紋谷のソコヂカラ

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父からの便り

投稿日時:2009/04/13(月) 04:19

高速料金値下げについて、
利用者は概ね「ありがたい」という感想なのが気になった。
 
念のためこの値下げは、高速道路会社が
大盤振る舞いをしてくれたわけではない、
値下げ分は国民の税金で補填される。
 
一般に、税金は社会全体の問題解決に使われるので、
個人レベルで受益と負担の比率を論じるのは
不向きかもしれないが、今回の値下げは、
割り勘で酒を呑むようなもので、
飲めば飲むほど…いや、走れば走るほど、
受益の比率を上げられる。
 
「土日、休日上限1000円」と「平日昼間3割引」を
2年間実施するためには、年間50億の血税が投入される。
 
つまり単純に人口で割れば、一人当たり割引額が
4000円強になるまで走らないと、
「割り勘負け」をする勘定になる。
 
そうはしたくないからと、無理に呑む、
いやは走るというのもおかしいし、
ましてはCO2を減らそうという時代でもある。
 
そもそも、車にETCがない人には、受益はゼロであり、
一滴も呑めない友に、割り勘を強要しているようなものだろう。
 
利用者がこぞって喜んだとのニュースは多いが、
この割り勘負けの報道が、少ないのはおかしいのではないか。
…とまあ、こんな感じで父からの便りはやってくる。


 
そもそも今回のテーマは、わが実家で購読している、
新聞のコラムを読んで、その内容を父なりに解釈しているようだ。
 
父からは 暇つぶしなので返信は無用とある。
 
前回の便りでは、
「癌が難病指定ではない理由はなにか」と言うテーマ。
 
この世で一番のれっきとした“難しい病気”ではないか、
厚生省が認定し医療費に対する補助を制度化すべきではないのか。
という内容でした。
 
解釈としましたが、これら父からの便りのテーマは
「おかしい」と感じる世の中の出来事に対する疑問がほとんどで、
その多くは、それなりの理屈はつけられるが
本質的には間違っているという答えが存在する
そういうテーマになる。

世の中の不平等、不条理を憂うのは簡単だが、
甘んじて享受するのはいかがなものか…ということである。
 
先週、父の姉が今年の米寿の誕生日を前に亡くなった。
去年末に長兄が、先月に母の義理の兄が他界し、
立て続けである。
 
生前、父は姉に対して、このように、
思いついた事柄を手紙にしたため、
月に1度は出していたようで、そのあて先が他界し、
矛先が僕に回ってきたというわけらしい。
 
この姉は、生涯を独身で通したのだが、
甥の目からも大した才女であり、
なにより、あいまいさを良しとしない傑女でありました。
 
晩年は、自ら進んで老人ホームに入居し、
誰の世話にもならぬ幕引きを
当たり前のように選んでいたようで、

死んだ後の葬儀全般や納骨の手配も、
亡くなる数年前に自ら終えているばかりか、
遺言も書き残していて、
我々、親族があたふたとすることがないよう、
一切の取り仕切りを終えてあり、
一同「さすがおばちゃんだ」と
改めて感じ入った次第です。
 
出棺には、老人ホームの入居者や職員が、見送りに出てきてくれ、

「みなさまお世話になりました。
  私はみなさんと一緒に生活できて嬉しかった」と
これも予め用意されていた手紙をもう一人の叔母が代読する運び、

そして

「…わたしはこういうはっきりとした性格でしたから…
 不快に感じたこともあかもしれません…ごめんなさい」
という配慮の一文も。
 いやいや、なんとも見事な旅立ちでございました。
 
こんな叔母を相手に書かれていた父の手紙、
その間にはどんなやりとりがあったのかは知りませんが、
叔母が他界し、今度は僕に届くとなると…
いくら返信無用と言われても、
いくばくか、責任を感じてしまいます。
 
