紋谷のソコヂカラ
Facebook とMONEYBALL [映画]
投稿日時:2011/11/14(月) 10:38
遅ればせながら FBを始めた。
始めての感想は、もうすでに何年もの間、
十分に友達なのに、今さらその関係を
「承認」する
というのは甚だ抵抗を感じる。
これはみなそうなんだろうが、
承認して「ありがとう」などと言われると、
恐縮してしまう。
重ねて言うと、
「これ以上、知り合いを増やしたくはない」し
「知り合いが誰と友達になったとか
…言われても困る」
それでも、始めたのには理由があります。
いまから25年~30年前、
学生時代に渋谷のある場所で
同じ釜の飯を食った仲間と、
連絡を取りたいからです。
この時代は僕にとってとても
意味のある時間が流れていた。
…なんて思い返すことが多く、
当時の渋谷は、東京に出て来て2年目、
地に足がついた場所でもあります。
自分の人生にとって、
この期間は意味あるなあ~
と思い返すことありませんか?
高校時代までは、会おうと思えば会えるし
(まあ~思わないから、こういうコミュニティ
ツールが使われるわけなのですが、
一瞬の懐かしさの先になにがあるのか
…が重要なのでしょう)
探そうと思えば探せる範囲でもあります。
大学時代も然り、社会人になってから、
はじめの頃の人間関係は、
僕の場合は“希薄”なので、どうでもよい。
“本気で”会いたくて、
会えないZONEがこの5年間。
実名で検索すれば、FBで探せる…
とアドバイスされるのですが
ルールとしてそれはすまい
と思っています。
ルール?
“自分を明かし、お越しいただくのを待つ。
自分からは探しにゆかない”
なぜかと言うと、
① ニックネームは覚えていますが、実名が不明な人が多い…
…などなど
② いらしてくれた時の感動を味わいたい
③ 相手はもうつながりたくはない
かもしれないから…
とくに②番…
いちばん大きな理由です。
広大な電脳世界で、どこかのだれかと、
どこかの誰かがつながり、
またつながり…
そしてもんやを発見して、やってくる
…ここにロマンを感じるわけであります。
(大笑)
とまあ…始めまして1週間なわけなのですが、
やはり聞くとやるのとでは大違いを感じます。
面白いなあ…と思う点は。
“相手の趣味、趣向がダイレクトに見える”という点で、
そこに関して “いいね” ならば、
そのまま深くコミュニケーションが出来るという点、
人によっては、
「そんなの、直に会って話せばよいじゃん」
なんて思うのでしょうが、
いやいやそうではないのです。
直に話すことなんて、機会は少ないのです。
そもそも直に会う場合は、
会話は限られ、久しぶりに会おうものなら
「久しぶり なにしているの?」
だけで1時間くらい経ってしまい、
あっという間に
「じゃあまたね …」
でお開きになってしまう。
僕などは“薄い”やりとりが大嫌いなので、
そういう半端な会は極力、参加したくない。
FBで彼の近況や趣向でのやりとりをしていれば、
その後、直に会った時に
「久しぶり~」なんて社交辞令の必要はなく、
もう、そのまま共通の会話に持ち込めたりするわけで、
その意味ではFBと実際を組み合わせることで、
深い人間関係が生まれるなあ~と感じました。
また、もう知り合い増やしたくない…
などと嘯きましたが、すでに
感動の出会いもいくつかありまして、
ありがとうFBなのです。
あと、“発信すること”がうまい人、
下手な人…いるなあ…と。
他人とのコミュニケーションがうまい人は、
やはりメッセージ性が高い。
これは、バーチャルでもリアルでも
同じことなんだなあ…と思いますし。
反面、普段、寡黙な人が、
饒舌にメッセージを発信しているのを拝見すると、
なんだ言いたいことがあるじゃん…
なんて再発見です。
知り合いが増えてくると
ウォールが訳がわかんなくなってきますが、
みんなはどうしているのだろう?
まあ、好きに取捨選択しているのでしょうが…
僕は不器用なので、情報がランダムに
数が増えてくると、処理できなくなってしまう。
能動的に主体的に関わる人には最適なのだろが、
僕などはどちらか…
ではなく完全に受動的なので…
まだ慣れません。
巨大な居酒屋で、
メガ合コンしている感じなのでしょうか?
