紋谷のソコヂカラ ブログテーマ:戯れ言
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投稿日時:2012/01/22(日) 18:42正月元旦
弟の家族に、寝ていた離れを明け渡し
久しぶりに母屋の座敷に寝た。
座敷と言っても
母のなんだかいろいろなもので溢れていて
物置と化しているのですが、
まあなんとか
自分の寝床のスペースを確保した。
母のおせちを食べて
父といくばくかの日本酒を呑み早くに床につく。
子供の頃 風邪をひいて
学校を休んだ時は
この座敷に寝かされた。
高熱が出たりすると
この座敷はワンダーランドになる。
布団枕元から
小さい空中戦艦の大群が登場すると
枕元の火鉢の中から
こちらも巨大な円盤が次々に
浮かび上がって…
迎え撃つ。
布の中から大きなドラゴンが
のそのそと姿を現すと
上半身裸の原住民たちが
ホウホウいいながら
ドラゴンめがけて槍を投げる、
ドラゴンはあたり構わず
火をまき散らし、
その巨大な尾で
原住民たちをなぎ倒すのだ。
天井は小人の忍者たちが
駆け回り飛び回り
手裏剣を投げ合うのです。
熱に浮かされて、
そんな白日夢
…みたなあ。
座敷の天井は意外に高くて、
襖の上には欄間が…
ああそういえば
この欄間は
じいさんが手作りした…
と聞いたことがある。
ちょうど反対には大きな書額が、
「 雲如福 」とある…
こちらもじいさんの手によるものらしい。
さて本題。
僕は自分の「紋谷」という
名字のいわれを知りたいのです。
最近になってそう思うようになった
のではなく、もうかなり前から
知りたいと思っていた。
名前は まあ親の趣味
みたいなもので
存命なら聞けばわかってしまうが、
名字はいつからかの時代から
脈々とつながっているわけで、
その始まりとまではゆかずとも、
いわれくらいは知っておきたい。
といっても、父親の親戚筋も誰も知らず
もちろん知り合いにも
同じ名字の持ち主はいないので、
おいそれとは分からない。
10年くらい前に 知り合いに
「どんな名字でもそのいわれを調べてくれる…
大学教授だか国文学者だかの
先生がいるから聞いてあげるよ」といわれ、
それではとお願いしたのだが、
何年かして聞いたら
その先生が行方不明になってしまった
とかでそれきりになってしまった。
“ありふれた”名字の方には、
こういう悩みというか発想はないのだろう。
しかし、同じ “山田”という
(はい 悪気はないですよ)
ありふれた名字でも
その出自は、それはもう千差万別なわけで、
「俺の山田はお前の山田とは、
格が違うんじゃ~ボケ」
みたいなことを「証明」したくはならないか…
などと 余計なことを思ったりするのですが、
それでもどんなに出来がよくても
“山田は山田な訳で”
…そのありふれた名字“だけ”に限れば
ノスタルジーもロマンもなんもなく、
ただ「山と田んぼに囲まれた村の何某」
に行き着くのは間違いないのでしょうが。
こちとらは…そうはゆかないのです。
“紋”が紋章の“紋”であるなら、
どこかの国の隠れ谷に
王家の財宝を管理する一族がいて、
その一族にのみ一子相伝で託される
財宝の在りかを記された巻物が託される
……みたいなことになる
可能性が非常に高いのですから。
「うーん わたしもそう思って
気にして調べたことがあるが
…結局わからなかった」
と、父も自分の名前は気にしていたようでしたが、
父がそういうことを気にし始める前に
じいさんは亡くなったので、
ちゃんと聞くこともできず
終いだったようです。
じいさんは、群馬で時事新報という
かつての新聞社で記者をしていた。
その後、静岡に越し、
嫁(ばあさん)をめとり
居を構える。
そこまではいいのですが、
どうもこのじいさん、
放蕩者というか、
静岡に越してきてからは、
あまり働きもせずに、
つらつらと毎日、好きなことをして
暮らしていたふしがありまして、
その好きなことの中に、
「板を削り欄間を彫ったり」
「書に思いついた言葉をしたためたり」
…小説を書いていたなんて話もあり…
たしかに数少ない当時の写真でみると
山高帽にシルクハットだったり、
着流しにマフラーなんて、
ついぞウチの田舎では見かけない
(しかも大正の初めの頃)姿で写っていて、
ずいぶん洒落者なんだ
という印象を受けるのです。
そのじいさん方の親戚とは、
まったくつながりがないので、
どこにどなたか紋谷何某…さんが
生きていらっしゃるものか…
と、もし、そのつてで
「紋谷の秘密(笑)」が
あきらかにされるのなら、
足を運びたいと思っているのです。
キーワードはふたつ
群馬前橋の北の方 そして 明智光秀
前橋の北の…には
“紋谷”の名字がいつくかあった。
しかしそれもワシが全国の
体育大会で参加した際に
近くまで行ったので調べてみたのだが、
それはもう40年も前の話し…と父。
どうも明智光秀末裔らしい…
も父の話し。
僕が子供の頃
(たぶんそれが40年前なのかと…)
にも聞いた覚えがある。
この明智光秀というのがよく分からない
…明智光秀といえば 美濃だろう…
Wikiで見ても山形 長野…?…
いずれにしろ、群馬の出
ということはなさそうだ
しかし、父が40年の時を隔て
息子にでまかせを言うと
言うのもおかしいので、
なにかのつながりは
あるかもしれない。
まあ、そういうものも
ロマンのうちなのだろうと、
頭の隅に置くことにして、
できれば今年中には突き止める
そういうつもりでおります。
弟の家族に、寝ていた離れを明け渡し
久しぶりに母屋の座敷に寝た。
座敷と言っても
母のなんだかいろいろなもので溢れていて
物置と化しているのですが、
まあなんとか
自分の寝床のスペースを確保した。
母のおせちを食べて
父といくばくかの日本酒を呑み早くに床につく。
子供の頃 風邪をひいて
学校を休んだ時は
この座敷に寝かされた。
高熱が出たりすると
この座敷はワンダーランドになる。
布団枕元から
小さい空中戦艦の大群が登場すると
枕元の火鉢の中から
こちらも巨大な円盤が次々に
浮かび上がって…
迎え撃つ。
布の中から大きなドラゴンが
のそのそと姿を現すと
上半身裸の原住民たちが
ホウホウいいながら
ドラゴンめがけて槍を投げる、
ドラゴンはあたり構わず
火をまき散らし、
その巨大な尾で
原住民たちをなぎ倒すのだ。
天井は小人の忍者たちが
駆け回り飛び回り
手裏剣を投げ合うのです。
熱に浮かされて、
そんな白日夢
…みたなあ。
座敷の天井は意外に高くて、
襖の上には欄間が…
ああそういえば
この欄間は
じいさんが手作りした…
と聞いたことがある。
ちょうど反対には大きな書額が、
「 雲如福 」とある…
こちらもじいさんの手によるものらしい。
さて本題。
僕は自分の「紋谷」という
名字のいわれを知りたいのです。
最近になってそう思うようになった
のではなく、もうかなり前から
知りたいと思っていた。
名前は まあ親の趣味
みたいなもので
存命なら聞けばわかってしまうが、
名字はいつからかの時代から
脈々とつながっているわけで、
その始まりとまではゆかずとも、
いわれくらいは知っておきたい。
といっても、父親の親戚筋も誰も知らず
もちろん知り合いにも
同じ名字の持ち主はいないので、
おいそれとは分からない。
10年くらい前に 知り合いに
「どんな名字でもそのいわれを調べてくれる…
大学教授だか国文学者だかの
先生がいるから聞いてあげるよ」といわれ、
それではとお願いしたのだが、
何年かして聞いたら
その先生が行方不明になってしまった
とかでそれきりになってしまった。
“ありふれた”名字の方には、
こういう悩みというか発想はないのだろう。
しかし、同じ “山田”という
(はい 悪気はないですよ)
ありふれた名字でも
その出自は、それはもう千差万別なわけで、
「俺の山田はお前の山田とは、
格が違うんじゃ~ボケ」
みたいなことを「証明」したくはならないか…
などと 余計なことを思ったりするのですが、
それでもどんなに出来がよくても
“山田は山田な訳で”
…そのありふれた名字“だけ”に限れば
ノスタルジーもロマンもなんもなく、
ただ「山と田んぼに囲まれた村の何某」
に行き着くのは間違いないのでしょうが。
こちとらは…そうはゆかないのです。
“紋”が紋章の“紋”であるなら、
どこかの国の隠れ谷に
王家の財宝を管理する一族がいて、
その一族にのみ一子相伝で託される
財宝の在りかを記された巻物が託される
……みたいなことになる
可能性が非常に高いのですから。
「うーん わたしもそう思って
気にして調べたことがあるが
…結局わからなかった」
と、父も自分の名前は気にしていたようでしたが、
父がそういうことを気にし始める前に
じいさんは亡くなったので、
ちゃんと聞くこともできず
終いだったようです。
じいさんは、群馬で時事新報という
かつての新聞社で記者をしていた。
その後、静岡に越し、
嫁(ばあさん)をめとり
居を構える。
そこまではいいのですが、
どうもこのじいさん、
放蕩者というか、
静岡に越してきてからは、
あまり働きもせずに、
つらつらと毎日、好きなことをして
暮らしていたふしがありまして、
その好きなことの中に、
「板を削り欄間を彫ったり」
「書に思いついた言葉をしたためたり」
…小説を書いていたなんて話もあり…
たしかに数少ない当時の写真でみると
山高帽にシルクハットだったり、
着流しにマフラーなんて、
ついぞウチの田舎では見かけない
(しかも大正の初めの頃)姿で写っていて、
ずいぶん洒落者なんだ
という印象を受けるのです。
そのじいさん方の親戚とは、
まったくつながりがないので、
どこにどなたか紋谷何某…さんが
生きていらっしゃるものか…
と、もし、そのつてで
「紋谷の秘密(笑)」が
あきらかにされるのなら、
足を運びたいと思っているのです。
キーワードはふたつ
群馬前橋の北の方 そして 明智光秀
前橋の北の…には
“紋谷”の名字がいつくかあった。
しかしそれもワシが全国の
体育大会で参加した際に
近くまで行ったので調べてみたのだが、
それはもう40年も前の話し…と父。
どうも明智光秀末裔らしい…
も父の話し。
僕が子供の頃
(たぶんそれが40年前なのかと…)
にも聞いた覚えがある。
この明智光秀というのがよく分からない
…明智光秀といえば 美濃だろう…
Wikiで見ても山形 長野…?…
いずれにしろ、群馬の出
ということはなさそうだ
しかし、父が40年の時を隔て
息子にでまかせを言うと
言うのもおかしいので、
なにかのつながりは
あるかもしれない。
まあ、そういうものも
ロマンのうちなのだろうと、
頭の隅に置くことにして、
できれば今年中には突き止める
そういうつもりでおります。
ボツワナと馬刺しと麻雀