先日、30年近く交流の在る友人と酒をともにした折、
図らずも、彼とは離れてひとりで暮らす母親への思い、
そもそもの息子の責任の所在や相容れぬところもある
お母さんのご自身の心情…など、彼の心中を聞き、
我々の歳になって味わう、親への思いと、
自身が置かれている現実と、
本来あるべき親子の姿…などを語り合いました。
 
そのせいか、この父からの便りにも、
何がしかの意味のある返事を書かねば…
そういうことからだろ、と思ってはいるのですが、
どうにも、こうにも、
気の効いた返事と言うのが思い浮かびません。
 
割り勘では、負けたたことがないので…
負ける側の気持ちと言うものがわかりません…
違うなあ。
 
利用するものが限られた優遇措置は、高速道路に限らない。
高速道路料金では負けても、他で勝てばよいのではなかろうか…
これも違うなあ。
 
そもそも、減価償却が終了しているのに高速料金を徴収する
もしくは、一律で徴収する、
この発想からしておかしい…
これも違うなあ。
 
こんど、ドライブに行きましょうか……
ううむ。
 
マスコミは偏ったプロバガンダでしかないから、
あまり気にしても仕方ないよ……
違うなあ。
 
黙って読んでおけばよいというのが一般的な正解なのでしょうが…
なにか諸兄のアドバイスありましたら…


にっぱち道

投稿日時:2009/04/04(土) 22:30

昭和56年渋谷「にっぱち」は一大ヴームを巻き起こした。
この「悪魔のゲーム」とも言われ、以後、公の場から姿を消した、
幻のトランプゲームは、当時、東急文化会館の裏にあった
喫茶店PATIOで、誕生したと言われている。



しかし、実際にはこのゲームが、いつ、
誰によって考案されたのかは、謎である。
 
一説には、辛亥革命の時代の中国、上海に在住していたイギリス人が、
その発案者とも言われているが、それはこのゲームが、
“麻雀の要素を取り入れているトランプゲーム”であるということと、
当時、魔窟と言われた上海に在留するヨーロッパ人が、
自分達の興じるギャンブルを求めていたことに由来する。
 
ゲームそのものは、誠に単純ながら…その奥深さは、人を惑わせ、
あまりの面白さに、人は溺れてゆく…
それが悪魔のゲーム、または、
サタンのゲーム…といわれ、封印された所以であろう。
 
まずは、手元に5枚のカードを配り、
1枚を場に(オモテにして)置く、
残りは山にして、これも場に置く。
順番は時計回りに進行する。

プレーヤーは場にあるカードと
「同じ数字もしくは同じマークのカード」を捨てることができ、
早く手持ちのカードがなくなったものが勝利者となる。
 
…とここまでは …そう…UNOの単純版である。
※UNOの場合、まだゲームは続くが、
にっぱちは、ひとり上がって1回終了である。

にっぱちは数字の2と8を意味し、
この2枚は、ゲームの進行に特別の役割を持つ。

8はオールマイティーのカード、数字、
マークに関係なく場に捨てることが出来る上に、
捨てるものは次のプレーヤーにマークの指定が出来る。

2が捨てられた場合、次のプレーヤーは2しか出すことが出来ない。
…手持ちにない場合は、山より新たに2枚引く羽目になり、
仮に重ねて2を出されたらその次のプレーヤーは、
4枚引かなければならない…という嫌がらせのカードである。
 
…なんだ、それもUNOみたいじゃないか? 
と思われることと思う。

これだけなら、「悪魔のゲーム」などとは言われはしない。
面白いのは、にっぱちには、「どっちん!」があるということである。
 
どっちんとは、誰かが、カードを捨てる…その瞬間、
自分の手持ちのカードの数字の合計が、
その捨てられたカードの数字になる場合、
「どっちん!!」と宣言して、ゲームは終了、
勝者となる。

