる」
…と、
時代もフィールドも、国も、立場も職業も違う
ふたりからの教訓はようするに同じ事です。
寒いとか 雪だとか
あいつがアホだとか
時間がないだとか
言っていないで
みんな頑張りましょう
ぼくも 頑張ります。
では、行ってまいります。
次回は
「副作用に苦しむ姿を自虐的にユーモアを交えて
ご紹介できるくらいであれば、よし」
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