主体的に相手を探しに席から席へと渡り歩く、
席と席はつながり、また離れ、
またつながる…
いろんな席でいろんなテーマが話されて
人が入ったり抜けたり、でも大切なルールは、
自分が何者なのか明らかにしていること…。
僕などは、知らない人と
つながりたくなどは決してありません。
たどり着いた町で知り得た情報をもとに、
知らない人とPARTYを組み、
町はずれの北の洞窟に巣くう、
魔人を倒して、ドラゴンの紋章の入った
指輪を手に入れる…
なんてことはできないのです。
かんたんに出来る人が、不思議でなりません。
◆◆◆
久しぶりによい映画を映画館で観た。
「MONEY BALL」
ブラッドピットの映画としては、
僕はいちばんよい出来なのではと思う。
アメリカ大リーグ、オークランドアスレチックス(A’s)の
若きGMの物語。
A’sの選手の年棒予算は4000万ドル…
なのに2億ドルの予算を持つ球団
(たとえばヤンキース)と対戦しなければならない。
…この不条理を「マネーボール理論」という
新しい取り組みで克服した男の話であります。
マネーボール理論がなんだかわからない人に
かんたんにひと言で解説すると
数あるデータの中から、
勝利に結びつくものとそうでないものを峻別し、
使い分けること。
具体的には、
「打者は打率で評価しない、大切なことは出塁率。
なぜならベースボールは、アウトを3つ奪われたら
攻守が交代してしまう
攻撃側は、いかに交代を遅らせるかが重要である」
「シングルヒットより長打が重要。
塁を多く進めることが勝利への重要な要件である」
つまりマネーボール理論の強打者とは、
出塁率が高く、なおかつ長打力を兼ね備えている選手…
となる。
打率は、単にヒットを打った確率にすぎず、
出塁能力も長打の能力も示していない。
実際に、出塁率と長打能力は
チームの得点数といちばんの相関関係にある。
そしてマネーボール理論は同様の理屈で…
盗塁と犠打を否定する。
これは、アウトになる確率がある
プレーは選択すべきでないからと定義つける。
これが投手となると…
真の実力を計るには “被安打” は不確定な要素で排除する。
奪三振・与三振・被本塁打
この3要素を軸とすべきとする。
つまりこの3要素こそ、
相手と自らの関係を決定づける要素だと
決めつけすことから始めているのです。
この理論の根底にあるものは
“主観に頼らない” ということ。
たとえば、
「3割の打者と2割7分5厘の打者を
目で見て区別することは不可能。
なにしろ、2週間にヒット1本の差しかない。
事実、もし年間15試合観戦するとしたら、
目の前でたまたま、2割7分5厘の打者が、
3割打者より多くヒットを打つ確率は40%もある。
優れた打者と平均的な打者の違いは、
目には見えず、違いはデータの中だけにある」
という、これは当時のドラフトやスカウトが
「見栄えやイメージのよい選手を獲得すること」
に注力してきた球団の姿勢を
覆す際に多用した言葉だ。
「われわれはジーンズを売っているわけではない」
まあ、だからこの野球はつまらない…
僕にとっては。
走るなバントもするな四球を選べ
と言っているわけで、僕の大好きな
高校野球などはその在り方を否定されてしまう。
しかし、ブラピは言うのです、
「結局、勝つこと、勝ち続けることでしか
われわれの存在感はなく、
勝ち続ければファンは評価してくれる」…と
勝つためには手段を選ばないとも言える
このマネーボール理論のおかげで、
A’sはワールドシリーズこそ逃すが、
常勝軍団へと生まれ変わる。
この、勝てばなんでもよい理論は、
当時、球界からはつまらないと揶揄されたわけなのですが。
結局、今日メジャー全球団に最低一人は
データ分析のアナリストはいるわけで、
日本のプロ野球にも「データ野球」なる
言葉が生まれて久しいのも
ひも解けばこのあたりのわけなのです。
…ああ なんだか解説になってしまいました。
ごめんなさい。
この理論はどうでもよかったのに…
球団改革に苦悩するブラピがよいのです。
この映画、原作が原作だけに
(統計やデータ満載の本、ストーリーがない)
脚色は重要で、ソーシャルネットワーク(FBの話し)と
シンドラーのリストの脚本家がふたりがかりで、
シナリオにを仕立てているせいか、
「観る側に感じさせる」という
映画として素晴らしいできに思う。
ブラピを静かなる強い意志を持った主人公に
仕上げた出来栄えが、僕には秀逸に感じました。
A’sは来年日本でマリナーズと日本開幕戦やりますね。
野球好きな人もそうでない人も楽しめます。
始めての感想は、もうすでに何年もの間、
十分に友達なのに、今さらその関係を
「承認」する
というのは甚だ抵抗を感じる。
これはみなそうなんだろうが、
承認して「ありがとう」などと言われると、
恐縮してしまう。
重ねて言うと、
「これ以上、知り合いを増やしたくはない」し
「知り合いが誰と友達になったとか
…言われても困る」
それでも、始めたのには理由があります。
いまから25年~30年前、
学生時代に渋谷のある場所で
同じ釜の飯を食った仲間と、
連絡を取りたいからです。
この時代は僕にとってとても
意味のある時間が流れていた。
…なんて思い返すことが多く、
当時の渋谷は、東京に出て来て2年目、
地に足がついた場所でもあります。
自分の人生にとって、
この期間は意味あるなあ~
と思い返すことありませんか?