たとえば、自分の手持ちが
 
2 3 5
 
の3枚だったとしよう。 

誰かが、場に10を捨てた…その瞬間に「どっちん!!」
を宣言でき、勝者となる。
 
また、さらにどっちんには「返し」というものが存在する。
上の例で説明すると…
10を捨てたプレーヤーの残りの手持ちカードの
数字の合計がポイントで、
 
たとえば 
10を捨てたプレーヤーの残りの手持ちの数字の合計が10の場合、
どっちんを宣言したプレーヤーに「返し!」と宣言することができ、
逆転勝利を勝ち得るのである。
 
この返し技こそが、にっぱち最大の美学であり、
プレーヤーが目指す至福の極みともいえる。

つまり、にっぱちにおいて、冒頭書いた、
手持ちの札を順番に捨てて行き…無くす 
という行為は意味を成さない。

もっといえば、それで勝ちを得てたプレーヤーは、
「ションベンタレ(関西弁のへタレの意)と揶揄される。
また、「2を捨てる」この行為も同様に、
「ションベンタレ」=場をダメにする行為と見なされ、
上級者同士の対戦で、こんなことをしようものなら…
永久追放となる。
 
また、このゲームは、ギャンブルであり、
他のプレーヤーいかにマイナスにして、
自分がプラスになるかを競うことが本来で、
そのための点数は、ゲーム終了時の持ちカードで決定する。

どっちんによってゲームが終了した場合、
①どっちんしたものが勝者で、場の点数を総取りすることができる。
  (これは普通に誰かが手持ちのカードを捨てきって勝利した場合も同様)
 
②どっちんをした者、された者、その両名以外のプレーヤーは
 単純に手持ちのカードの数を合計(端数は取捨五入)し、
 それを2倍にした数字をマイナスとして申告する。
 
③合計する場合…8は20と数える
 (特別な役割のカードであるため価値が高い)
  また、JQKの絵札は共通して10と数える
  手持ちに2がある場合、
  合計×2から更に枚数に応じて倍×倍とする。
 
④どっちんされたプレーヤーは、どっちんした者の手持ちのカード
 も含め合計、自分のマイナスとして、計算しなければならない
 
 たとえば…Kをどっちんされ、
 手持ちに2 2 8 Q の4枚の手札があるとする。
 相手(どっちんしたプレーヤー)の手札の合計は…13
 …その内訳が5 8 だったとする。
 合計しなければならないカードはK 2 2 8 Q 5 8の7枚。
 69を四捨五入して70 
 これをまず倍にして140 
 2が2枚あるので 更に×倍×倍で560 となる。
 
 いかに他のプレーヤーにカードを残して終了させるかが、
このギャンブルの醍醐味なのである。
 
また、このゲームは高速で進行する。
長考は許されず、もたもたしているプレーヤーは、
やはり上級者の場には入ることが出来ない。
プレーヤーは、配られたカードを見て、瞬時に戦略を練る。
 
具体的な戦略はさまざまあるが、この場では書かない。
それはプレーやが自分で見つけるものだからだ。
 
「いかに相手がカードを捨てられないように、
 その場をコントロールするか」

「どっちんをするための手作りを、
 手札と新たにやってきたカードで瞬時に判断する」

このあたりは麻雀に通じるものがあります。
 
プレーヤーは、あくまでどっちんを狙い、返し技に固執する、
そこにこのゲームの精神…「どっちん道」が宿っている。
 
どっちんという、ゲームはその魔力ゆえに封印されたと言ったが、
ルールを伝え、精神を伝承する者は存在する。
 
それが「にっぱち 正規伝道者」であり、
かく言うわたしもそのひとりであります。
 
わたしは、昭和56年の渋谷で、まさにこのにっぱちヴームを体験し、
苦難の連続を経て、その4年後、
帝王(にっぱち最高の位)より「伝道者の称号」を頂いた。
 
苦難とは大げさだが、上記のようなゲームの進行の中、
ぺいぺいの私は、プレーをしながら…常に書記をやらされた。
諸先輩のマイナスの申告を聞き取り、回数ごとに合計して、
リアルな数字を出し続ける…単純な作業だが、