投稿日時:2011/08/16(火) 17:12弟の奥さんのお兄さんの奥さまの弟さんが
ボツワナに勤務する外交官である
ということが、わかりました。
つまり僕には、ボツワナの日本大使館に
知り合いがいるということになります。
感無量です。
お金持の社長さんや 有名な政治家
人気者の映画スター あなたがどれだけ
人脈が広いか知りませんが、
ボツワナの大使館に知り合いはいないでしょう。
どうですか(低鼻高々笑) 。
もちろん あちらさんはまだ、
僕のことなど知りません。
昨日、僕が知ったくらいですから、知るわけもなく。
今後、何かの拍子に知ったとしても
嬉しくないかもしれないし、
関係を深める気など、さらさらないかもしれませんが…
だいじょうぶです。
こちらは大いに興味関心があります。
だいたいボツワナがどんな国なのか
さっぱりわからない
…ってところがワクワクします。
「ああ あの ボツワナね」
とか言えないところが うれしい。
たしか、アフリカの南の方だったか…
知ったかぶりもその程度でしょう。
民族と宗教と歴史
経済と資源 食べ物と観光地
などなど暇を見つけて勉強することにします。
いつ お招きにあずかるかわかりませんから。
ということで、わたしはいま(0814)、
弟の奥さんの生まれた場所
長野県上伊那郡箕輪町に来ています。
横浜からですと 八王子からあずさに乗り
岡谷で飯田線に乗り換えて
4時間と少しの電車旅でした。
諏訪湖から流れ出た天竜川が、
南アルプスと中央アルプスの間を流れ出て
作った谷間が伊那谷で、
河岸段丘が発達しそこに多くの集落が形成
そのひとつが箕輪町。
訪れるのは15年ぶりです。
飯田線の無人駅 木ノ下まで迎えに来てくれた
弟たちと義理の妹の実家に向かう道すがら
視界に入る周囲の山々は、変わらず雄大です。
街中の水路はアルプスからの湧水で溢れ返り
青々とした田んぼを潤しています。
同様のに、湧水はそのまま家庭の水道水で
飲むことが普通で、はい 天然水
美味しいのです。
大滝秀治な感じです。
関東や東海が真夏日で、
むせ返っているというのに
この辺りの涼しいこと
びっくりです。
「蝉の鳴き方が違うよね うるさくないよね」
…と弟が言います。
確かに。
改めて耳を澄ましてみると その通り。
けっこう鳴いているのですが、
あたりの雰囲気に同化しているというか
…気に障らないことに気がつきました。
自宅のの公園の蝉の生き急いでいるような
狂ったようなやかましさはありません。
聞けばこのあたりは8月も盆が過ぎ
17日くらいになると夏休みは終了
子供たちは2学期が始まるそうです。
10月には寒さが入り込み、
真冬には氷点下10℃を下回る、
豪雪地帯ではないものの、
寒さの厳しさはそれは大変なようです。
その分夏のテンションは、低いのか
どうなのか そこまでは聞けずじまいで
ご自宅に到着。
今年米寿を迎えられた
お母さんは毎日お元気で畑で
無農薬野菜を育てています。
取れたての枝豆を茹でてもらい
ビールなどを頂いております…と
お兄さんの奥さま(お姉さんとお呼びすることに)が
初盆(こちらの地域では新盆というそうです)の
ごあいさつからお帰りになり、
はじめましてのご挨拶もそこそこに、
僕にお土産があると言うのです。
弟夫婦より 僕の好物を聞いて、
わざわざ仕入れてくれてきたのです。
!! 見事な赤身でございます。
口に入れて 嗚呼♡
感無量。
「馬刺しがあれば 生きていける」
僕は叫びます。
「馬刺し ああ おまえはどうして馬刺しなの!」
僕は叫びます。
「馬刺し いず フォーエバー
馬刺し いず ナンバーわん!」
僕は 叫びます。
「伊那の馬刺しは 違うでしょ」
知りませんでした。
馬といえば熊本と思っていました。
信州、特に南信州伊那地区では平安の昔より
親しまれた郷土食なのだそうで、
丸山なにがしという有名な作家をはじめ
数多くの著名人が「とろける美味」と
評しているとも。
確かに評判に偽りなしの味であります。
馬の味がしっかり残りながら
それでいてしっとり滑らか
…これは熊本で食したものと遜色のない味
というかあれ以上かも。
伊那の馬刺しを食わずして
馬刺しを語ることなかれ。
その後 宴は進み お姉さんから
「弟はボツワナの外交官」という話がでるのです。
弟の奥さんのお兄さんの奥さまから
ふたつも感無量をいただいてしまった
そんなひと晩でした。
努力しても ボツワナの外交官とは知りあえません
が 努力すれば伊那の馬刺しは口に出来ます。
努力しましょう
伊那の馬刺し
食らうべしです。
◆◆◆
僕は ギャンブルはほとんどしません。
性に合わないというか、
向いていないのでしょう。
学生時代にパチンコ屋に入ったことはありますが、
うるさいし目がチカチカするし
機械相手ってのが性に合いません。
30年近く前の菊花賞で
サンエイソロン ミナガワマンナの
2-8 だか 5-8 だかの馬券をとったり、
お付き合いで買った馬券が
10万馬券に化けてしまったり
そんな経験はありますが、
ついぞ悪癖 見に付かずです。
予想するという意味が腑に落ちないのでしょう。
喜んでパクパク頂きはしますが
もう馬券は買わないでしょう。
オートやボートも連れて行ってもらったことはありますし、
その熱気も好きなのですが
お金をかけるとなると
やはり予想というものが出来ない
どうも、こちらも腑に落ちない。
宝くじもギャンブルと考えますと
買う人の意味がわかりません。
有楽町の行列など見ていると、
夢を買うというより
お金をどぶにお捨てになっているのでは
…と突っ込みたくなる。
信じられないものに賭ける
その行為を敬遠している気がします。
パドックであの、あいつの目を見るとさ(泣)とか
血統がすべてを決める そこがロマンやね
なんて人には申し訳ない。
やっぱり海物語 最高~♡ とか
あのモンキーターンのケツがいいんだよなあ~とか
オトコは黙ってさばいて チョイ差しやねえ とか
なんだか そういう方々には申し訳ないのですが
やはり なんだか僕には熱中できない のです。
唯一 麻雀は好きです。
自分自身のやり方がすべて。
そういう勝負なら いっちょやったろかい てなもんです。
いやいや パチンコも台選び
つまり自分のやり方だし
馬券も舟券も車券を買うのにも
経験と推理と直感。
つまり自分次第だぜ。
と、いわれそうですが
やはり僕の中では、その度合いは、
空の雲と地面の泥の差であります。
高校時代に覚え 学生で入り浸り
揉まれ 社会で鍛えられた
そういう麻雀です。
ただ、牌を積めば積むほど
「自分はギャンブラーではなく
ゲーマーなんだなあ」と思い知りました。
だって、さあ、麻雀を始めましょ…
って時の心づもりは、
“終わって とんとん 目指しましょ”
なのですから。
無理矢理 ファイトを沸き立たせてみても…
心のどこかで
まあ大負けしなけりゃいいわいな…
って思っている自分がいるのです。
はじまって、半ちゃん2、3回でも
TOPを取ればもう満足。
それ以上、勝とうとは思わない 思えない。
そうなると 勝てない。
勝ちたい気持ちがない人間には
勝たせてくれないのが麻雀です。
それでも、大負けしなければいい。
楽しく打てればそれでいい。
だから上がりを見逃したりもします。
わざと振り込んだりもします。
東南西北 四方が幸せな麻雀が理想です。
それでも 卓を囲む機会はめっきり減りました。
ここ10年で2回ほど。
やろうという気持ちがないわけではなく。
やろうということにならない。
あれほど毎日
チーだ ポンだの言っていたのに。
そんな折に、ひょんな機会で
卓を囲むことになりました。
しかも電動卓はおろか 麻雀台ですらない
ただの長方形の机にタオルケット敷いての手摘み麻雀。
六畳一間の高校生の下宿かい?
…ってなもんです。
無類の麻雀好きが
たまたま同じ宿の同じ部屋でくつろいでいたら …
あれ? お好きなクチ(牌をつまむ仕草)
ええ 少々 あれ?お宅も…
ええまあ
なんてことになり ではわたし 牌は持参していますので
ガサゴソガサゴソ…と宿のテーブルで、
手製の雀卓の出来あがりとなったわけです。
みなさんはじめての方
しかも僕より麻雀の歴も、
人生もベテランのみなさん。
下家はもと外務省官僚 数学科卒の秀才
対面は札幌で一番の麻雀の女性オーナー
上家はその旦那さん
という面子です。
札幌で一番の雀荘というのはプロの雀士が通い
トーナメントも開かれるというお店で
聞いたことのあるプロ雀士の名前が
ポンポン飛び出してきます
チートイツ造りが有名な
あのプロが坊ちゃん扱い
「小島武雄さんねえ~
なんどもいらっしゃったわ
あの方はいつもお静かでね~」
これは心してかからねば…という感じ。
賽が振られ始まりました。
様子見の性格が災いしてか、東1局からいいとこなし、
純チャンまで面前で作りながら
カス手にかわされてしまいます。
もと官僚さんは しゃべくり麻雀ですが
まあ 引きが強く リズムが一定で
手造りが早い。
ママさんは 場を読んだ 大胆にな手作り
華麗なる打ち回しがお見事です。
このふたりを軸に場は進んでいるように…
一見 思えるのですが いやいや実は
上家 だんなさんが 一番の強敵と僕は睨んでいました。
それでも 早い手作りのもと官僚さんが場の中心
ポンポンとあがっていきます。
そこを力で抑え込んで
ご夫婦が要所要所で
ふんばるそういう展開で
僕はといえば まったくノーホーラ
静観とは聞こえがよいのですが
手が出ずといった感じ。
僕も振り込みこそないのですが、
いかんせんツモ上がりで
目減りしてゆく点棒。
それでも、みなさん癖が分かるにつれ
牌勢も手ごたえが出てくるのですが、
南場の自分の親を蹴られてしまい…
千点棒が6本
…うーんこれまでか
…という感じ。
3局が終わり。
TOPはもと官僚で4万ほど
2位のママさんも浮いていて
3位の旦那さんが1万の余りの沈み …
そしてラスの僕。
狙いは黙テンでTOP からハネ万以上が必要。
追いつめられて
追い込むのが僕の性格と
奮いたたせるオーラス。
配牌から景色よし ツモもよし
あれよあれよとイーシャンテンに。
しかし兵どもも 力任せに早く
8順目に対面の奥さんがリーチ
もちろんあがりTOPのテンパイでしょう。
もと官僚は、
「振り込まないよ お大臣喧嘩しないよ…」
と あきらかに路線変更が見えます。
もうひとり逆転狙いの上家の旦那さんは
清一色のテンパイ気配濃厚です。
もと官僚が押さえに回ったこととママさんの勢い
…このまま黙テンでは 負けると判断したもんやも
「通れば リーチです」
と素人の発声。
通ればなんて…なんてダサい。
しかしこのいいとこなしの僕の思わぬ反撃に
みなさんのビビりが伝わってくる。
そして ママさんの捨て牌!…ロン!!
