紋谷のソコヂカラ ブログテーマ:戯れ言
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なるほど…という癖をつけましょう
投稿日時:2009/01/08(木) 19:24人の話をちゃんと聞くということは大切です。
ちゃんと聞けて始めて、
こちらの言い分は伝えられるのです。
そもそも言いたいことが伝わらないのは、
相手がどんな気持ちでいるか、
その思いを推し量ることができていないから。
自分が言いたいことを言っているだけだからです。
そうですね。自己満足。
会話をしていて、…ああ…伝わっていないなあ~
と感じたとき、そのままにしていると、
いくら喋っても、自分の言葉は、どんどん無駄になります。
一生懸命喋った傍から、どぶに捨ててしまっている。
もったいない。
「角のスーパーで、1個100円のりんごを3つ買ってきてね」
ママはみっちゃんに、500円玉ひとつを渡し、
お使いを頼みました。
「は~い」
元気良く出かけたみっちゃんでしたが、
戻ったその手には、何もありません。
「どうしたの?」
「りんごはね。1個120円だったから…」
とみっちゃんは言いました。
「みっちゃん…ママはりんごをお願いしたの…
1個120円でもよかったのよ。ママ…がっかりだわ」
「……」
みっちゃんは泣いてしまいました。
だってママは言ったでしょ。
“1個100円のりんご”を買ってきてって。
とっても些細な話しではありますが、
世の中、こういう会話で満ち溢れています。
伝わらないのは誰のせい?
みっちゃんが 大人だったらどうでしょう?
「…ママ…100円じゃなかったらどうする?
……1個100円でも、5個まとめて袋詰めされていたら?
…そもそも今日の特売のチラシは見たの?
…商店街の八百屋さんの方が安売りしているんじゃない?
…すぐに買ってきた方がよいのかしら?
…ワタシ、本屋さんを覗いてきたいんだけど
…ところで、ママ、何を作るの?
…アップルパイ?
…じゃあ、おばあちゃんとこにもひとつ、届けようよ
…そうすると3つじゃ足りないわよね…」
たかが、りんごも…深いのです。
これが仕事の会話となると…なお更伝わらない。
伝えたつもり、承ったつもり…
だったのですが、1週間後…
結果は、どうもズレている。
何かを人に伝えるということは、けっこう傲慢なことです。
自分の考えを理解させたいなんて…そもそも傲慢の極み。
それでも伝えたいのですから、伝える側にはマナーが必要です。
それが、相手の気持ちになるということ。
「なるほど」という相槌は便利です。
相手の気持ちを引き出す、最短のフレーズ。
「わしゃあ~若い頃には苦労したんだよ。
今の若いのはダメだね。根性がない。…
どうしたこうした…ああじゃないこうじゃない…
てやんでえ~すっとこどっこい」
「…なるほどおお~そうですかあ~
確かにそのお気持ちは分かります」
「おおっ…兄ちゃん分かるのか?…まあ一杯やりねえ~」
ただし、このなるほど…使用法に若干の注意があります。
まず、なるほどおお~と語尾にインパクトを持たせる場合、
その意味は「同意」となります。
あなたのお話し、その通りだと思われます…
という意味になりますので、
単なる相槌以上のニュアンスが含まれます。
なある~ほどおお~というのも同様ですね。
従って、
「なるほどおお~でもですね。私どもと致しましては…」
と、なるほどといった傍から、
自分の主張に転換しようとすると、
無理が出ます。
また、
なるほど、なるほど…と重ねて言ってはいけません。
「ああ、こいつ、ちゃんと聞いてないな…」
ということがバレてしまいます。
「なるほどですね。」
これもダメです。
理由は…気持ち悪いから。
某ファミレスで、コーヒー一杯注文して…