「もんや いま おれ いくら マイナス?」 

この質問に即座に答えないと…怒鳴られる。
従って、「後で、計算します」などとは口が裂けてもいえない。
 
1回の集計を急がないと、もう、次の手札が配られていて、
もたもたしていると「遅い!!」と怒鳴られる。
まるで、負けているのがわたしのせいの如しだった。
 
その書記業務は…結局4年間続いた。
それでも、負けないプレーヤーでいられたことは、
僕がこのゲームに向いていたのであろう。
 
当時の、話を書くといくらスペースがあっても終わらないので、
またいつかの機会に。
 
とはいえ、あれから28年が過ぎ… 
このゲームをやることもなくなってしまった。
 
誰か興味があったら、いっしょにやりましょう。
 
 にっぱちは 4人でやるがよい。
3人は なおよい。
2人では 終わらず。
5人ではつまらず。



佐伯祐三 が好きです

投稿日時:2009/03/23(月) 18:31

漂白で退廃的で、破天荒でおまけに早逝…の才人。
いつまで経てど、ないものをねだる自分が、
もっともあこがれるタイプです。
 
従って、全部の言葉の意味を逆にすると…
一番なりたくないタイプということになります。

なりたくない自分に、たまになっていることを
感じることがなにしろストレスではありますが、
なんとかならないように、目指す人になろうと
がんばっても、結局は、少し足りくらいが人生だそうですから、

仕方ないなあ…なんて思っている自分がまた嫌です。
 
詩人は 山頭火 画家であるなら 佐伯祐三 。
山頭火の話は以前、少しだけ、した覚えがあります。
 
佐伯祐三は ほんとうに好きで、 
同系ですと荻須高徳や横手貞美さんなんかも好きですが、
この2人は“まんま”ユトリロ…ヴラマンクの強さが入った
佐伯祐三に較べると、ひきつけられる強さには、
差があるように僕は思っています。


 
昨年の5月に 横浜のそごう美術館で「佐伯祐三展」がありましたが、
どうにも都合がつかず行けず仕舞いで、
とても残念…やはり本物を身近に見る機会は逃したくなかったなぁ…と。
もちろん、各所蔵の美術館を訪ね歩けばよいのですが、
全国津々浦々ですからね。
 
 …と やはり、神は見捨てない…(笑)
 
箱根のポーラ美術館で「佐伯祐三とフランス」を
観る機会に恵まれました。ありがとうMさん。
 
佐伯祐三だけの展示ではなかったのですが、
フランスを愛し、フランスで死んだ、彼を表すには、
フォービズム(野獣派)のほかの画家と併せて、
その足跡を浮き立たせるというコンセプトは、とてもうれしく
…さすがポーラ美術館という、企画展示でした。
 
「巴里の裏道」を数多く描いた彼の作風は、
日本人が驚いた表現である…
と横光利一氏は評しました。


 
「赤い色を愛し、多少黒ずんだ黄い色を愛し、
そして東洋人の強い黒を愛した」とは
中河与一氏。
 
「どんなちいさなレプリカでも、
  部屋の壁に額で飾れば、
  その空気を変える力をもつ画家であろう」 

紋谷税氏。


 
ちなみに、 僕自身、こういう書き方をすると、
「絵画が好き…」なんと高尚な趣味の持ち主…
などと誤解されそうですので、
断りますが、
なんでもかんでも好きなわけではありません。
 
したがって、いわゆる美術館巡り…
なんてことも特にしませんし、
ヨーロッパの絵画の常識や、
美術史なんてのも興味がありません。
ゴッホもセザンヌも、ロートレックも…
どうでもよいのです。
 