リーチ 一発 タンヤオ ピンフ イーぺーコー ドラドラ
… ハネマンです。
TOPには当然 届かずの上がりですが、
満足の出上がり。
半チャン一度の約束
別れ際に
「 わたし この1局 一生 忘れないわ 」
とママさん。
みんなが楽しんで終えた
そういう場が 僕の何よりの理想です。
ほら ギャンブラーには程遠い。
僕の麻雀スタイルが、
アマちゃんのゲーマであるということが
よくお分かりでしょ(笑)
勝負師なら あそこは リーチは掛けず
打ち回し 凌ぎ あくまでダマで
TOP目からハネマン直撃を狙うべきなのです。
ふにゃちんがぁ~!!
闘牌の描写…もっと白川 道さんくらいに
書ければよいのですが、
肝心の牌が描けないので
臨場感がお伝えできないのが残念です。
職場で半年、机を並べるより
麻雀1局囲めば その人がどんな性格か
大概わかってしまう。
まず、与えられた材料から計画を立てる
その通りに進むことはまずない
ということを知る。
選択の連続で局面がマトリックス状態で変化してゆく
同じハンチャンは人生に2度なし。
自分の持って生まれた天運と
その場で引き寄せることが出来る地運
それらの存在や
自分に吹いてくる幸運の風
というものの存在を感じる。
ボケ防止になる。
自分のことだけにかかりきりのタイプは、
結局は生き残れないということを思い知る。
他人を知り、場を読む大切さを教えられる。
たとえば 海底摸月 という役
「海の底から 月を拾う」
ああ中国悠久のロマンチック
勝てばよいというものではない。
麻雀やりたくなりましたか。
知らないって方は これから覚えましょう。
僕の友人に会社を辞めてプロ雀士になった男がいて
もうずいぶんと会っていませんが、
彼の教え方は超一流です。
彼に習えばすぐに覚えられます。
元気かなあ~ シモハラ
会いたいなあ~。
ボツワナに勤務する外交官である
ということが、わかりました。
つまり僕には、ボツワナの日本大使館に
知り合いがいるということになります。
感無量です。
お金持の社長さんや 有名な政治家
人気者の映画スター あなたがどれだけ
人脈が広いか知りませんが、
ボツワナの大使館に知り合いはいないでしょう。
どうですか(低鼻高々笑) 。
もちろん あちらさんはまだ、
僕のことなど知りません。
昨日、僕が知ったくらいですから、知るわけもなく。
今後、何かの拍子に知ったとしても
嬉しくないかもしれないし、
関係を深める気など、さらさらないかもしれませんが…
だいじょうぶです。
こちらは大いに興味関心があります。
だいたいボツワナがどんな国なのか
さっぱりわからない
…ってところがワクワクします。
「ああ あの ボツワナね」
とか言えないところが うれしい。
たしか、アフリカの南の方だったか…
知ったかぶりもその程度でしょう。
民族と宗教と歴史
経済と資源 食べ物と観光地
などなど暇を見つけて勉強することにします。
いつ お招きにあずかるかわかりませんから。
ということで、わたしはいま(0814)、
弟の奥さんの生まれた場所
長野県上伊那郡箕輪町に来ています。
横浜からですと 八王子からあずさに乗り
岡谷で飯田線に乗り換えて
4時間と少しの電車旅でした。
諏訪湖から流れ出た天竜川が、
南アルプスと中央アルプスの間を流れ出て
作った谷間が伊那谷で、
河岸段丘が発達しそこに多くの集落が形成
そのひとつが箕輪町。
訪れるのは15年ぶりです。
飯田線の無人駅 木ノ下まで迎えに来てくれた
弟たちと義理の妹の実家に向かう道すがら
視界に入る周囲の山々は、変わらず雄大です。
街中の水路はアルプスからの湧水で溢れ返り
青々とした田んぼを潤しています。
同様のに、湧水はそのまま家庭の水道水で
飲むことが普通で、はい 天然水
美味しいのです。
大滝秀治な感じです。
関東や東海が真夏日で、
むせ返っているというのに
この辺りの涼しいこと
びっくりです。
「蝉の鳴き方が違うよね うるさくないよね」
…と弟が言います。
確かに。
改めて耳を澄ましてみると その通り。
けっこう鳴いているのですが、
あたりの雰囲気に同化しているというか
…気に障らないことに気がつきました。
自宅のの公園の蝉の生き急いでいるような
狂ったようなやかましさはありません。
聞けばこのあたりは8月も盆が過ぎ
17日くらいになると夏休みは終了
子供たちは2学期が始まるそうです。
10月には寒さが入り込み、
真冬には氷点下10℃を下回る、
豪雪地帯ではないものの、
寒さの厳しさはそれは大変なようです。
その分夏のテンションは、低いのか
どうなのか そこまでは聞けずじまいで
ご自宅に到着。
今年米寿を迎えられた
お母さんは毎日お元気で畑で
無農薬野菜を育てています。
取れたての枝豆を茹でてもらい
ビールなどを頂いております…と
お兄さんの奥さま(お姉さんとお呼びすることに)が
初盆(こちらの地域では新盆というそうです)の
ごあいさつからお帰りになり、
はじめましてのご挨拶もそこそこに、
僕にお土産があると言うのです。
弟夫婦より 僕の好物を聞いて、
わざわざ仕入れてくれてきたのです。
!! 見事な赤身でございます。
口に入れて 嗚呼♡
感無量。
「馬刺しがあれば 生きていける」
僕は叫びます。
「馬刺し ああ おまえはどうして馬刺しなの!」
僕は叫びます。
「馬刺し いず フォーエバー
馬刺し いず ナンバーわん!」
僕は 叫びます。
「伊那の馬刺しは 違うでしょ」
知りませんでした。
馬といえば熊本と思っていました。
信州、特に南信州伊那地区では平安の昔より
親しまれた郷土食なのだそうで、
丸山なにがしという有名な作家をはじめ
数多くの著名人が「とろける美味」と
評しているとも。
確かに評判に偽りなしの味であります。
馬の味がしっかり残りながら
それでいてしっとり滑らか
…これは熊本で食したものと遜色のない味
というかあれ以上かも。
伊那の馬刺しを食わずして
馬刺しを語ることなかれ。
その後 宴は進み お姉さんから
「弟はボツワナの外交官」という話がでるのです。
弟の奥さんのお兄さんの奥さまから
ふたつも感無量をいただいてしまった
そんなひと晩でした。
努力しても ボツワナの外交官とは知りあえません
が 努力すれば伊那の馬刺しは口に出来ます。
努力しましょう
伊那の馬刺し
食らうべしです。
◆◆◆
僕は ギャンブルはほとんどしません。
性に合わないというか、
向いていないのでしょう。
学生時代にパチンコ屋に入ったことはありますが、
うるさいし目がチカチカするし
機械相手ってのが性に合いません。
30年近く前の菊花賞で
サンエイソロン ミナガワマンナの
2-8 だか 5-8 だかの馬券をとったり、
お付き合いで買った馬券が
10万馬券に化けてしまったり
そんな経験はありますが、
ついぞ悪癖 見に付かずです。
予想するという意味が腑に落ちないのでしょう。
喜んでパクパク頂きはしますが
もう馬券は買わないでしょう。
オートやボートも連れて行ってもらったことはありますし、
その熱気も好きなのですが
お金をかけるとなると
やはり予想というものが出来ない
どうも、こちらも腑に落ちない。
宝くじもギャンブルと考えますと
買う人の意味がわかりません。
有楽町の行列など見ていると、
夢を買うというより
お金をどぶにお捨てになっているのでは
…と突っ込みたくなる。
信じられないものに賭ける
その行為を敬遠している気がします。
パドックであの、あいつの目を見るとさ(泣)とか
血統がすべてを決める そこがロマンやね
なんて人には申し訳ない。
やっぱり海物語 最高~♡ とか
あのモンキーターンのケツがいいんだよなあ~とか
オトコは黙ってさばいて チョイ差しやねえ とか
なんだか そういう方々には申し訳ないのですが
やはり なんだか僕には熱中できない のです。
唯一 麻雀は好きです。
自分自身のやり方がすべて。
そういう勝負なら いっちょやったろかい てなもんです。
いやいや パチンコも台選び
つまり自分のやり方だし
馬券も舟券も車券を買うのにも
経験と推理と直感。
つまり自分次第だぜ。
と、いわれそうですが
やはり僕の中では、その度合いは、
空の雲と地面の泥の差であります。
高校時代に覚え 学生で入り浸り
揉まれ 社会で鍛えられた
そういう麻雀です。
ただ、牌を積めば積むほど
「自分はギャンブラーではなく
ゲーマーなんだなあ」と思い知りました。
だって、さあ、麻雀を始めましょ…
って時の心づもりは、
“終わって とんとん 目指しましょ”
なのですから。
無理矢理 ファイトを沸き立たせてみても…
心のどこかで
まあ大負けしなけりゃいいわいな…
って思っている自分がいるのです。
はじまって、半ちゃん2、3回でも
TOPを取ればもう満足。
それ以上、勝とうとは思わない 思えない。
そうなると 勝てない。
勝ちたい気持ちがない人間には
勝たせてくれないのが麻雀です。
それでも、大負けしなければいい。
楽しく打てればそれでいい。
だから上がりを見逃したりもします。
わざと振り込んだりもします。
東南西北 四方が幸せな麻雀が理想です。
それでも 卓を囲む機会はめっきり減りました。
ここ10年で2回ほど。
やろうという気持ちがないわけではなく。
やろうということにならない。
あれほど毎日
チーだ ポンだの言っていたのに。
そんな折に、ひょんな機会で
卓を囲むことになりました。
しかも電動卓はおろか 麻雀台ですらない
ただの長方形の机にタオルケット敷いての手摘み麻雀。
六畳一間の高校生の下宿かい?