持ってきたウエイトレスが
「お待たせいたしました。
こちらで注文はよろしかったでしょうか?」
というのと同じくらい気持ち悪い。
…まあ、中味のない馬鹿丁寧…というのに属します。
「なるほど…ねえ」
こういうさらっとした感じで、
ちょっと渋いトーンで、
相手の目をしっかり見て、
間髪のタイミングで言えるようになりますと、
会話のリズムは驚くほどスムースに上がります。
僕は、3年前からこの
“なるほど”を
意識して言うようになりました。
あんまり、言い過ぎて、もうなんでもかんでも
…なるほどって、口から出てしまいます。
誰と話しても出てしまいますから、
もう会話が弾みすぎて、へとへとになります。
浜松の弟の家に遊びに行ったときのこと、
小学2年生の姪と遊んでいましたら…
近所の姪の友達の子供がどんどん集まってきてしまい。
ワイワイと盛り上がって過ごしました。
そのうち、ひとりの女の子が言いました。
「おじちゃん。なんでもなるほどなるほどって言うね」
「なるほどおじさんだ」
「わーい わーい」
翌日、弟夫婦に誘われ、
姪の小学校の事業参観に行きました。
その日は、学年を問わず、全部のクラスが
事業参観を実施しているらしく、
学校中が人で溢れかえっています。
僕が、校舎に入ろうとすると、昨日の女の子が、
2階の窓から大きな声で叫ぶのです
「ああ!!なるほどおじさんだああ~!!
なるほどおじさああ~ん!!」
横の男の子も叫びます
「なるほどおお~!!」
つられて、知らない男の子も…
「なるほどおじさああ~ん!!」
回りの父兄が、何事かと僕を振り返ります。
校舎に入って、姪のクラスに向かうと、
みんんがクスクスと…笑っています。
「…ねえねえ あれが なるほどおじさんよ」
「へえ~あのおじさんが…なるほどおじさん」
恥ずかしい体験でした。
…だから なるほどは ほどほどにしなければなりません。
それでも、明日から使ってみてください。
…なるほど。
※写真は、「なるほどおじさん攻撃」のイメージです。
材木座の友人 太陽と銀河 本人達の許可は得ていません。
ちゃんと聞けて始めて、
こちらの言い分は伝えられるのです。
そもそも言いたいことが伝わらないのは、
相手がどんな気持ちでいるか、
その思いを推し量ることができていないから。
自分が言いたいことを言っているだけだからです。
そうですね。自己満足。
会話をしていて、…ああ…伝わっていないなあ~
と感じたとき、そのままにしていると、
いくら喋っても、自分の言葉は、どんどん無駄になります。
一生懸命喋った傍から、どぶに捨ててしまっている。
もったいない。
「角のスーパーで、1個100円のりんごを3つ買ってきてね」
ママはみっちゃんに、500円玉ひとつを渡し、
お使いを頼みました。
「は~い」
元気良く出かけたみっちゃんでしたが、
戻ったその手には、何もありません。
「どうしたの?」
「りんごはね。1個120円だったから…」
とみっちゃんは言いました。
「みっちゃん…ママはりんごをお願いしたの…
1個120円でもよかったのよ。ママ…がっかりだわ」
「……」
みっちゃんは泣いてしまいました。
だってママは言ったでしょ。
“1個100円のりんご”を買ってきてって。
とっても些細な話しではありますが、
世の中、こういう会話で満ち溢れています。
伝わらないのは誰のせい?
みっちゃんが 大人だったらどうでしょう?
「…ママ…100円じゃなかったらどうする?
……1個100円でも、5個まとめて袋詰めされていたら?
…そもそも今日の特売のチラシは見たの?
…商店街の八百屋さんの方が安売りしているんじゃない?
…すぐに買ってきた方がよいのかしら?
…ワタシ、本屋さんを覗いてきたいんだけど
…ところで、ママ、何を作るの?
…アップルパイ?
