紋谷のソコヂカラ
渡る世間は…本日最終回 [病気について]
投稿日時:2011/09/29(木) 16:43
「渡る世間は…本日最終回」
…だそうであります。
放送開始が1990年。以来、10シリーズまで、
1シリーズだいたい50話のペースで作られ
最終回が500話目?
…なんだかそんな感じのようです。
…あれ?
1シリーズ50話って、50週ってことだから…
ええ!?
1シリーズ始まると…
1年中やっているってことになるのですが
…そうなんでしたか?
20年で10シリーズということは、2年に1度
1年間ずっとやっているドラマ
ってことですか?
そんなに長いこと頻繁に放送されていたのですか?
みなさんは常識でしたか?
僕は、「1回も観たことがないのです」
もちろんチャンネルを替えたその一瞬に…
チラリと食堂らしきセットで
泉ピン子さんとえなり君が会話している
映像は何度か観た記憶はありますし、
そこが食堂ではなく「幸楽」という
中華料理屋さんだということも、
いつかどこか、なにかの拍子に
記憶には入っているのですが
…とにかく物語の筋も人物の関係も
なにもかも、まったく知りません。
別に、ああいうドラマの設定が嫌いとか
役者さんが苦手だとか
…そういうことでもないのです。
橋田さんや石井さんにも偏見はございません。
…がしかし、それでも
それだけ頻繁に放送されていたのに、
1度たりとも観たことがなかったというのが、
なんというか驚いています。
「“…卓造じゃあ~ねえよ!”
って、キレる
…誰でしたか あの~お笑いの…?」
「うーん…なんだっけ?………
なんとか あい?」
「はるな…あい? じゃなくて …?あれ?
なんだっけ?
あのガリガリの相方のコンビは…うーん?」
「うーん 顔は出る 顔は出るんだけど
名前は思い出せない…それがどうしたの?」
「あのお笑いの娘にそっくりじゃありませんか
…あの娘?」
「えっ? どの娘?」
…と見るとその娘さんは
その “なんとかあい”に 似ているというよりは、
なんと角野卓造に瓜二つなのでした。
「…いや むしろ なんとかあい は
どうでもよくて あの娘はもう卓造だと思われます」
「…ああ!!そうかぁ
僕はその卓造って役者さんの顔が逆に分からなくて…
テレビで “じゃあ~ねえよ!”ってどや顔する
あのお笑いの人しか知らなくて
…で、あの娘さんみたら似ているなって…
ねえもんやさん あの娘に
TBSのドラマに出ていませんでしたか?
って聞いてみてもいいですか?」
「いいわけ ないでしょ ダメです」
つまり その、なんの罪もない娘さんをAとすると
角野卓造 ≧ なんとかあい ≧ A
ではなくて
角野卓造 ≧ A
という事実を僕は目撃したことで
証明してしまったのです。
実際に なんとかあい に似ている
ってままであれば まだ幸せだったかもしれないのに…
僕と会話した友人とその娘さんは
いつかまた再会する可能性があるので、
その時に思わず言ってしまわないか
ドキドキしています。
ちなみに 声…声も卓造そのままなのです
その娘。
本日 最終回だそうで 思い出しました。
◆◆◆
「入院します ~経過 ご報告します」
とお伝えした手前ではありますが
どうにもこうにも
にっちもさっちもで
どう報告したらよいのか困ります。
入院期間は9日間で、3種類の抗がん剤を
このセットで決められた順番で
ほかの副作用止めの薬剤と併用しながら
点滴で毎日投与しました。
朝9時~夕方7時30分の10時間。
最初の3日間は、わりとダメージもなかったのですが
4日目くらいから 薬も溜まってくるのでしょう…
倦怠感 悪寒 発熱
が出始め 顕著だったのは足の関節、筋肉、神経が痺れて
激痛が走り、夜まったく寝られない日が何日か続いたこと、
(これは、退院した今では、痛みから痺れに変わり
後遺症となったようです)
また後半は、胸やわき腹の筋肉が
痙攣(こむら返り)を起して、
一時的に呼吸が出来なくなってしまったり
(これは退院してもなんどか起こりました)と
今までにない副作用がひどくて
このあたりは主治医に伝えても
いまひとつピンときていないようで、
痛み止めを処方してもらう以外に
手立てはなく辛かったです。
それでもなんでも薬は入れ終わり
その時点で白血球は落ちていないため
予定通りいったん退院