…ってなもんです。
無類の麻雀好きが
たまたま同じ宿の同じ部屋でくつろいでいたら …
あれ? お好きなクチ(牌をつまむ仕草)
ええ 少々 あれ?お宅も…
ええまあ
なんてことになり ではわたし 牌は持参していますので
ガサゴソガサゴソ…と宿のテーブルで、
手製の雀卓の出来あがりとなったわけです。
みなさんはじめての方
しかも僕より麻雀の歴も、
人生もベテランのみなさん。
下家はもと外務省官僚 数学科卒の秀才
対面は札幌で一番の麻雀の女性オーナー
上家はその旦那さん
という面子です。
札幌で一番の雀荘というのはプロの雀士が通い
トーナメントも開かれるというお店で
聞いたことのあるプロ雀士の名前が
ポンポン飛び出してきます
チートイツ造りが有名な
あのプロが坊ちゃん扱い
「小島武雄さんねえ~
なんどもいらっしゃったわ
あの方はいつもお静かでね~」
これは心してかからねば…という感じ。
賽が振られ始まりました。
様子見の性格が災いしてか、東1局からいいとこなし、
純チャンまで面前で作りながら
カス手にかわされてしまいます。
もと官僚さんは しゃべくり麻雀ですが
まあ 引きが強く リズムが一定で
手造りが早い。
ママさんは 場を読んだ 大胆にな手作り
華麗なる打ち回しがお見事です。
このふたりを軸に場は進んでいるように…
一見 思えるのですが いやいや実は
上家 だんなさんが 一番の強敵と僕は睨んでいました。
それでも 早い手作りのもと官僚さんが場の中心
ポンポンとあがっていきます。
そこを力で抑え込んで
ご夫婦が要所要所で
ふんばるそういう展開で
僕はといえば まったくノーホーラ
静観とは聞こえがよいのですが
手が出ずといった感じ。
僕も振り込みこそないのですが、
いかんせんツモ上がりで
目減りしてゆく点棒。
それでも、みなさん癖が分かるにつれ
牌勢も手ごたえが出てくるのですが、
南場の自分の親を蹴られてしまい…
千点棒が6本
…うーんこれまでか
…という感じ。
3局が終わり。
TOPはもと官僚で4万ほど
2位のママさんも浮いていて
3位の旦那さんが1万の余りの沈み …
そしてラスの僕。
狙いは黙テンでTOP からハネ万以上が必要。
追いつめられて
追い込むのが僕の性格と
奮いたたせるオーラス。
配牌から景色よし ツモもよし
あれよあれよとイーシャンテンに。
しかし兵どもも 力任せに早く
8順目に対面の奥さんがリーチ
もちろんあがりTOPのテンパイでしょう。
もと官僚は、
「振り込まないよ お大臣喧嘩しないよ…」
と あきらかに路線変更が見えます。
もうひとり逆転狙いの上家の旦那さんは
清一色のテンパイ気配濃厚です。
もと官僚が押さえに回ったこととママさんの勢い
…このまま黙テンでは 負けると判断したもんやも
「通れば リーチです」
と素人の発声。
通ればなんて…なんてダサい。
しかしこのいいとこなしの僕の思わぬ反撃に
みなさんのビビりが伝わってくる。
そして ママさんの捨て牌!…ロン!!
リーチ 一発 タンヤオ ピンフ イーぺーコー ドラドラ
… ハネマンです。
TOPには当然 届かずの上がりですが、
満足の出上がり。
半チャン一度の約束
別れ際に
「 わたし この1局 一生 忘れないわ 」
とママさん。
みんなが楽しんで終えた
そういう場が 僕の何よりの理想です。
ほら ギャンブラーには程遠い。
僕の麻雀スタイルが、
アマちゃんのゲーマであるということが
よくお分かりでしょ(笑)
勝負師なら あそこは リーチは掛けず
打ち回し 凌ぎ あくまでダマで
TOP目からハネマン直撃を狙うべきなのです。
ふにゃちんがぁ~!!
闘牌の描写…もっと白川 道さんくらいに
書ければよいのですが、
肝心の牌が描けないので
臨場感がお伝えできないのが残念です。
職場で半年、机を並べるより
麻雀1局囲めば その人がどんな性格か
大概わかってしまう。
まず、与えられた材料から計画を立てる
その通りに進むことはまずない
ということを知る。
選択の連続で局面がマトリックス状態で変化してゆく
同じハンチャンは人生に2度なし。
自分の持って生まれた天運と
その場で引き寄せることが出来る地運
それらの存在や
自分に吹いてくる幸運の風
というものの存在を感じる。
ボケ防止になる。
自分のことだけにかかりきりのタイプは、
結局は生き残れないということを思い知る。
他人を知り、場を読む大切さを教えられる。
たとえば 海底摸月 という役
「海の底から 月を拾う」
ああ中国悠久のロマンチック
勝てばよいというものではない。
麻雀やりたくなりましたか。
知らないって方は これから覚えましょう。
僕の友人に会社を辞めてプロ雀士になった男がいて
もうずいぶんと会っていませんが、
彼の教え方は超一流です。
彼に習えばすぐに覚えられます。
元気かなあ~ シモハラ
会いたいなあ~。
1/32
投稿日時:2011/05/21(土) 08:26
抗がん剤で抜けた毛は、また生えてくる。
以前にも話しました。
薬によっては鼻毛やまつ毛まで抜けてしまい、
その存在意味を再発見した…とかなんとか。
それぞれの体毛は、必ず生え換わるのですが、
その順番やスピードに個性がある。
僕の場合は、とにかく鼻毛がいちばん早い
どこよりも早く生えそろう
というかじゃんじゃん伸びてくる。
次に鼻の下の髭
そしてあご髭…
シモの毛や脇の下などは
なかなか もとに戻らない。
要するに、このあたりは、
あってもなくても、
それほど困らないからではないかと推察する。
髪の毛などは なかなか微妙で、
生え換わると…
「柔らかくなる」などと言うが
その通りのようだ。
どうせ、生え換わるんなら、
じゃんじゃん生えて欲しいものなのだが…
薄い個所は やはり遅く
生えない個所は …やはり生えない
よくしたものである。
僕の場合 かれこれ 20回以上は
抜けたり生えたりしているので
体の方も面倒くさくなっている
のではないかと思う。
「また 抜けたの?
また 生やすの?
…もういい加減にしてくれ」
その気持も分かる 髪の毛とか
もう伸ばすのは面倒くさい
と本人が思っているのだから。
さて、そんな僕の体毛には
ひとつ不可思議なことがある。
たまに「黄金の毛」が生えてくるのです。
最近のことではなく
小さいころから…
髪の毛はもちろん二の腕やむこうずねや
髭が伸びるようになってからは、
鼻の下や顎の下 シモの毛にまで
時折 「黄金の毛」が生えてくる。
ドサッっと生えてくるわけでなし
ごくたまにポツポツと生えてくる。
この歳になっても変わらず生えてくる。
それがここ数年では、抗がん剤の効き目が抜けて
新しく生えてくるタイミング、
わりと早いタイミングで生えてくる
「おっ! 毛が生えてきたな
…あれ!? 金色の毛だ!」
という感じ…
かなり目立つようになってきた。
このままゆくとそのうち全部
金色の毛に生え換わるのではないかと
…実はひそかに期待している。
ということで たぶん僕の祖先には
外人さんがいたように思う。
というかそうに違いない。
じいちゃん世代までは
生粋の日本人であることは分かっているので
そのもっと先…5世代くらい遡ったあたりに
金髪の祖先がいるはずである。
5世代遡ると…250年くらい前
…江戸中期あたりか。
ヨーロッパのどこかの国の船が
嵐に難破して東洋の果て
ジパングに流れついた。
たったひとり生き残った若き将校…
それを助けた漁村の娘
そしていつしか… 恋に落ち…
生まれ落ちる禁断の証…
隠して育てられ数奇な運命を…
とか、そういうことに違いない。
スペインやオランダというのではつまらないので
この際、アイルランドということにしよう。
いいねアイルランド。
ということで僕には
「 1/32 アイルランド人の血が混じっている 」
ふふふ どうだ。
嘘だと思うのなら
こんどわが黄金の毛を
見せてさしあげようではないか。
これから 気軽に話しかけないでもらいたい。
なにせ僕は 1/32アイルランド人なのだから。
◆◆◆
2週間ほど前
左の胸に差し込まれるような
痛みが走った。
はじめて経験する痛み。
激痛であります。
いよいよきたか!?
…と翌日、病院に。
肺の腫瘍は大きくなれば
胸の神経に触れて痛みだす
…とは聞いていて理解していたので
ついにきたのか、
始まったのか…と。
急なことでレントゲンだけでの診断
…確かに大きくはなっているものの
胸の内側の神経に触れているのか
どうかは、その画像ではわからない。
結局、主治医も断定はできなかったものの
おそらく…腫瘍のせいであろう
ということになって、
2種類の痛み止めを処方してもらう。
ひとつは軽めのクスリ
もうひとつは強いクスリ
(こちらは 調剤薬局で…
処方についてくどくど聞かれた
なかなか処方しないクスリらしい)
…それから痛みは徐々に治まっている。
はじめは息をすると痛みが走る状態でしたが、
今は、大きく息を吸い込んでも痛まない。
癌の痛みは波の様だと主治医が教えてくれた。
痛んだり痛まなかったり
大きな波から小さい波へと進むらしい。
…それでも ただいま現在、
まったく痛まないのだから
…まあ よしとしよう。
先のことは先に考えればよい。と思っている。
◆◆◆
いま、旧友が47歳にして
はじめてインドネシアにひとり旅をしている。
インドネシアが “はじめて”なのではなく、
ひとりで海外に旅行する
ということ自体がはじめてということだ。
「ひとり旅をするやつなんて
友達のいない奴だとしか思えない」
と嘯いていた彼が、
この旅をするまでには
いろいろな用件が重なった。
そもそも、ひとりで行く予定ではなかったのだが、
偶然が重なり 期日も直前になり…開き直った感はある。
僕には 誰かれ構わず
ひとり旅を薦める性癖があるので、
結果、この旧友の旅をうれしく思っている。
たとえ、どこでも構わない
もちろん国内でも…なんなら
隣の県でも構わないので
ひとり旅を薦める。
月日は百代の過客にして、
行かふ年も又旅人也。
舟の上に生涯をうかべ、
馬の口とらえて老をむかふる物は、
日々旅にして旅をすみかとす。
…そういう意味では 人生、
そのものが旅だから
もう十分ともいえるのでありますが、
そぞろ神の物につきて心をくるはせ、
道祖神のまねきにあひて、
取るもの手につかず。
…という心持にならない
人がいるというのが
僕には信じられないのであります。
なにかブームが起きないと、
もう日本人はうちにこもる方向しかないのか
…と思ってしまいます。
ブームと言う意味では
沢木耕太郎 「深夜特急」
という本は若者を世界に向かわせた代表作。
それより以前となると
「なんでもみてやろう」小田実 です。
以前にも話しました。
薬によっては鼻毛やまつ毛まで抜けてしまい、
その存在意味を再発見した…とかなんとか。
それぞれの体毛は、必ず生え換わるのですが、
その順番やスピードに個性がある。
僕の場合は、とにかく鼻毛がいちばん早い
どこよりも早く生えそろう
というかじゃんじゃん伸びてくる。
次に鼻の下の髭
そしてあご髭…
シモの毛や脇の下などは
なかなか もとに戻らない。
要するに、このあたりは、
あってもなくても、
それほど困らないからではないかと推察する。
髪の毛などは なかなか微妙で、
生え換わると…
「柔らかくなる」などと言うが
その通りのようだ。
どうせ、生え換わるんなら、
じゃんじゃん生えて欲しいものなのだが…
薄い個所は やはり遅く
生えない個所は …やはり生えない
よくしたものである。
僕の場合 かれこれ 20回以上は
抜けたり生えたりしているので
体の方も面倒くさくなっている
のではないかと思う。
「また 抜けたの?
また 生やすの?