…じゃあ、おばあちゃんとこにもひとつ、届けようよ
…そうすると3つじゃ足りないわよね…」
たかが、りんごも…深いのです。
これが仕事の会話となると…なお更伝わらない。
伝えたつもり、承ったつもり…
だったのですが、1週間後…
結果は、どうもズレている。
何かを人に伝えるということは、けっこう傲慢なことです。
自分の考えを理解させたいなんて…そもそも傲慢の極み。
それでも伝えたいのですから、伝える側にはマナーが必要です。
それが、相手の気持ちになるということ。
「なるほど」という相槌は便利です。
相手の気持ちを引き出す、最短のフレーズ。
「わしゃあ~若い頃には苦労したんだよ。
今の若いのはダメだね。根性がない。…
どうしたこうした…ああじゃないこうじゃない…
てやんでえ~すっとこどっこい」
「…なるほどおお~そうですかあ~
確かにそのお気持ちは分かります」
「おおっ…兄ちゃん分かるのか?…まあ一杯やりねえ~」
ただし、このなるほど…使用法に若干の注意があります。
まず、なるほどおお~と語尾にインパクトを持たせる場合、
その意味は「同意」となります。
あなたのお話し、その通りだと思われます…
という意味になりますので、
単なる相槌以上のニュアンスが含まれます。
なある~ほどおお~というのも同様ですね。
従って、
「なるほどおお~でもですね。私どもと致しましては…」
と、なるほどといった傍から、
自分の主張に転換しようとすると、
無理が出ます。
また、
なるほど、なるほど…と重ねて言ってはいけません。
「ああ、こいつ、ちゃんと聞いてないな…」
ということがバレてしまいます。
「なるほどですね。」
これもダメです。
理由は…気持ち悪いから。
某ファミレスで、コーヒー一杯注文して…
持ってきたウエイトレスが
「お待たせいたしました。
こちらで注文はよろしかったでしょうか?」
というのと同じくらい気持ち悪い。
…まあ、中味のない馬鹿丁寧…というのに属します。
「なるほど…ねえ」
こういうさらっとした感じで、
ちょっと渋いトーンで、
相手の目をしっかり見て、
間髪のタイミングで言えるようになりますと、
会話のリズムは驚くほどスムースに上がります。
僕は、3年前からこの
“なるほど”を
意識して言うようになりました。
あんまり、言い過ぎて、もうなんでもかんでも
…なるほどって、口から出てしまいます。
誰と話しても出てしまいますから、
もう会話が弾みすぎて、へとへとになります。
浜松の弟の家に遊びに行ったときのこと、
小学2年生の姪と遊んでいましたら…
近所の姪の友達の子供がどんどん集まってきてしまい。
ワイワイと盛り上がって過ごしました。
そのうち、ひとりの女の子が言いました。
「おじちゃん。なんでもなるほどなるほどって言うね」
「なるほどおじさんだ」
「わーい わーい」
翌日、弟夫婦に誘われ、
姪の小学校の事業参観に行きました。
その日は、学年を問わず、全部のクラスが
事業参観を実施しているらしく、
学校中が人で溢れかえっています。
僕が、校舎に入ろうとすると、昨日の女の子が、
2階の窓から大きな声で叫ぶのです
「ああ!!なるほどおじさんだああ~!!