高校時代までは、会おうと思えば会えるし
(まあ~思わないから、こういうコミュニティ
ツールが使われるわけなのですが、
一瞬の懐かしさの先になにがあるのか
…が重要なのでしょう)
探そうと思えば探せる範囲でもあります。
大学時代も然り、社会人になってから、
はじめの頃の人間関係は、
僕の場合は“希薄”なので、どうでもよい。
“本気で”会いたくて、
会えないZONEがこの5年間。
実名で検索すれば、FBで探せる…
とアドバイスされるのですが
ルールとしてそれはすまい
と思っています。
ルール?
“自分を明かし、お越しいただくのを待つ。
自分からは探しにゆかない”
なぜかと言うと、
① ニックネームは覚えていますが、実名が不明な人が多い…
フランケンさん
むちゃく
チーフ
玉ちゃん
兵衛門さん
むちゃく
チーフ
玉ちゃん
兵衛門さん
…などなど
② いらしてくれた時の感動を味わいたい
③ 相手はもうつながりたくはない
かもしれないから…
とくに②番…
いちばん大きな理由です。
広大な電脳世界で、どこかのだれかと、
どこかの誰かがつながり、
またつながり…
そしてもんやを発見して、やってくる
…ここにロマンを感じるわけであります。
(大笑)
とまあ…始めまして1週間なわけなのですが、
やはり聞くとやるのとでは大違いを感じます。
面白いなあ…と思う点は。
“相手の趣味、趣向がダイレクトに見える”という点で、
そこに関して “いいね” ならば、
そのまま深くコミュニケーションが出来るという点、
人によっては、
「そんなの、直に会って話せばよいじゃん」
なんて思うのでしょうが、
いやいやそうではないのです。
直に話すことなんて、機会は少ないのです。
そもそも直に会う場合は、
会話は限られ、久しぶりに会おうものなら
「久しぶり なにしているの?」
だけで1時間くらい経ってしまい、
あっという間に
「じゃあまたね …」
でお開きになってしまう。
僕などは“薄い”やりとりが大嫌いなので、
そういう半端な会は極力、参加したくない。
FBで彼の近況や趣向でのやりとりをしていれば、
その後、直に会った時に
「久しぶり~」なんて社交辞令の必要はなく、
もう、そのまま共通の会話に持ち込めたりするわけで、
その意味ではFBと実際を組み合わせることで、
深い人間関係が生まれるなあ~と感じました。
また、もう知り合い増やしたくない…
などと嘯きましたが、すでに
感動の出会いもいくつかありまして、
ありがとうFBなのです。
あと、“発信すること”がうまい人、
下手な人…いるなあ…と。
他人とのコミュニケーションがうまい人は、
やはりメッセージ性が高い。
これは、バーチャルでもリアルでも
同じことなんだなあ…と思いますし。
反面、普段、寡黙な人が、
饒舌にメッセージを発信しているのを拝見すると、
なんだ言いたいことがあるじゃん…
なんて再発見です。
知り合いが増えてくると
ウォールが訳がわかんなくなってきますが、
みんなはどうしているのだろう?
まあ、好きに取捨選択しているのでしょうが…
僕は不器用なので、情報がランダムに
数が増えてくると、処理できなくなってしまう。
能動的に主体的に関わる人には最適なのだろが、
僕などはどちらか…
ではなく完全に受動的なので…
まだ慣れません。
巨大な居酒屋で、
メガ合コンしている感じなのでしょうか?