…もういい加減にしてくれ」
その気持も分かる 髪の毛とか
もう伸ばすのは面倒くさい
と本人が思っているのだから。
さて、そんな僕の体毛には
ひとつ不可思議なことがある。
たまに「黄金の毛」が生えてくるのです。
最近のことではなく
小さいころから…
髪の毛はもちろん二の腕やむこうずねや
髭が伸びるようになってからは、
鼻の下や顎の下 シモの毛にまで
時折 「黄金の毛」が生えてくる。
ドサッっと生えてくるわけでなし
ごくたまにポツポツと生えてくる。
この歳になっても変わらず生えてくる。
それがここ数年では、抗がん剤の効き目が抜けて
新しく生えてくるタイミング、
わりと早いタイミングで生えてくる
「おっ! 毛が生えてきたな
…あれ!? 金色の毛だ!」
という感じ…
かなり目立つようになってきた。
このままゆくとそのうち全部
金色の毛に生え換わるのではないかと
…実はひそかに期待している。
ということで たぶん僕の祖先には
外人さんがいたように思う。
というかそうに違いない。
じいちゃん世代までは
生粋の日本人であることは分かっているので
そのもっと先…5世代くらい遡ったあたりに
金髪の祖先がいるはずである。
5世代遡ると…250年くらい前
…江戸中期あたりか。
ヨーロッパのどこかの国の船が
嵐に難破して東洋の果て
ジパングに流れついた。
たったひとり生き残った若き将校…
それを助けた漁村の娘
そしていつしか… 恋に落ち…
生まれ落ちる禁断の証…
隠して育てられ数奇な運命を…
とか、そういうことに違いない。
スペインやオランダというのではつまらないので
この際、アイルランドということにしよう。
いいねアイルランド。
ということで僕には
「 1/32 アイルランド人の血が混じっている 」
ふふふ どうだ。
嘘だと思うのなら
こんどわが黄金の毛を
見せてさしあげようではないか。
これから 気軽に話しかけないでもらいたい。
なにせ僕は 1/32アイルランド人なのだから。
◆◆◆
2週間ほど前
左の胸に差し込まれるような
痛みが走った。
はじめて経験する痛み。
激痛であります。
いよいよきたか!?
…と翌日、病院に。
肺の腫瘍は大きくなれば
胸の神経に触れて痛みだす
…とは聞いていて理解していたので
ついにきたのか、
始まったのか…と。
急なことでレントゲンだけでの診断
…確かに大きくはなっているものの
胸の内側の神経に触れているのか
どうかは、その画像ではわからない。
結局、主治医も断定はできなかったものの
おそらく…腫瘍のせいであろう
ということになって、
2種類の痛み止めを処方してもらう。
ひとつは軽めのクスリ
もうひとつは強いクスリ
(こちらは 調剤薬局で…
処方についてくどくど聞かれた
なかなか処方しないクスリらしい)
…それから痛みは徐々に治まっている。
はじめは息をすると痛みが走る状態でしたが、
今は、大きく息を吸い込んでも痛まない。
癌の痛みは波の様だと主治医が教えてくれた。
痛んだり痛まなかったり
大きな波から小さい波へと進むらしい。
…それでも ただいま現在、
まったく痛まないのだから
…まあ よしとしよう。
先のことは先に考えればよい。と思っている。
◆◆◆
いま、旧友が47歳にして
はじめてインドネシアにひとり旅をしている。
インドネシアが “はじめて”なのではなく、
ひとりで海外に旅行する
ということ自体がはじめてということだ。
「ひとり旅をするやつなんて
友達のいない奴だとしか思えない」
と嘯いていた彼が、
この旅をするまでには
いろいろな用件が重なった。
そもそも、ひとりで行く予定ではなかったのだが、
偶然が重なり 期日も直前になり…開き直った感はある。
僕には 誰かれ構わず
ひとり旅を薦める性癖があるので、
結果、この旧友の旅をうれしく思っている。
たとえ、どこでも構わない
もちろん国内でも…なんなら
隣の県でも構わないので
ひとり旅を薦める。
月日は百代の過客にして、
行かふ年も又旅人也。
舟の上に生涯をうかべ、
馬の口とらえて老をむかふる物は、
日々旅にして旅をすみかとす。
…そういう意味では 人生、
そのものが旅だから
もう十分ともいえるのでありますが、
そぞろ神の物につきて心をくるはせ、
道祖神のまねきにあひて、
取るもの手につかず。
…という心持にならない
人がいるというのが
僕には信じられないのであります。
なにかブームが起きないと、
もう日本人はうちにこもる方向しかないのか
…と思ってしまいます。
ブームと言う意味では
沢木耕太郎 「深夜特急」
という本は若者を世界に向かわせた代表作。
それより以前となると
「なんでもみてやろう」小田実 です。
この男は 小説家でもあり
左翼の運動家でもあって
「人間の行動原理は
財産欲より性欲だ!」
なんてことを唱えるような人で、
彼が 僕の生まれた年に発表した作品が
「なんでもみてやろう」であります。
「深夜特急」がアジアを東から西に向かわせる
ブームなら「なんでも…」はベストセラーになり
若者をヨーロッパに向かわせるブームとなった本です。
この本が出版された時代は、
「知りたい 見てみたい 感じたい」
と自然に欲求が高まったのでしょうが、
知識としてなら 手に入らないものは
ほとんどない現代で
「聞くと見るとじゃ大違い」
ってことを叫んでも、
大きなお世話になってしまうのが
…なんともつまらないです。
…旧友から メールが入りました
「明日は いよいよ ジェゴク(民族音楽)を聴きに
…という段になり 原因不明の下痢と嘔吐に悩まされ
びびりましたが …寝たら治りましたひとり旅は奥が深い…」
帰国した彼から
みやげ話を聞くのが楽しみであります。
左翼の運動家でもあって
「人間の行動原理は
財産欲より性欲だ!」
なんてことを唱えるような人で、
彼が 僕の生まれた年に発表した作品が
「なんでもみてやろう」であります。
「深夜特急」がアジアを東から西に向かわせる
ブームなら「なんでも…」はベストセラーになり
若者をヨーロッパに向かわせるブームとなった本です。
この本が出版された時代は、
「知りたい 見てみたい 感じたい」
と自然に欲求が高まったのでしょうが、
知識としてなら 手に入らないものは
ほとんどない現代で
「聞くと見るとじゃ大違い」
ってことを叫んでも、
大きなお世話になってしまうのが
…なんともつまらないです。
…旧友から メールが入りました
「明日は いよいよ ジェゴク(民族音楽)を聴きに
…という段になり 原因不明の下痢と嘔吐に悩まされ
びびりましたが …寝たら治りましたひとり旅は奥が深い…」
帰国した彼から
みやげ話を聞くのが楽しみであります。
屁理屈礼賛
投稿日時:2011/05/05(木) 15:03
「時間を大切に…」
ここ数年、このあたりまえのことに、こだわっている。
あたりまえすぎて、日常の行動に活かしずらい
そう、あまりに当たり前すぎて…。、
「これって意味あるの?」
こう自問することで
行動の取捨選択は分かりやすくなる。
何事も単純化できるかにかかっているのだ。
単純化できないことも多いし、
また、意味があろうがなかろうが
やらなきゃならないこともある
…むしろそんなことばかりだ。
がしかし、
ほんとうにそうだろうか?
「意味がないように感じたのなら
あるようにする術はないのか?」
こう考えてから“はじめること” “ことを起すこと”に
こだわっている時間には…意味がある。
こだわってみて
それでも うーん 無意味だ…と思うなら
思い切ってやらない
そちらが正しい。
まあ それくらいちっちゃなことに、
こだわるだけでも、意外に日常の無駄は解消できる。
ここ数年そういう意味ではいろいろスリムになった。
今までが、いかに適当になんとなく
「昨日の次が今日で 明日は今日の先にある」
という緩やかな怠惰のもとで
生きていたのかと思えたりする。
…なんと理屈っぽい(笑)
GWに帰省してわが実弟と話すと…
嗚呼!もんや兄弟の
なんと理屈の多いことか。
弟の嫁さんのまた始まった…
という横顔を見るにつけ、
嗚呼! 確かに
われわれ兄弟の会話の理屈の多いことか。
そもそも父親のせいには違いない。
物ごころつくぐらいから
理屈の中で暮していた気がする。
もういま思い返すと それは屁理屈だろう…
というようなことも
理屈となって、刷り込まれていた。
「お誕生日おめでとう 今夜は豚の丸焼きを食べよう」
「?? …これって 豚の丸焼きなの?」
「そうだよ 美味しいだろう」
「美味しいけど この 細長いのはなに?」
「それは 豚のおちんちんだよ」
「ええっ! おちんちんなの?… こっちは?」
「それは足に決まっているじゃないか?」
「ええっ!? 豚は足よりおちんちんの方が 長いの?」
「そうだよ」
それはただの鳥の丸焼きであり、
その長細い部位は、おちんちんなどではなく
ただの“首”なのですが、
小学校をあがるまで
僕は あの長いものを
豚のおちんちんだと信じていた。
中学になり
「父さん 嘘をついたね
あれはただの鳥肉じゃないか!?」
と、父親に指摘すると、
「すぐ答えが分かるのは、冗談であり、
分からないのが 嘘である。
それがわからないのは、長男よ
お前が未熟なだけなんだ。
わたしは単なる冗談を言ったまでで、
嘘などついていない」
と怒られた。
完全に 屁理屈である。
ちなみに、この歳になる今でも
クリスマスに七面鳥の丸焼きなどを見ると
一瞬、長い首がおちんちんに思えてしまう。
「どうして シェーンはどこかに行っちゃうの?
悪者をやっつけたんだから
いっしょに暮せばいいじゃん?」
「シェーンにはあの山のむこうに家族がいるんだよ。
だからそこに帰んなきゃならないのさ」
「ええっ~!? 家族がいるの?
ふーん。でもさあ、家族がいるのに
この女の人を助けたの…なんかへんなの?」
「じゃあ 助けない方がよかったと思うのか?」
「そうは思わないけど…
可哀想じゃん いなくなったらさあ」
「シェーンはもう死んでいるんだよ あの馬の上で…
ほら 手をだらんと伸ばしてただろ 」
「ええっ!!
死んでいるの!?
死んでいるのに…??」
「それでも帰るんだよわが家に男だから
この西部劇は 男はわが家が一番って話しなんだよ」
翌日 学校で担任の先生と
お弁当食べながら シェーンの話しになった。
「シェーンは家に残した奥さんのもとに帰るんだよ」
というと…訳が分からないという顔になり?