※普通の患者さんはそのまま経過観察で入院
なのですが、僕の場合はいつものことで
1週間後の外来を予約して自宅に戻りました
ちなみにこの時点でのAFP:88000
入院時よりわずかに下がっている値です
退院しても もちろん
倦怠感 悪寒 は続いているのですが、
2日目くらいから熱が出始めます
毎日1度は39℃近くまで
喉から脳天にかけて熱い熱の棒がささっている感じ
全身の節々がギリギリ痛む
まあそんな感じです。
朝、起きて熱が下がらないようなら病院へと
思うと 朝には平熱近くに戻っているので
また 氷枕と冷えピタシートで寝ていますと
夕方くらいからまた熱は上がり始め…
この繰り返しを5日間くらいローテーションしました。
ほかに 過ぎてしまえば些細な症状があれやこれや
人の身体というものは 細かくいじれば
まあ痛むところがさまざま出てくるものだと、
ほんとうに改めて感心します。
1週間後の朝… 目覚めると
「あっ … 抜けた」
という感じ。
投薬後のおきまりの倦怠感と
発熱からくるだるさがなくなっていました。
当日は検査の日
癌センターの採血室はパニックでした。
院内のシステムがトラブル起こしているようで
採血室に患者データが届いてこないらしく
100人以上の じじばばで 溢れかえっております。
これは先にレントゲンだと 採血の受付だけ済ませて
3階のレントゲン室に戻ってみても
採血室のパニックは続いています。
「このまま待っていてコンピューターは直るのか
直らないのか そこを教えなさい!!」
「ひまじゃあ ないんだ ぞ 」
「…しょうがないじゃん そんなこといっても
こんぴゅーた がきてないんだから
ほんとにあなたは せっかちなんだから
だから こんぴゅーたがきてないの !!」
「直る努力はしている? そうはみえないんだが」
「あなた どこいくの? せんせいのとこ?
せんせいのとこもう1回行っても
しかたないじゃない
ねえ あなた!!」
「だから いそがしいのに 病院きているんだよ
ひまじゃないんだよ」
「データが こないなら
外来で手書きでカルテ書いて
メモでもいいから
こっちに届けさせれば
いいんじゃないんですか?」
↑ 左右からこんな会話が大声で
採血のスタッフを捕まえては
はい左のご夫婦 右のおじいさん 向かいのおっさん
ってな感じで …
思えば 誰かが言い始めると
もう 俺もワタシも じいさんもばあさんも
一丸となっての攻撃です。
冷静なスタッフの対応の内容からわかったのは
昨日までに、本日の採血の予約をしている
患者のデーターは
採血室に届いているため問題はないということ
つまり この 待たされて文句を言っている
じじばば軍団は 今朝の外来を終えて
採血の指示が出てその足で ここに来ていて
システムトラブルのせいで採血が遅れ
後から来た患者さん
(昨日までに採血の予約を入れている)
に順番を飛ばされまくり
相当に頭にきている状態だということです。
その人数およそ60人…
そして僕のまわりは
その殺気立ったじじばばだらけであり、
僕は普通に予約が成立しているので、
おそらく ほどなくして呼ばれるわけで
…そうなると あっ!? 呼ばれた
血を抜かれている最中も
後ろから刺すような視線
裏切り者を許さないというその視線を
じじばばの怨念を
これほど感じたことはなく
ほうほうの体で
さっさと逃げ出したのでした。
いったん自宅に帰り 念のため体温を計るも
ほぼ平熱
やはり 先生のみたてより
骨髄抑制の山場は早かったようです。
午後4時も近くなると
病院は朝の喧騒とは一変しています。
採血室を覗いてみると
もうほとんど人はいません、
あのじじばばさんたちも無事に採血を終え、
お帰りになられたようでなによりです。
「うーん どう判断してよいのか 迷いますね」
AFP: 153,690ng/ml
0901時点で 96,000
0922退院時で 88,000
抗がん剤を投与後 今までであれば効果が出始めてくる
よし どこまで下がってきたのか
期待するそのタイミングでこの数値というのは
…ちょっと呆然としてしまうというか
とまあ これが 冒頭の
どうにもこうにも報告し難い
ということなのです。
3月時点で43000
それが半年で倍強になっている…
まあそれが順当だとして
ここにきて1週間で9万が15万に!?