なるほどおじさああ~ん!!」
横の男の子も叫びます
「なるほどおお~!!」
つられて、知らない男の子も…
「なるほどおじさああ~ん!!」
回りの父兄が、何事かと僕を振り返ります。
校舎に入って、姪のクラスに向かうと、
みんんがクスクスと…笑っています。
「…ねえねえ あれが なるほどおじさんよ」
「へえ~あのおじさんが…なるほどおじさん」
恥ずかしい体験でした。
…だから なるほどは ほどほどにしなければなりません。
それでも、明日から使ってみてください。
…なるほど。
※写真は、「なるほどおじさん攻撃」のイメージです。
材木座の友人 太陽と銀河 本人達の許可は得ていません。
愚痴
投稿日時:2008/11/24(月) 17:48人と会うことが格段に増えました。
昨年の今頃は、病院のベットでふうふう言っていたのだから、
なんともうれしい話です。
病気が完治したわけではないので、
一時のことかもしれませんが、
それでも、一応、外向きの服を着て、
どこかで待ち合わせて人と会えるというのは
嬉しいことです。
病室にお見舞いに来られるというのは、
やはり、なんとも苦手です。
薬を入れられている間はもちろんのこと、
比較的自由に(僕の場合、かなり自由ですが)
動き回れるとしても、そこが病院である以上、
身に纏う空気はどうしようもなく、
そこのところの遠慮や気遣いや無理や同情や、
かっこつけ…そんなものすべてが、なんとも苦手です。
いちばんの苦手は、相手が誰であれ、
こう見られたいなあ~という自分自身。
それは、だいじょうぶ…でもなく、
大変なんです…でもなく、
もうダメです…でもない、
「自分に課せられた病気という現実を、
客観的に受け止め、整理できています…」
というメッセージを伝えようとする自分自身。
病気を客観的に語ることで、どこか、
現実逃避をしているのかもしれない…
なんというか、そういう弱さが…苦手です。
ひとりでいれば、その気苦労はないのですが、
話す対象が出来てしまうと、
途端に、このメッセージを喋り出す自分が、
嫌いになります。
要するに、人としての“器”が小さいのか、
出来ていないのか…そういうことなのでしょう。
…この“なのでしょう”…とか、言っている自分が、嫌いです(笑)。
ここのところの不況のせいですかね、
最近は、“男子の愚痴”を聞く機会が増えました。
というか、正確には
「事実を語っているだけなのに、結局、愚痴になっている」
という感じです。
僕の回りの男子もみな、歳をとりました(笑)
ひとつは、そのせいでしょう。
独立をしていても、サラリーマンでも、
経営に近いところの目線で、みなモノを言う立場ですから、
若き頃とは違います。
目の前にある仕事を、自分の裁量の範囲でしていた頃とは違うのです。
食わせなけりゃならない、メンバーも増えました。
なにが成功の秘訣か、
どの道が正しいのか、
わからない時代でもあります。
いったん、立ち上げた事業や会社は
簡単に閉じることは出来ません。
それは、責任感云々…などでは、
語れない領域の話でもあります。
もちろん、愚痴などとは無縁の輩も数多くいます。
成功の極みにいるから…という訳でもありません。
この方々のパターンは、
今の自分に、何が足りないのか…その答えを持っている…か、
はたまた、愚痴る…というコミュニケーションの仕方を知らない…か。
どうも、そのいずれかのようです。
後者と会話すると、少しストレスを覚えます。
なんというか、面倒臭い(笑)。
弱音を本音で語れるというのも、時には大切。
…正直に話せばよいのに…と感じてしまいます。
でも、その術をしらないわけですから…実は、
しんどいのは本人なのかもしれません。
前者の方は、男子の本懐に近い。
愚痴などを語る必要はないのです。
もちろん、日々、それなりのマイナスは抱えたとしても、
中心に位置する幹が、どっしりと天に向かって伸びているのですから、
そのマイナスは、些事な枝葉末節にすぎません。
答えに向かい突き進む…その行き方が出来るのですから。
素晴らしい人生です。
もうひとつ、ごく稀にですが、こんな方もいらっしゃいます。
「男子たるもの愚痴らない」
これで、寡黙なら…一緒に飲んで楽しい相手ではありませんが、
愚痴らない代わりに、楽しい会話ができるのでしたら…
こういう友は、“めっけもん”…です。
ちなみに、僕はどのタイプかと申しますと、
“愚痴る術を知らない”男子に属します。
学生時代は大抵、
もんやは格好つけていると…
先輩達にいじめられました。
「先輩! オレッて どうっすか!?