「やっぱり、ヨーロッパ絵画の黄金期は、
  レンブラントからバルビゾンだよねえ」
 
……はあ?… 
てなもんや三度笠です。
 
学生時代、下落合に住んで、佐伯祐三の絵を観る機会があって、
好きになり、文献を観たり、調べたり、
でまた好きになり…
ただ、それだけの話しです。
 
実際、佐伯祐三の関する文献は数が多く、
彼がアトリエ(仕事場?)を構えた、
下落合に、はじめての上京で住んだということが、
縁だったような気がします。
 
まあ、ひとりくらい「好きな画家」がいるという
人生もよいものだと思います。
 
しかし、ポーラ美術館 
展示期間が長いことは分かりますが、
図録売り切れはないだろう。
増し刷りしてくれよ ほんまに。
 
いつか、どこかで手に入れたい。

では。


春は苦手でございます

投稿日時:2009/03/19(木) 10:58

空中に、どおんと飛び上がり、
そのまま大気圏を越え、宇宙から地球を眺めるような感じで、
考えて見ますと、この時季の日本は、
自然界のメカニズムでは、まだ眠っているらしいです。
 


なんとなく おめでたい行事なども多く、
新しいはじまりの象徴のように言われる春ですが、
ほんとうはまだ、寝ているのですみんな。
 
寝ているのに強引に起こされたフレッシュマンも
フレッシュじゃない人も…五月病。
みんな寝ているのに、ひとり浮かれて咲き誇る桜は、
逆に狂気、あやかしの代表。
 
昔から、満開の桜の根本には○○が埋まっているなどと、
物語の世界では取り上げられるのも、この所以ですね。
 
 
勝負は梅雨明けから ここからがほんとうに 
生命あふれる季節です。
 
だから、春だから …気合入れるぞお~
なんてのは力みすぎで…
いいのです適当で。
 
目覚まし鳴ったけど、眠い…
すこし布団の中でうだうだ…
そんな時季です今は。
 
そう考えると、起きて、支度して…
よし出勤と…駅に向かったら…
今日、会社休みにしたからと…
連絡が…それがGWですかね。
 
たぶん 「起こしてごめんな」という
ご褒美なのでしょうが…だったら 
初めから起こすな…ということですね。
 
 
◆◆◆
 
3ヶ月ぶりの検査結果がでました。 

「+811」 
 
12月のラストが320でしたらか、
またもや「間を空ければ、上がるわなあ~」です。 
前回の毛の話も …裏を返せば 伸びるということは、
薬の効用がなくなったということです。
 
僕は、今回決めていたことがありました。
 
数値が4桁なら、即抗がん剤投与。 
3桁なら、投与はまた延ばす。
ということです。
 
もちろん科学的な根拠や論理的な道理は、いっさいありません。
ただの決めです。
 
そう決めてことを主治医に話すと
「よいのではないでしょうか」という返答。
 
「もんやさんの癌は薬で治る癌 
 でも、運悪く簡単に治らない患者さんがやってくるのが、
 ここ癌センターです。

 中には、とにかく薬を投与し続け、
 ぼろぼろになって亡くなってゆく方もいます。
 少し、数値があがれば、人は怖くなります。
 ちょっと下がれば期待もします。
 でも、大切なことは、どういう時間を過ごしたのか…
 なんて自分は思います。でも、決めるのは患者さん。
 だから、その意味において、
 もんやさんの考えは正しいと思いますよ」
と重ねて言われました。
 
実際、癌細胞は倍々ゲームで増えてゆきます。
もし、完治させる力を持った薬があるなら、
早く打つにこしたことはありません。
 
それは、癌細胞 増殖しすぎてしまえば、
その薬も最大効力を発揮できない可能性があるからです。
 
でも、そんな薬はなく、
しかも入れられる量が限られるなら
…作戦は変わってきます。
 
いかに、長く、食い止めるか…
そしてその手段に絶対はありません。
 
数値の上昇に惑わされ、しゃにむに入れ続け、
廃人同様になって、そもそも薬も入れられず…さようなら
おくりびと…では芸がありません。
 
 
このような「数値と現状と受け止め方」の話しは、
どこまで書いてもわかりにくいですよね。
ごめんなさい。
 
先日、わが弟からも

「…でさあ…その数値って…どうなるとダメなの」
というシンプルな疑問を投げかけられました。
 
白黒わかりやすくしてもらわんと適わん。
ということなのでしょう(笑)
 