「それは 間違いだと思うよ。
シェーンは自分がいてはいけないと決めて
その信じる心に従っただけだよ」
と言われたので
帰ってその話を父親にすると
「おまえの担任は独身だからな。
まだ わからないんだよ。
男はとにかくわが家に帰る
撃たれても なんでも
死んでも帰る。
そういうもんだ」
こうなると これはもう屁理屈ですらなく
単なる曲解の押しつけでしかなく、
いいのかそういう教育で
…といえなくもないのだが、
…「撃たれても帰る」って
なんだかかっこいいなあ
…と思わないでもなく
そうやって僕の価値観は出来あがっていった。
なんにしても
「理屈を語ることは大切で
そこに本質が見えてくる」
こういうことを小さいころから
なんだか毎日していた。
学生時代
映画が三度の飯より…
の類の先輩と映画談議に。
「シェーンのラスト さあ
…どこがラストシーンか覚えてるか?」
と先輩。
友人A
「シェーンカンバック~でしょ
草原を去るシーン 有名じゃないですか」
友人B
「違う 違う 甘いね…
その後 馬が駆け上がる山の上のシーン
あそこがラストだよ 」
そして先輩
「駆け上がった 山の向こう側に
遠くの方に墓地が見える
その墓地は シェーンが今まで
ガンマンとして葬った数々の悪人が眠っている
そんな墓地が ちらっと映るんだよ …」
A B
「ええっ~ そうなんですか?」
「そうそう もうあの時点でシェーンは死んでいるからね。
そういうことも墓地で示唆したんだよね」
AB 「へえ~」
映画好きには有名なエピソード
「シェーンのラスト」僕は知っていた。
尾ひれがついた伝説のようなもの。
ラストの去り際があまりに美しいがゆえに
こういうエピソードがついたのですが、
でも、その時 僕は思い出していた。
「あの山の向こうにあるのは
墓地じゃないんです…
あれはシェーンのわが家、
そこに家族が待っているんですよ」
先輩
「?? なんじゃそれ 」
「あの映画は 男は撃たれても家に帰る
そういうもんだ
愛する女が出来てしまっても
自分を待つ家族のもとに帰らなきゃ…
ってそういう話しなんです」
先輩
「そうなのか? そうなんだ
…へえ~」
すぐわかるのが冗談
わからないのが嘘なら…
これはもう嘘の部類に違いないが
そう感じることが本質であれば
それでよいのだろう。
家族がいるのに
ほかの女性に惚れてしまい
苦労している男性はこの世に多いとは思うが、
昔見た映画を見直して観ると言うのも手である。
苦労していないならどうでもよいが… 。
理屈好きの父親は
齢七十九にして健在であります。
「たかし(弟の名)が買った
あの 四角い やつはなんて言ったかなあ?」
「あい ぱっど だよ 最新のモデルだね」
「あ い ぱっど
…ふーん 何度聞いても覚えんなあ~
2ってことは3も4も出るってことだな 」
「最近は、そういう商売が主流だからね。
いったん入り込むと その商品から抜けられないような仕組み
…でも、僕は本屋をさ迷うのが趣味だから、
あれで本を読む気にはなれないなあ 」
「それはおまえの理屈だろ。
4とかになれば、さ迷いたくなるかもしれない。
よいわるいじゃなくて
そうなるってことでしかないよ」
「そうなんだろうけど…」
「いまは読める本の数も少ないんだろうけど
…それは今だけのことで
いまにああいう機械で本を読むことが
普通になるだけのことさ 」
「あの中の本屋でさ迷うのはどうも抵抗がある」
「…とにかくそうなる
文句を言っても仕方ない
世の中は便利な方に流れるしかないんだから」
「便利で失うこともある」
「だから失うと感じるのは
お前の理屈で…
そういう理屈はこねていても仕方がない
4を手に取る人の問題 」
いい歳をした息子が
もっといい歳をした父親に
諭される内容としては
あまりに当たり前すぎる会話ですが、
こういう会話がもんや家の会話であり
こういう会話も 親孝行なのだと
あえて、してしまう 。
そして こういう会話は
いつかなにかを考えるヒントになる。
口にしないでわかった顔をしていることでも、
誰かと話してみると 自分がほんとうは
どう感じているのか
相手はどう感じているのか
その根っこが分かる。
その根っこは本質で
…いつかなにかの役にたつ。
近い将来、僕に
“iPAD4”のセールスプロモーションの
依頼が来るかもしれない
…どうやったら高齢者が手に取るか
なんて話が…
そう言う時に 役に立つ
…くればの話だ(笑)
もし来ても断ると思うが
…くればの話だ(笑)
◆◆◆
村のお寺の「茅葺屋根造り」に駆り出された。
正確には 母が出ることになっていたのだが、
母の日に孝行も出来ないから…と自ら買って出た
(結局 母親も参加して孝行もへったくれもなくなったのだが)
朝の8時から午後の4時近くまで
休憩をはさみながら…大量の茅と格闘した。
こんなに小さな寺の門にこんな大量の茅が乗るのか…
ってくらいの量であります。
村の各組から当番が参加しての作業
僕と母以外はみんなおっさんやおじいさん
若きおっさま(ご住職)も参加した
…茅葺屋根造りははじめての人ばかり、
それでも畑仕事で何十年も生きてきたおっさん達は逞しい
段取りもよく動きも軽快。
負けてたまるかと ひたすら茅を運び
束ね ザクザクと切り また運ぶ …
体中がぐわぐわになった。
ザクザク切る道具は、昔からあるデカイ包丁
(名前を聞いたが忘れてしまった)
村の○○さんの家に眠っていたのを借りてきたらしい。
田舎は神仏一体の文化 お盆はお寺、
お祭りはお宮さん(神社)、
正月はお寺とお宮さん、
日々の暮らしや行事も
お寺とお宮さんは密接に関わっている。
とくにお墓のあるお寺の行事となると
村の結束は高い。
こんな小さな門で
こんなに大変なんだから
白川郷は…ありえない
などと思う
「見るとやるとじゃ違うねェ~」
とおっさんの声に、確かに…
とヘロヘロになりながら頷き、
茅と格闘した。
門の屋根に竹で土台を汲み
その上にまず“葦”を敷く
そして大量の茅の束を隙間なく
みっしりと積み上げてゆくらしい。
でもわれわれ素人の作業は
その茅の束を作るところまで
あとは任せることとなり、作業終了。
最後に記念撮影に混じった。
夏の帰省では完成している姿が見られる。
楽しみであります。
はじめに 意味があるかどうかはわからず
参加してみたが やり終えた今は
「意味があった」と思える。
こういうこともある。
考える前に動いたからといって
時間を無駄にしたわけではい。
一生懸命に それだけで意味があるということなのでしょう。
…久しく忘れていた。
(寺門と若きおっさま)
ここ数年、このあたりまえのことに、こだわっている。
あたりまえすぎて、日常の行動に活かしずらい
そう、あまりに当たり前すぎて…。、
「これって意味あるの?」
こう自問することで
行動の取捨選択は分かりやすくなる。
何事も単純化できるかにかかっているのだ。
単純化できないことも多いし、
また、意味があろうがなかろうが
やらなきゃならないこともある
…むしろそんなことばかりだ。
がしかし、
ほんとうにそうだろうか?
「意味がないように感じたのなら
あるようにする術はないのか?」
こう考えてから“はじめること” “ことを起すこと”に
こだわっている時間には…意味がある。
こだわってみて
それでも うーん 無意味だ…と思うなら
思い切ってやらない
そちらが正しい。
まあ それくらいちっちゃなことに、
こだわるだけでも、意外に日常の無駄は解消できる。
ここ数年そういう意味ではいろいろスリムになった。
今までが、いかに適当になんとなく
「昨日の次が今日で 明日は今日の先にある」
という緩やかな怠惰のもとで
生きていたのかと思えたりする。
…なんと理屈っぽい(笑)
GWに帰省してわが実弟と話すと…
嗚呼!もんや兄弟の
なんと理屈の多いことか。
弟の嫁さんのまた始まった…
という横顔を見るにつけ、
嗚呼! 確かに
われわれ兄弟の会話の理屈の多いことか。
そもそも父親のせいには違いない。
物ごころつくぐらいから
理屈の中で暮していた気がする。
もういま思い返すと それは屁理屈だろう…
というようなことも
理屈となって、刷り込まれていた。
「お誕生日おめでとう 今夜は豚の丸焼きを食べよう」
「?? …これって 豚の丸焼きなの?」
「そうだよ 美味しいだろう」
「美味しいけど この 細長いのはなに?」
「それは 豚のおちんちんだよ」
「ええっ! おちんちんなの?… こっちは?」
「それは足に決まっているじゃないか?」
「ええっ!? 豚は足よりおちんちんの方が 長いの?」
「そうだよ」
それはただの鳥の丸焼きであり、
その長細い部位は、おちんちんなどではなく
ただの“首”なのですが、
小学校をあがるまで
僕は あの長いものを
豚のおちんちんだと信じていた。
中学になり
「父さん 嘘をついたね
あれはただの鳥肉じゃないか!?」
と、父親に指摘すると、
「すぐ答えが分かるのは、冗談であり、
分からないのが 嘘である。
それがわからないのは、長男よ
お前が未熟なだけなんだ。
わたしは単なる冗談を言ったまでで、
嘘などついていない」
と怒られた。
完全に 屁理屈である。
ちなみに、この歳になる今でも
クリスマスに七面鳥の丸焼きなどを見ると
一瞬、長い首がおちんちんに思えてしまう。
「どうして シェーンはどこかに行っちゃうの?
悪者をやっつけたんだから
いっしょに暮せばいいじゃん?」
「シェーンにはあの山のむこうに家族がいるんだよ。
だからそこに帰んなきゃならないのさ」
「ええっ~!? 家族がいるの?
ふーん。でもさあ、家族がいるのに
この女の人を助けたの…なんかへんなの?」
「じゃあ 助けない方がよかったと思うのか?」
「そうは思わないけど…
可哀想じゃん いなくなったらさあ」
「シェーンはもう死んでいるんだよ あの馬の上で…
ほら 手をだらんと伸ばしてただろ 」
「ええっ!!
死んでいるの!?
死んでいるのに…??」
「それでも帰るんだよわが家に男だから
この西部劇は 男はわが家が一番って話しなんだよ」
翌日 学校で担任の先生と
お弁当食べながら シェーンの話しになった。
「シェーンは家に残した奥さんのもとに帰るんだよ」
というと…訳が分からないという顔になり?