…ダメッすか!?…ツライっす!」
などと口が裂けても言わない、言えない後輩。
実は、愚痴ることができる人がうらやましかった。
でも、子供の頃から、出来ませんでした。
理由は、わかりません。
おそらく、DNAと環境なのでしょう。
少なくとも、自分の記憶に
“愚痴を言っちまったなぁ~”というものはありません
愚痴を、本音と約すなら…
自分をさらけ出しているということです。
本音で甘える後輩は可愛いもの。
たまには、さらけ出せたらと…よく思いました。
まあ、愚痴をさらさなくても、酒に弱ければ…
これがなんとかなるのでしょうが、
まあ、いくら飲んでも、何時になっても、自分を見失わない。
酔っての不始末などしたくても出来ない。
「いやあ~昨日、飲みすぎて…
朝起きたら、日比谷公園のベンチでしたぁ~」
なんて言える男になりたかった。
飲み会でも、必ず、席の端に座るタイプで、
最後は、泡吹いてる仲間を家まで送る奴。
居酒屋で隣のグループと喧嘩にでもなれば、
必ず仲裁する役でした。
恋愛も同様。
愚痴らないから、本音が見えない…だから
「あなたは、ワタシといて本当に楽しいのか…わからないわ」
と、よく言われました。
僕にしてみれば、どうしてそういうことを聞くのか、
さっぱりわかりません。
また、どうすればよいのかも、さっぱりわからない。
何度も繰り返すうちに、
こういう場合、
「楽しいに決まっているじゃないか」
などと、いくら応えても意味がないことだけは、勉強になりました。
でも、相変わらず愚痴という本音は言わないのですから、
結果はあまり変わらなかったように記憶しています。
愚痴も、過ぎればうるさいのでしょうが、
まったく言わないというのは、
やはり、よくないことなのです。
社会に出ますと、この環境は、逆に作用したりもします。
愚痴らないこと、イコール、頼もしいという…“誤解”です。
会議の場でも、日々の仕事の場面でも、
いろいろな問題に直面した際に、
とくに解決策などはなくても、愚痴を言わないでいることが、
評価されたりします。
前向きな奴だ…という誤解。
もちろん、それなりの結果が伴ってこその話しですが、
それでもおかしい誤解です。
特に、悩んでいる部下などがいた場合、
直属の関係がなくても、上司からその部下の話しを
聞いてやってくれ…などと言われます。
勘弁して欲しい…と何度も思うのですが、
これも、愚痴ることのできないサラリーマンの宿命でした。
昔の部下などに会うと
「もんやさんは、人の話を聞くのが好きですよねえ~」
と言われますが、はっきり言って、大きな誤解なのですそれは。
…おそらく
…おそらくですが、部下でなくても、けっこうみんな
「もんやは人の話を聞くのが、好き」
なんて思っていません?…(笑)
実は、そうじゃないのです。
ここも正確に言うと
「楽しい話し おもしろい話し」
なら大歓迎…というだけで、
出口がない内容であっても、
ただ愚痴を受け止めることのできる
…そんな器ではないのです僕は。
それでも、なんでも…今は人と話すことは嬉しいことです。
ほんとに昨年の今頃は、ふうふう言っているだけでしたから…。
「会いたい人には、なかなか会えません」
普段の忙しい日常では、会いたいと思っていても、
いつのまにか、平気で時間が過ぎてしまいます。
その意味では、色んな方に会おうとする自分がいて、
会いたいと感じてくれる人がいる、
少し、浪花節ですがそういうことは、
病気のおかげさま…とも言えます。
…今回は、自分には出来ない領域…
全編、総天然色で“愚痴って”みようと思いましたが(笑)
やはり、最後は、美しくまとめてしまう…こういう奴です。
というか、もう変わりませんね…
無駄な抵抗はやめたほうがよいので、
どんどん愚痴ってください。
男子の愚痴…って言いましたが、
そう、女子は言わないのです愚痴は…
僕の回りだけですかね。
いちばん分かりやすい答えは、
奥さんや恋人ではなく、現在の部下でもないからなのでしょうが…
男女に関わらず、同じ程度の距離の友人でも、
女子は僕には愚痴らない…これはどうしてなのか?