「高くなれば 癌は進行している印 13.4が正常値 
 それ以上なら 癌はどんどん増殖する。
 それ以下でも、根治したわけではないのが、癌という病気。

“押さえ込めている”という意味でしかなくて、
 また、上がる可能性はあり、それが再発。
 そして、どこがゴールかは人それぞれ。」
 
これが正しい表現だと思います。
 
また、多少の数値の上昇が 
即、体の異変を体感できるというものでもなく、
人それぞれのゴールの手前に近ければ近いほど、
自覚症状がひどくなると思います。
※これは僕の癌の場合で、必ずしもそうじゃないです。
 
このあたりは、他の人からも数多くの疑問をいただきます。
 
「癌なら 入院していなくてよいの?」
「お酒とか飲んでよいの?」
 
からはじまり
 
「なんで、そんなに元気なの?」
「癌なら具合悪くないの?」
 
などなど、 
ご心配からの発言ですからありがたい限りですが…
 
どうしてもの疑問でしたら…
直接、お会いしてお話ししたほうが早く、そうしています。
 
もう200回は 同じ話しをしてきました(笑)
…でも、やはり、ご理解には限界があり、
そういうものだと思います。
 

この3ヶ月を使い、体をうちから
高める作戦に出ようと思います。
一番は、免疫療法。 

攻撃が効かないなら、守りを強化です。

とはいえ、前にお伝えした、ペプチド療法…
なかなか“ここは”、というところが見つかりません。
 
簡単にいえば、
「僕の癌のペプチドを専門に行う病院がないのです」
また、精巣腫瘍を扱っていなくても、
泌尿器の治療全般で探しても
 
臨床エントリー自体に基準があって、
たとえば、「白血球のタイプ」ひとつとっても、
適合しなければ、治療は受けられません。
 
ここも、難しい。 
限られた機関が限られた分野で取り組んでおられ、
基準が存在するのです。
 
また、そこに「技術」があり、
特許などの権利も発生していることで、
情報の共有がなされてもおらず、
だからひとつひとつ当たらなければならないのです。
 
そんな中、精巣癌の実績があり、
適合条件も合致して、
「よし」となった某地方大学も見つかったのですが、
その後の、ヒアリングの結果、
今までの治療の効果が芳しくないようです。
 
重ねて、情報を収集してゆくつもりですが、
少し早く生まれすぎたのですね…
あと5年先なら状況は変わっていたと思われます。


 
また、樹状細胞療法は、導入にかなりの設備がいるようで、
一般の病院で行っているところは少なく、
また、こちらも同様に僕の癌にジャストフィットはしません。
 
ということで、以前行った 
活性リンパ球療法を本線に 
柔軟に動こうという感じです。
 
あとは、単純ですが、
心と体に気持ちよいことを
どんどんしていこうということです。
 
という、腹積もりで、おりますので、
みなさん今後ともよろしくお願いします。

毛はじゃんじゃんと生え…少し怖いプールの話し

投稿日時:2009/03/11(水) 17:13

年末12月に最後の抗がん剤を入れてから、
3ヶ月…キレイに抜け落ちた体中の毛が、
じゃんじゃん 生えてきました。
これはつまり、骨髄などに溜まってしまう、
薬の成分以外は、体から抜けたというサインであります。 
 
以前にも書きましたが、
抗がん剤の副作用は、さまざまあり、
それは患者の体質やその薬の成分や投与する
量の違いでもあるのですが、体毛が抜けるというのは、
みな一様のようです。
それでも、薬の種類×個体差はあります。
 
僕の場合、顔の髭や頭髪が抜け始めるのが
薬投与後の2週間後くらい、
髭と髪の毛は同じタイミングでバサバサお抜け落ちてゆきます。

もう、慣れたもので、
「おお…そろそろ来るかな」てなもんです。
 
2回目に試したTINという薬のセットでは、
いままでは抜けなかった、眉毛やまつげ、鼻毛までもが抜け落ち、
改めて、彼らの存在意味を再確認したと…
これは以前お伝えしました。
 