「それは 間違いだと思うよ。
シェーンは自分がいてはいけないと決めて
その信じる心に従っただけだよ」
と言われたので
帰ってその話を父親にすると
「おまえの担任は独身だからな。
まだ わからないんだよ。
男はとにかくわが家に帰る
撃たれても なんでも
死んでも帰る。
そういうもんだ」
こうなると これはもう屁理屈ですらなく
単なる曲解の押しつけでしかなく、
いいのかそういう教育で
…といえなくもないのだが、
…「撃たれても帰る」って
なんだかかっこいいなあ
…と思わないでもなく
そうやって僕の価値観は出来あがっていった。
なんにしても
「理屈を語ることは大切で
そこに本質が見えてくる」
こういうことを小さいころから
なんだか毎日していた。
学生時代
映画が三度の飯より…
の類の先輩と映画談議に。
「シェーンのラスト さあ
…どこがラストシーンか覚えてるか?」
と先輩。
友人A
「シェーンカンバック~でしょ
草原を去るシーン 有名じゃないですか」
友人B
「違う 違う 甘いね…
その後 馬が駆け上がる山の上のシーン
あそこがラストだよ 」
そして先輩
「駆け上がった 山の向こう側に
遠くの方に墓地が見える
その墓地は シェーンが今まで
ガンマンとして葬った数々の悪人が眠っている
そんな墓地が ちらっと映るんだよ …」
A B
「ええっ~ そうなんですか?」
「そうそう もうあの時点でシェーンは死んでいるからね。
そういうことも墓地で示唆したんだよね」
AB 「へえ~」
映画好きには有名なエピソード
「シェーンのラスト」僕は知っていた。
尾ひれがついた伝説のようなもの。
ラストの去り際があまりに美しいがゆえに
こういうエピソードがついたのですが、
でも、その時 僕は思い出していた。
「あの山の向こうにあるのは
墓地じゃないんです…
あれはシェーンのわが家、
そこに家族が待っているんですよ」
先輩
「?? なんじゃそれ 」
「あの映画は 男は撃たれても家に帰る
そういうもんだ
愛する女が出来てしまっても
自分を待つ家族のもとに帰らなきゃ…
ってそういう話しなんです」
先輩
「そうなのか? そうなんだ
…へえ~」
すぐわかるのが冗談
わからないのが嘘なら…
これはもう嘘の部類に違いないが
そう感じることが本質であれば
それでよいのだろう。
家族がいるのに
ほかの女性に惚れてしまい
苦労している男性はこの世に多いとは思うが、
昔見た映画を見直して観ると言うのも手である。
苦労していないならどうでもよいが… 。
理屈好きの父親は
齢七十九にして健在であります。
「たかし(弟の名)が買った
あの 四角い やつはなんて言ったかなあ?」
「あい ぱっど だよ 最新のモデルだね」
「あ い ぱっど
…ふーん 何度聞いても覚えんなあ~
2ってことは3も4も出るってことだな 」
「最近は、そういう商売が主流だからね。
いったん入り込むと その商品から抜けられないような仕組み
…でも、僕は本屋をさ迷うのが趣味だから、
あれで本を読む気にはなれないなあ 」
「それはおまえの理屈だろ。
4とかになれば、さ迷いたくなるかもしれない。
よいわるいじゃなくて
そうなるってことでしかないよ」
「そうなんだろうけど…」
「いまは読める本の数も少ないんだろうけど
…それは今だけのことで
いまにああいう機械で本を読むことが
普通になるだけのことさ 」
「あの中の本屋でさ迷うのはどうも抵抗がある」
「…とにかくそうなる
文句を言っても仕方ない
世の中は便利な方に流れるしかないんだから」
「便利で失うこともある」
「だから失うと感じるのは
お前の理屈で…
そういう理屈はこねていても仕方がない
4を手に取る人の問題 」
いい歳をした息子が
もっといい歳をした父親に
諭される内容としては
あまりに当たり前すぎる会話ですが、
こういう会話がもんや家の会話であり
こういう会話も 親孝行なのだと
あえて、してしまう 。
そして こういう会話は
いつかなにかを考えるヒントになる。
口にしないでわかった顔をしていることでも、
誰かと話してみると 自分がほんとうは
どう感じているのか
相手はどう感じているのか
その根っこが分かる。
その根っこは本質で
…いつかなにかの役にたつ。
近い将来、僕に
“iPAD4”のセールスプロモーションの
依頼が来るかもしれない
…どうやったら高齢者が手に取るか
なんて話が…
そう言う時に 役に立つ
…くればの話だ(笑)
もし来ても断ると思うが
…くればの話だ(笑)
◆◆◆
村のお寺の「茅葺屋根造り」に駆り出された。
正確には 母が出ることになっていたのだが、
母の日に孝行も出来ないから…と自ら買って出た
(結局 母親も参加して孝行もへったくれもなくなったのだが)
朝の8時から午後の4時近くまで
休憩をはさみながら…大量の茅と格闘した。
こんなに小さな寺の門にこんな大量の茅が乗るのか…
ってくらいの量であります。
村の各組から当番が参加しての作業
僕と母以外はみんなおっさんやおじいさん
若きおっさま(ご住職)も参加した
…茅葺屋根造りははじめての人ばかり、
それでも畑仕事で何十年も生きてきたおっさん達は逞しい
段取りもよく動きも軽快。
負けてたまるかと ひたすら茅を運び
束ね ザクザクと切り また運ぶ …
体中がぐわぐわになった。
ザクザク切る道具は、昔からあるデカイ包丁
(名前を聞いたが忘れてしまった)
村の○○さんの家に眠っていたのを借りてきたらしい。
田舎は神仏一体の文化 お盆はお寺、
お祭りはお宮さん(神社)、
正月はお寺とお宮さん、
日々の暮らしや行事も
お寺とお宮さんは密接に関わっている。
とくにお墓のあるお寺の行事となると
村の結束は高い。
こんな小さな門で
こんなに大変なんだから
白川郷は…ありえない
などと思う
「見るとやるとじゃ違うねェ~」
とおっさんの声に、確かに…
とヘロヘロになりながら頷き、
茅と格闘した。
門の屋根に竹で土台を汲み
その上にまず“葦”を敷く
そして大量の茅の束を隙間なく
みっしりと積み上げてゆくらしい。
でもわれわれ素人の作業は
その茅の束を作るところまで
あとは任せることとなり、作業終了。
最後に記念撮影に混じった。
夏の帰省では完成している姿が見られる。
楽しみであります。
はじめに 意味があるかどうかはわからず
参加してみたが やり終えた今は
「意味があった」と思える。
こういうこともある。
考える前に動いたからといって
時間を無駄にしたわけではい。
一生懸命に それだけで意味があるということなのでしょう。
…久しく忘れていた。
(寺門と若きおっさま)
あなたなら どうする?
投稿日時:2011/04/17(日) 20:26
お休みの昼下がり。
WOWOWで「マウンテンゴリラ驚きの帝国」を観ていて、
ふいに思いだした。
……誰かに似ている。
ウホウホいいながら
張り出した胸板をボコボコ叩くこの姿
…うーん?
…………
あっ!!
あのオバハンだ!
あのオバハン
…そういえば最近、見かけない。
どちらかと言わなくても
出来れば見かけたくない相手であって
記憶の奥に封印していたのに、
「マウンテンゴリラ驚きの帝国」のせいで
その記憶が蘇ってしまった。
なにしろ狭い一方通行を
真っ黒い大きなワンボックスカーに乗って
逆走してくるオバハンなのだ。
我が家からダイエーに抜ける近道
わき道から片側2車線の幹線道路をつなぐ
10メートルほどの路地、
この路地は幅員が狭い上に、
両側に住宅が建っていて、
誠に見通しが悪く以前は事故が多発していたようで、
幹線道路からは、時間制限で一方通行になる。
オバハンとの出会いはこの路地でした。
こちらがカーブミラーで確認し、
幹線道路に抜けようと、
路地に進入した途端に、
勢いよく曲がりこんできた
巨大な黒い塊が目の前に現れた。
しかもいわゆる “大回り” というヤツで、
狭い道のど真ん中に入り込んできた。
あちゃあ~
お互いの車間距離は2メートルもなく、
すり抜けようにもどうにもならない。
運転席を見上げるとオバハンである。
クラクションもはばかられ
しばし待つも 動く気配はない。
すり抜けるにはどちらかが
いったん下がるしかなく、
このオバハンにその意志が
微塵もないことはすぐに分かった。
なんと僕に向かって
クラクションを鳴らし始めたのである。
そしてハンドルの前で片手を振るのだ。
どいて どいて …と。
なにい~!
である。
しかし、こういうオバハンに理屈は通じない、
ここは黙って、こちらが身を引こうと
…後ろを確認すると…!?
あちゃ~
新たに路地に進入してきた車が、
僕の車の後ろに付いてしまったではないか!
これは困った。
……仕方がないので
車から降りてオバハンと立ち向かうことにする。
「あのですね もしもし コンコン 」
うぃーん ウインドが少し下がる
睨みつけてくるオバハン
「あのですね ここは一方通行なんですよこの時間」
「はあ?」
「だからそっちからは入ってきちゃいけないんです」
「はあ? なにを言ってるの
いつも曲がってるわよワタシ」
「いつも曲がってきちゃいけないんですヨ」
「バカにしないでヨ あなたが悪いんでしょ
早くどいてヨ 通れないじゃない」
カチン!
人間は困難に直面した時ほど冷静になれ
よく考えろこのオバハンにバックはできるのか?
幹線道路は車がびゅんびゅん走っている
仮に前向きであったとしても
そろりそろりと進み
前に乗り出して確認しないと曲がれない合流だ
この巨大なワンボックスでバック
そしてこのオバハンの説得…
無理だ あり得ない
… よし俺は冷静だ
くるりと踵を返し 僕の後ろ
(結局その後ろにももう一台車が来ていた)
の車に近寄ると
「すいません 前の車は行ってきちゃったようで
にっちもさっちもで…
下がってもらえます?」
そしてもう1台にも同じことを伝え、
順繰りに下がる
下がり終えるやいなや
オバハンは車を発進させ
悠然と去って行った。
その横顔は
ふん まったく 冗談じゃないわ
という顔であったことは…
そう 想像に難くない。
…そして そして そして
この事件は まったく同様にして
その2週間後に 再び
繰り返されるのでありました。
あれから 路地を曲がることに
細心の注意を払うことと
なってしまった僕でありました。
…が、それでも悪夢は繰り返された。
カーブミラーを確認、
よし!と勢いよく曲がりこみ
あと3メートルで幹線道路というその瞬間!!
ぐわあッという感じで目の前に
あの巨大な黒い塊が現れた!
キキーィ~
まさに急ブレーキ
向こうも
グワンッてかんじで
鼻先で停まる。
でたあ!! あのオバハンだ。
…と気づいたその瞬間
プワップワッ~♪
とクラクションが鳴らされた。
僕がではなく
僕に…であります。
見ればオバハン
この前にも増してすごい顔で睨んでいる。
いまここにある危機
困難は人を成長させる
乗り越えられない試練はない
…もたもたしてはいられない
「おばさん この前も言いましたが
ここは いっぽうつうこう!!
なんです!」
… …よし 言ってやった!
「はあ? あなた誰?
この前ってなに? なに言ってんの?
早くどいてよ ほらほら」
…ほんとか>・・-^¥
覚えてないのか? …。」
;「^ 不覚にも もんや言葉を失う…
「ほらほら
車はいってきちゃったじゃない? 」
あっ! あちゃ~ また僕の後ろに
あっ!また …あれよあれよ
あっ! …僕が入り込んだ距離が長いため
今度は後ろに3台も付いてしまった
「まったくどうすんのよ!
冗談じゃないわ!!」
考えろ 考えろ…
3台にバックを交渉 オバハンを説得…
この距離なら…
「僕が後ろを見ますから
下がってもらえますか?」
「はあ? 冗談じゃないわヨ
なんでワタシが下がらなきゃならないの
早くどいてよ」
そのあたりから後ろの車から
クラクションが鳴る!
おいおい!!早くしろよ♪
「じゃあ 僕が運転しますから
後ろ見てもらえますか?
…いや いいです
とにかく降りてください」
♪♪ クラクション ♪クラクション♪♪
さすがにこのままでは埒があかないと思ったのか
オバハン 車を降りた。
しかし、このオバハンの誘導でバック?