やはり、女子は根本的には男子より
精神構造が大人に出来ているのではないか…
とりあえず、そういうことなのでしょうか。
誰か教えてください。
昨年の今頃は、病院のベットでふうふう言っていたのだから、
なんともうれしい話です。
病気が完治したわけではないので、
一時のことかもしれませんが、
それでも、一応、外向きの服を着て、
どこかで待ち合わせて人と会えるというのは
嬉しいことです。
病室にお見舞いに来られるというのは、
やはり、なんとも苦手です。
薬を入れられている間はもちろんのこと、
比較的自由に(僕の場合、かなり自由ですが)
動き回れるとしても、そこが病院である以上、
身に纏う空気はどうしようもなく、
そこのところの遠慮や気遣いや無理や同情や、
かっこつけ…そんなものすべてが、なんとも苦手です。
いちばんの苦手は、相手が誰であれ、
こう見られたいなあ~という自分自身。
それは、だいじょうぶ…でもなく、
大変なんです…でもなく、
もうダメです…でもない、
「自分に課せられた病気という現実を、
客観的に受け止め、整理できています…」
というメッセージを伝えようとする自分自身。
病気を客観的に語ることで、どこか、
現実逃避をしているのかもしれない…
なんというか、そういう弱さが…苦手です。
ひとりでいれば、その気苦労はないのですが、
話す対象が出来てしまうと、
途端に、このメッセージを喋り出す自分が、
嫌いになります。
要するに、人としての“器”が小さいのか、
出来ていないのか…そういうことなのでしょう。
…この“なのでしょう”…とか、言っている自分が、嫌いです(笑)。
ここのところの不況のせいですかね、
最近は、“男子の愚痴”を聞く機会が増えました。
というか、正確には
「事実を語っているだけなのに、結局、愚痴になっている」
という感じです。
僕の回りの男子もみな、歳をとりました(笑)
ひとつは、そのせいでしょう。
独立をしていても、サラリーマンでも、
経営に近いところの目線で、みなモノを言う立場ですから、
若き頃とは違います。
目の前にある仕事を、自分の裁量の範囲でしていた頃とは違うのです。
食わせなけりゃならない、メンバーも増えました。
なにが成功の秘訣か、
どの道が正しいのか、
わからない時代でもあります。
いったん、立ち上げた事業や会社は
簡単に閉じることは出来ません。
それは、責任感云々…などでは、
語れない領域の話でもあります。
もちろん、愚痴などとは無縁の輩も数多くいます。
成功の極みにいるから…という訳でもありません。
この方々のパターンは、
今の自分に、何が足りないのか…その答えを持っている…か、
はたまた、愚痴る…というコミュニケーションの仕方を知らない…か。
どうも、そのいずれかのようです。
後者と会話すると、少しストレスを覚えます。
なんというか、面倒臭い(笑)。
弱音を本音で語れるというのも、時には大切。
…正直に話せばよいのに…と感じてしまいます。
でも、その術をしらないわけですから…実は、
しんどいのは本人なのかもしれません。
前者の方は、男子の本懐に近い。
愚痴などを語る必要はないのです。
もちろん、日々、それなりのマイナスは抱えたとしても、
中心に位置する幹が、どっしりと天に向かって伸びているのですから、
そのマイナスは、些事な枝葉末節にすぎません。
答えに向かい突き進む…その行き方が出来るのですから。
素晴らしい人生です。
もうひとつ、ごく稀にですが、こんな方もいらっしゃいます。
「男子たるもの愚痴らない」
これで、寡黙なら…一緒に飲んで楽しい相手ではありませんが、
愚痴らない代わりに、楽しい会話ができるのでしたら…
こういう友は、“めっけもん”…です。
ちなみに、僕はどのタイプかと申しますと、
“愚痴る術を知らない”男子に属します。
学生時代は大抵、
もんやは格好つけていると…
先輩達にいじめられました。
「先輩! オレッて どうっすか!?