主体的に相手を探しに席から席へと渡り歩く、
席と席はつながり、また離れ、
またつながる…
いろんな席でいろんなテーマが話されて
人が入ったり抜けたり、でも大切なルールは、
自分が何者なのか明らかにしていること…。
僕などは、知らない人と
つながりたくなどは決してありません。
たどり着いた町で知り得た情報をもとに、
知らない人とPARTYを組み、
町はずれの北の洞窟に巣くう、
魔人を倒して、ドラゴンの紋章の入った
指輪を手に入れる…
なんてことはできないのです。
かんたんに出来る人が、不思議でなりません。
◆◆◆
久しぶりによい映画を映画館で観た。
「MONEY BALL」
ブラッドピットの映画としては、
僕はいちばんよい出来なのではと思う。
アメリカ大リーグ、オークランドアスレチックス(A’s)の
若きGMの物語。
A’sの選手の年棒予算は4000万ドル…
なのに2億ドルの予算を持つ球団
(たとえばヤンキース)と対戦しなければならない。
…この不条理を「マネーボール理論」という
新しい取り組みで克服した男の話であります。
マネーボール理論がなんだかわからない人に
かんたんにひと言で解説すると
数あるデータの中から、
勝利に結びつくものとそうでないものを峻別し、
使い分けること。
具体的には、
「打者は打率で評価しない、大切なことは出塁率。
なぜならベースボールは、アウトを3つ奪われたら
攻守が交代してしまう
攻撃側は、いかに交代を遅らせるかが重要である」
「シングルヒットより長打が重要。
塁を多く進めることが勝利への重要な要件である」
つまりマネーボール理論の強打者とは、
出塁率が高く、なおかつ長打力を兼ね備えている選手…
となる。
打率は、単にヒットを打った確率にすぎず、
出塁能力も長打の能力も示していない。
実際に、出塁率と長打能力は
チームの得点数といちばんの相関関係にある。
そしてマネーボール理論は同様の理屈で…
盗塁と犠打を否定する。
これは、アウトになる確率がある
プレーは選択すべきでないからと定義つける。
これが投手となると…
真の実力を計るには “被安打” は不確定な要素で排除する。
奪三振・与三振・被本塁打
この3要素を軸とすべきとする。
つまりこの3要素こそ、
相手と自らの関係を決定づける要素だと
決めつけすことから始めているのです。
この理論の根底にあるものは
“主観に頼らない” ということ。
たとえば、
「3割の打者と2割7分5厘の打者を
目で見て区別することは不可能。
なにしろ、2週間にヒット1本の差しかない。
事実、もし年間15試合観戦するとしたら、
目の前でたまたま、2割7分5厘の打者が、
3割打者より多くヒットを打つ確率は40%もある。
優れた打者と平均的な打者の違いは、
目には見えず、違いはデータの中だけにある」
という、これは当時のドラフトやスカウトが
「見栄えやイメージのよい選手を獲得すること」
に注力してきた球団の姿勢を
覆す際に多用した言葉だ。
「われわれはジーンズを売っているわけではない」
まあ、だからこの野球はつまらない…
僕にとっては。
走るなバントもするな四球を選べ
と言っているわけで、僕の大好きな
高校野球などはその在り方を否定されてしまう。
しかし、ブラピは言うのです、
「結局、勝つこと、勝ち続けることでしか
われわれの存在感はなく、
勝ち続ければファンは評価してくれる」…と
勝つためには手段を選ばないとも言える
このマネーボール理論のおかげで、
A’sはワールドシリーズこそ逃すが、
常勝軍団へと生まれ変わる。
この、勝てばなんでもよい理論は、
当時、球界からはつまらないと揶揄されたわけなのですが。
結局、今日メジャー全球団に最低一人は
データ分析のアナリストはいるわけで、
日本のプロ野球にも「データ野球」なる
言葉が生まれて久しいのも
ひも解けばこのあたりのわけなのです。
…ああ なんだか解説になってしまいました。
ごめんなさい。
この理論はどうでもよかったのに…
球団改革に苦悩するブラピがよいのです。
この映画、原作が原作だけに
(統計やデータ満載の本、ストーリーがない)
脚色は重要で、ソーシャルネットワーク(FBの話し)と
シンドラーのリストの脚本家がふたりがかりで、
シナリオにを仕立てているせいか、
「観る側に感じさせる」という
映画として素晴らしいできに思う。
ブラピを静かなる強い意志を持った主人公に
仕上げた出来栄えが、僕には秀逸に感じました。
A’sは来年日本でマリナーズと日本開幕戦やりますね。
野球好きな人もそうでない人も楽しめます。
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