この場合は、まさに「全身パイパン状態」…

以前、新宿2丁目のオカマのマルオさんが、
「私、全部…剃るの…毛ってさ…
 昔の自分を思い出して嫌なの…
 だから、全部剃っちゃってね… で、描くのよ」
と言っていましたが、

その方面の趣味のない僕には、
何をいっているのやらさっぱりわからず、
…ただ今更、同意するのは、体毛がすべてなくなると、
子供に帰った気がするというニュアンスです。
 
「よお、ボウズ…ちんちんに、けぇ~生えたか」
なんて言いますが、大人=毛(笑)みたいなことは、
大人になって、なくなってみて、改めて感じます。
 
女性の場合は、大変なようです。
癌センターの各ナースステーションには、
「散髪希望」を記入するノートが置かれています。
 
身だしなみを整えるという目的は、表向き。
抗がん剤で抜け落ちてしまう前に、坊主にしてしまいたい、
こういう患者さんのためにこのノートはあります。
 
散髪には、委託された美容師さんが、やってきます。
以前、この美容師さんに僕もお世話になりました。
 
「呼ばれて病室に行くと、カーテン締め切っていて、
声をかけても返事をしない、あきらめて帰ろうとすると、
どうぞ…と招かれる、
ではと、準備をしていざ、ハサミを入れると…
そのまま大声で泣き崩れる…
女性の場合、こんなことはしょっちゅうですよ」
 
「抗がん剤で抜けた髪は、また生えてくる、
 なんて言ってもね。
 今、なくなってしまう髪の方が大切なのでしょうね」
やはり、髪は女の命 辛いものなのです。
 
 
さて、抜けた体毛ですが、ではいつ生えてくるのか
といえば、これも個体差らしいです。
僕の場合は、投薬後、2ヶ月でまずは 
顎の髭が生えてきます。こいつが一番。
でも、はじめは、赤ちゃんのような
ふわふわした産毛が生えてきます。
しかも、全部、白髪だったりします。
 
いったん抜け落ち、生まれ変わって…
毛そのものの性格が変わったのか?
などと思いますが…いったん剃り、
また待っていると、
普段どおりの髭が生えてきます。
 
その次は下の毛と腋の毛、
このあたりが映え始めると、
髪の毛もぽつぽつと生えてきます。
 
で、まあ 現在は、こんな感じなのです。


 
一昨年、1ヶ月単位で、抗がん剤を投与していたときには、
生える間もなく、次の投与…でしたから、
この生えてくる感覚と言うのは、なかなか嬉しいものです。
 
髪が抜けて、つるつる頭でいても、
そのまま外に出歩くことは、苦ではありません。
むしろ、好きだったりするのですが、
僕の場合、そのまま外に出ると
「怖い人」に見られるらしいので、
それは、平穏な社会にいらぬ動揺を
引き起こしてはいけないと思い、
普段は帽子をかぶっています。
 
顔の髭は、いったん生え始めると、
その勢いはすごいもので、
髪の毛の育つ10倍くらいの速度で成長します。
 
つまり、頭は生え始めの「坊主」…
顔は髭だらけ…という状態に今、
ある訳で、これはこれで、へんな人です。
 
ただ、顔にも頭にも毛がないと、
いくら元気に振舞っていても、
病人に見えるらしいのですが、
こんな、へんな状態でも、
毛があるもんやは、元気そう…と言われます。
 
まあ、「元気なさそう」より「元気そう」の方が、
嬉しいので、これもこれで良しです。
 

手足の麻痺が取れないので、体が鈍りまくり、
あまりに重いので、年明けから、
スポーツジムに通い始めました。
 
といっても、マシンはもちろん、
走ったり、漕いだり、飛んだり跳ねたり…
がそもそも出来ないので、泳ごうかと。
 
初めは、公共施設でないものかと探しましたが、
プールそのものがなく、駅前のフィットネスクラブは、
なんかこ洒落ていて、性に合わず…
それでは範囲を広げて探したところ、
戸塚と藤沢の間くらいの住宅街に“S”を発見しました。
 