…ダメッすか!?…ツライっす!」
などと口が裂けても言わない、言えない後輩。
実は、愚痴ることができる人がうらやましかった。
でも、子供の頃から、出来ませんでした。
理由は、わかりません。
おそらく、DNAと環境なのでしょう。
少なくとも、自分の記憶に
“愚痴を言っちまったなぁ~”というものはありません
愚痴を、本音と約すなら…
自分をさらけ出しているということです。
本音で甘える後輩は可愛いもの。
たまには、さらけ出せたらと…よく思いました。
まあ、愚痴をさらさなくても、酒に弱ければ…
これがなんとかなるのでしょうが、
まあ、いくら飲んでも、何時になっても、自分を見失わない。
酔っての不始末などしたくても出来ない。
「いやあ~昨日、飲みすぎて…
朝起きたら、日比谷公園のベンチでしたぁ~」
なんて言える男になりたかった。
飲み会でも、必ず、席の端に座るタイプで、
最後は、泡吹いてる仲間を家まで送る奴。
居酒屋で隣のグループと喧嘩にでもなれば、
必ず仲裁する役でした。
恋愛も同様。
愚痴らないから、本音が見えない…だから
「あなたは、ワタシといて本当に楽しいのか…わからないわ」
と、よく言われました。
僕にしてみれば、どうしてそういうことを聞くのか、
さっぱりわかりません。
また、どうすればよいのかも、さっぱりわからない。
何度も繰り返すうちに、
こういう場合、
「楽しいに決まっているじゃないか」
などと、いくら応えても意味がないことだけは、勉強になりました。
でも、相変わらず愚痴という本音は言わないのですから、
結果はあまり変わらなかったように記憶しています。
愚痴も、過ぎればうるさいのでしょうが、
まったく言わないというのは、
やはり、よくないことなのです。
社会に出ますと、この環境は、逆に作用したりもします。
愚痴らないこと、イコール、頼もしいという…“誤解”です。
会議の場でも、日々の仕事の場面でも、
いろいろな問題に直面した際に、
とくに解決策などはなくても、愚痴を言わないでいることが、
評価されたりします。
前向きな奴だ…という誤解。
もちろん、それなりの結果が伴ってこその話しですが、
それでもおかしい誤解です。
特に、悩んでいる部下などがいた場合、
直属の関係がなくても、上司からその部下の話しを
聞いてやってくれ…などと言われます。
勘弁して欲しい…と何度も思うのですが、
これも、愚痴ることのできないサラリーマンの宿命でした。
昔の部下などに会うと
「もんやさんは、人の話を聞くのが好きですよねえ~」
と言われますが、はっきり言って、大きな誤解なのですそれは。
…おそらく
…おそらくですが、部下でなくても、けっこうみんな
「もんやは人の話を聞くのが、好き」
なんて思っていません?…(笑)
実は、そうじゃないのです。
ここも正確に言うと
「楽しい話し おもしろい話し」
なら大歓迎…というだけで、
出口がない内容であっても、
ただ愚痴を受け止めることのできる
…そんな器ではないのです僕は。
それでも、なんでも…今は人と話すことは嬉しいことです。
ほんとに昨年の今頃は、ふうふう言っているだけでしたから…。
「会いたい人には、なかなか会えません」
普段の忙しい日常では、会いたいと思っていても、
いつのまにか、平気で時間が過ぎてしまいます。
その意味では、色んな方に会おうとする自分がいて、
会いたいと感じてくれる人がいる、
少し、浪花節ですがそういうことは、
病気のおかげさま…とも言えます。
…今回は、自分には出来ない領域…
全編、総天然色で“愚痴って”みようと思いましたが(笑)
やはり、最後は、美しくまとめてしまう…こういう奴です。
というか、もう変わりませんね…
無駄な抵抗はやめたほうがよいので、
どんどん愚痴ってください。
男子の愚痴…って言いましたが、
そう、女子は言わないのです愚痴は…
僕の回りだけですかね。
いちばん分かりやすい答えは、
奥さんや恋人ではなく、現在の部下でもないからなのでしょうが…
男女に関わらず、同じ程度の距離の友人でも、
女子は僕には愚痴らない…これはどうしてなのか?
やはり、女子は根本的には男子より
精神構造が大人に出来ているのではないか…
とりあえず、そういうことなのでしょうか。
誰か教えてください。
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