…あり得ない
…ちょっとこのままでと言い残すや
後ろの車に駆け寄る 運転手は若い男
「すいません あの車下がらせるんで
ちょっと後ろ見てもらえます?」
そうして、どうにかこうにか
幹線道路脇に巨大なワンボックス車を止め
…路地を平常に戻した。
しかし、このままでは、このオバハン、
またすぐ路地に入り込みかねないし、
何よりまたいつか同じ状況に遭遇するのはご勘弁だし
…で、きっちり分かっていただこう…
とオバハンに向かう。
「ここは この時間
入ってきちゃいけないんです 」
面と向かえば大人しくなるかと
おもいきや…
「知らないわよ いつも この道だし」
と言うやいなや
もうことは済んだとばかりに、車に乗り込み、
そして そして そして
そのまま
また件の路地を曲がって行ってしまった。
ちなみにこのオバハン
背丈は140cm くらい
しかし横幅と胸の厚さが半端ではない
その上に 黒いボワボワのセーターを
モコモコ着ている
髪は脱色ような金髪のショート
声は高くで大きい
足元はサンダルにこちらもモコモコの靴下
一度見たら忘れない印象を残す。
それからほどなくして、
この路地周辺の土地が分譲され、
少し拡張されて見通しがよくなったことと並行して
一方通行が解除されたことで、
あの恐怖の再来からは解放された。
なぜか、あの巨大なワンボックスを
見かけることもなくなった。
…しかし、2度あることの3度目は
意外な場所 ダイエーのレジ前でした。
僕の前のお客が
レジ打ちのお姉さんと揉めている。
「だから 2000円超えたら要らないわよ
他は戻してって言ったじゃない!!」
「はあ?
なにをおやめになりますか?」
「だから
なにとなんならちょうど2000円になるのか
言わなきゃわかんないわよ!」
…分かりにくいので解説をすると、
この客は欲しいものを適当に買い物かごに
突っ込んでレジへとやってきた
そして支払いの段になって
はじめて財布に2000円しかにことに気がついた
そこで2000円分だけ買い物するので
後は戻すと言うのだが
品物の優先順位が分からないから
レジのお姉さんは困っている
…とこういう状況なのであります。
そして このお客が小柄なのに
上半身が異常に大きい
ベリーショートの金髪の
サンダル履きの
黒いモコモコセーターの
…あの
あのあのオバハンであることに気付いた僕は
…なにも言わず その場を去り
別のレジに並び直したのであります。
勇気ある決断と
人は僕を
いや
僕が僕を讃えたことは言うまでもない。
◆◆◆
朝からまた地震です。
震源地は栃木…
こういうのも余震と言うのか。
花散らしの強い風が吹く前に
近所の公園に お花見にゆきました。
デイケアーの催しなのか
老人ホームの遠足なのか
車いすのお年寄りたちがたくさん
満開の桜を楽しんでいました。
あのオバハンもいつかは毒気が抜けて
あんな風になるのかなあ…と
思い出したついでに
想像してみるのでした。
WOWOWで「マウンテンゴリラ驚きの帝国」を観ていて、
ふいに思いだした。
……誰かに似ている。
ウホウホいいながら
張り出した胸板をボコボコ叩くこの姿
…うーん?
…………
あっ!!
あのオバハンだ!
あのオバハン
…そういえば最近、見かけない。
どちらかと言わなくても
出来れば見かけたくない相手であって
記憶の奥に封印していたのに、
「マウンテンゴリラ驚きの帝国」のせいで
その記憶が蘇ってしまった。
なにしろ狭い一方通行を
真っ黒い大きなワンボックスカーに乗って
逆走してくるオバハンなのだ。
我が家からダイエーに抜ける近道
わき道から片側2車線の幹線道路をつなぐ
10メートルほどの路地、
この路地は幅員が狭い上に、
両側に住宅が建っていて、
誠に見通しが悪く以前は事故が多発していたようで、
幹線道路からは、時間制限で一方通行になる。
オバハンとの出会いはこの路地でした。
こちらがカーブミラーで確認し、
幹線道路に抜けようと、
路地に進入した途端に、
勢いよく曲がりこんできた
巨大な黒い塊が目の前に現れた。
しかもいわゆる “大回り” というヤツで、
狭い道のど真ん中に入り込んできた。
あちゃあ~
お互いの車間距離は2メートルもなく、
すり抜けようにもどうにもならない。
運転席を見上げるとオバハンである。
クラクションもはばかられ
しばし待つも 動く気配はない。
すり抜けるにはどちらかが
いったん下がるしかなく、
このオバハンにその意志が
微塵もないことはすぐに分かった。
なんと僕に向かって
クラクションを鳴らし始めたのである。
そしてハンドルの前で片手を振るのだ。
どいて どいて …と。
なにい~!
である。
しかし、こういうオバハンに理屈は通じない、
ここは黙って、こちらが身を引こうと
…後ろを確認すると…!?
あちゃ~
新たに路地に進入してきた車が、
僕の車の後ろに付いてしまったではないか!
これは困った。
……仕方がないので
車から降りてオバハンと立ち向かうことにする。
「あのですね もしもし コンコン 」
うぃーん ウインドが少し下がる
睨みつけてくるオバハン
「あのですね ここは一方通行なんですよこの時間」
「はあ?」
「だからそっちからは入ってきちゃいけないんです」
「はあ? なにを言ってるの
いつも曲がってるわよワタシ」
「いつも曲がってきちゃいけないんですヨ」
「バカにしないでヨ あなたが悪いんでしょ
早くどいてヨ 通れないじゃない」
カチン!
人間は困難に直面した時ほど冷静になれ
よく考えろこのオバハンにバックはできるのか?
幹線道路は車がびゅんびゅん走っている
仮に前向きであったとしても
そろりそろりと進み
前に乗り出して確認しないと曲がれない合流だ
この巨大なワンボックスでバック
そしてこのオバハンの説得…
無理だ あり得ない
… よし俺は冷静だ
くるりと踵を返し 僕の後ろ
(結局その後ろにももう一台車が来ていた)
の車に近寄ると
「すいません 前の車は行ってきちゃったようで
にっちもさっちもで…
下がってもらえます?」
そしてもう1台にも同じことを伝え、
順繰りに下がる
下がり終えるやいなや
オバハンは車を発進させ
悠然と去って行った。
その横顔は
ふん まったく 冗談じゃないわ
という顔であったことは…
そう 想像に難くない。
…そして そして そして
この事件は まったく同様にして
その2週間後に 再び
繰り返されるのでありました。
あれから 路地を曲がることに
細心の注意を払うことと
なってしまった僕でありました。
…が、それでも悪夢は繰り返された。
カーブミラーを確認、
よし!と勢いよく曲がりこみ
あと3メートルで幹線道路というその瞬間!!
ぐわあッという感じで目の前に
あの巨大な黒い塊が現れた!
キキーィ~
まさに急ブレーキ
向こうも
グワンッてかんじで
鼻先で停まる。
でたあ!! あのオバハンだ。
…と気づいたその瞬間
プワップワッ~♪
とクラクションが鳴らされた。
僕がではなく
僕に…であります。
見ればオバハン
この前にも増してすごい顔で睨んでいる。
いまここにある危機
困難は人を成長させる
乗り越えられない試練はない
…もたもたしてはいられない
「おばさん この前も言いましたが
ここは いっぽうつうこう!!
なんです!」
… …よし 言ってやった!
「はあ? あなた誰?
この前ってなに? なに言ってんの?
早くどいてよ ほらほら」
…ほんとか>・・-^¥
覚えてないのか? …。」
;「^ 不覚にも もんや言葉を失う…
「ほらほら
車はいってきちゃったじゃない? 」
あっ! あちゃ~ また僕の後ろに
あっ!また …あれよあれよ
あっ! …僕が入り込んだ距離が長いため
今度は後ろに3台も付いてしまった
「まったくどうすんのよ!
冗談じゃないわ!!」
考えろ 考えろ…
3台にバックを交渉 オバハンを説得…
この距離なら…
「僕が後ろを見ますから
下がってもらえますか?」
「はあ? 冗談じゃないわヨ
なんでワタシが下がらなきゃならないの
早くどいてよ」
そのあたりから後ろの車から
クラクションが鳴る!
おいおい!!早くしろよ♪
「じゃあ 僕が運転しますから
後ろ見てもらえますか?
…いや いいです
とにかく降りてください」
♪♪ クラクション ♪クラクション♪♪
さすがにこのままでは埒があかないと思ったのか
オバハン 車を降りた。
しかし、このオバハンの誘導でバック?
…あり得ない
…ちょっとこのままでと言い残すや
後ろの車に駆け寄る 運転手は若い男
「すいません あの車下がらせるんで
ちょっと後ろ見てもらえます?」
そうして、どうにかこうにか
幹線道路脇に巨大なワンボックス車を止め
…路地を平常に戻した。
しかし、このままでは、このオバハン、
またすぐ路地に入り込みかねないし、
何よりまたいつか同じ状況に遭遇するのはご勘弁だし
…で、きっちり分かっていただこう…
とオバハンに向かう。
「ここは この時間
入ってきちゃいけないんです 」
面と向かえば大人しくなるかと
おもいきや…
「知らないわよ いつも この道だし」
と言うやいなや
もうことは済んだとばかりに、車に乗り込み、
そして そして そして
そのまま
また件の路地を曲がって行ってしまった。
ちなみにこのオバハン
背丈は140cm くらい
しかし横幅と胸の厚さが半端ではない
その上に 黒いボワボワのセーターを
モコモコ着ている
髪は脱色ような金髪のショート
声は高くで大きい
足元はサンダルにこちらもモコモコの靴下
一度見たら忘れない印象を残す。
それからほどなくして、
この路地周辺の土地が分譲され、
少し拡張されて見通しがよくなったことと並行して
一方通行が解除されたことで、
あの恐怖の再来からは解放された。
なぜか、あの巨大なワンボックスを
見かけることもなくなった。
…しかし、2度あることの3度目は
意外な場所 ダイエーのレジ前でした。
僕の前のお客が
レジ打ちのお姉さんと揉めている。
「だから 2000円超えたら要らないわよ
他は戻してって言ったじゃない!!」
「はあ?
なにをおやめになりますか?」
「だから
なにとなんならちょうど2000円になるのか
言わなきゃわかんないわよ!」
…分かりにくいので解説をすると、
この客は欲しいものを適当に買い物かごに
突っ込んでレジへとやってきた
そして支払いの段になって
はじめて財布に2000円しかにことに気がついた
そこで2000円分だけ買い物するので
後は戻すと言うのだが
品物の優先順位が分からないから
レジのお姉さんは困っている
…とこういう状況なのであります。
そして このお客が小柄なのに
上半身が異常に大きい
ベリーショートの金髪の
サンダル履きの
黒いモコモコセーターの
…あの
あのあのオバハンであることに気付いた僕は
…なにも言わず その場を去り
別のレジに並び直したのであります。
勇気ある決断と
人は僕を
いや
僕が僕を讃えたことは言うまでもない。
◆◆◆
朝からまた地震です。
震源地は栃木…
こういうのも余震と言うのか。
花散らしの強い風が吹く前に
近所の公園に お花見にゆきました。
デイケアーの催しなのか
老人ホームの遠足なのか
車いすのお年寄りたちがたくさん
満開の桜を楽しんでいました。
あのオバハンもいつかは毒気が抜けて
あんな風になるのかなあ…と
思い出したついでに
想像してみるのでした。
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