まずは、見学に…と行ってみると、
住宅街のど真ん中なのに、畑に囲まれています。
 
しかも、入り口には大根やらかぶやら…の100円市が。
しかも施設がかなり年季が入っています。
 
でもまあ、のんびりしていてよかろう…とさっそく、
格安で、プールとサウナのみ利用のコースを申し込み、
翌日から通うことに…
 
行って、びっくり、あまりの体力のなさに愕然としました。
 
僕は、泳ぎは得意を自負していて、
小学校時代から、大会の選手でもあり、
早くも遠くにも泳げる自信があったのですが、
ぜんぜん体がついてきません。
水に乗れないどころか、初めの50M泳いで、
もうヘロヘロなのです。
 
50Mプールの8コースは、スクールに3コースが取られ、
残り、5コースのうち、1コースが歩いて往復するコース、
後の4コースのうち、2コースが1レーン往復…
残り2コースが一方通行で、泳ぎが達者な方のコース、
当然、こちらで泳ぎ始めたもんやでしたが、
どうみても70歳に近いおばさんに、
追いつかれ、置いていかれる始末。
 
「これは、まずい。これほどとは…」と改めて、
今の体力のなさを再認識しました。
 
はじめは1kmをその日の目標にと考えていましたが、
死に物狂いで500mがやっとの初日でした。
 
友人Y君からも、
「そんなもんですよ。徐々に徐々に…無理せず、
 ゆっくり、継続してゆくことが大事」
と諭され、翌日からは、
とにかくゆっくりと泳ぐことを心がけました。
 
…2ヶ月たち、いまではしんどいものの
1Kmは普通に泳げるようになりまして、
体の切れも戻ってきました。
 
こうなると、余裕も出てきて、
回りを見渡すようになってきました。
 
このスポーツジム…
正確には、このプールには若者はひとりもいません。
若者どころか、ほとんどすべてが60歳以上の
おばちゃんとおばあちゃんなのです。

余裕の出たある日、プールを見渡して数えてみました
 
「…ひい…ふう…みい…よお…」
 
プールの中に人は30人 
うちどうみても60歳以上が30人 
うち女性25人。
 
ここは老人専用のプールなのか? 
いやいやそうではありません。

では、この時間帯がおかしいのか…
いやいや今日は土曜日の昼さがり…

もちろん、そもそもは体力回復とシェイプアップが目的…
別に回りに誰がいようがおかまいなしなのですが…
それにしてもあんまりに極端な光景…。
 
体型も女の命…なのでしょう。
健康の為もあるのでしょう、
お喋りの場でもあるのでしょう。
 それにしても…。

…で、どうも、最近、お尻に視線を感じるのです。
 
もちろんご存知の方はご存知だと思いますが、
僕はシリ…尻…ケツが自慢です。
 
小学校3年のプールの授業の時に、担任の相場先生に

「もんや君のお尻はかっこいいわねえ」
と褒められて以来、僕はお尻だけは人に自慢できる
“部位”なのです。
 
どうも、最近、このケツに視線を感じるのです。
プールのおばちゃんは みな元気です。 
水着もカラフルです。
筋骨隆々のおばちゃんもいます。

さっきから、休みなく泳ぎ続けている女性などは、
遠泳の競技に参加するがごときスタイルです。
 
老人が元気な場所です。健全で素晴らしい光景。
 
視線…? 
自信過剰なんじゃないの? 
そうですよね。 
そんなはずはないですよね。
 
…それに見られても減るもんじゃなし…
ですしね。
 
温水プールなのに…サブいぼが…
これも気のせいですよね。
 
おわり。
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