本当だとすると
おいおいちょっと癌細胞君
調子に乗りすぎていないか?
と言いたい。
入院する心構えに
苦行に挑むつもりとはいったけれでも、
もう苦行は乗り越えたので
その先にはせめて
1杯の美味しい水を施そうという
そういう慈悲の心はないのかね君はと。
「うーん どう判断して…」は主治医の言葉です。
大きな細胞が壊れてその数値が一時的に出たのか?
投薬直後に一時的に大きく数値が上がることがあるが
そのタイミングではない気がするし?
投薬そのものが逆に作用した…
ないわけではないが考えにくい?
ここまで数値があがると、
その上がり方の法則性はなくなり、
大きな上昇の流れの1点の自然の推移か?
とまあ ぜんぜんまったくさっぱりわからない。
レントゲンでは、肺の腫瘍の大きさは
うーん 変わってないか
少し小さくなっているか?
いずれにしろ この数値の大きさほどの変化はない。
… もやもや いらいら
とするばかりでしたかないので
また来週 検査にくることになりました。
ということで また次回も
おなじような話となります
ご容赦くださいませ。
多くは望みません 平穏な採血室を。
あのじじばばの多くは
「渡る世間を…」を楽しみに観ていたのだろうなあ~
などと思ってみたりする。
…だそうであります。
放送開始が1990年。以来、10シリーズまで、
1シリーズだいたい50話のペースで作られ
最終回が500話目?
…なんだかそんな感じのようです。
…あれ?
1シリーズ50話って、50週ってことだから…
ええ!?
1シリーズ始まると…
1年中やっているってことになるのですが
…そうなんでしたか?
20年で10シリーズということは、2年に1度
1年間ずっとやっているドラマ
ってことですか?
そんなに長いこと頻繁に放送されていたのですか?
みなさんは常識でしたか?
僕は、「1回も観たことがないのです」
もちろんチャンネルを替えたその一瞬に…
チラリと食堂らしきセットで
泉ピン子さんとえなり君が会話している
映像は何度か観た記憶はありますし、
そこが食堂ではなく「幸楽」という
中華料理屋さんだということも、
いつかどこか、なにかの拍子に
記憶には入っているのですが
…とにかく物語の筋も人物の関係も
なにもかも、まったく知りません。
別に、ああいうドラマの設定が嫌いとか
役者さんが苦手だとか
…そういうことでもないのです。
橋田さんや石井さんにも偏見はございません。
…がしかし、それでも
それだけ頻繁に放送されていたのに、
1度たりとも観たことがなかったというのが、
なんというか驚いています。
「“…卓造じゃあ~ねえよ!”
って、キレる
…誰でしたか あの~お笑いの…?」
「うーん…なんだっけ?………
なんとか あい?」
「はるな…あい? じゃなくて …?あれ?
なんだっけ?
あのガリガリの相方のコンビは…うーん?」
「うーん 顔は出る 顔は出るんだけど
名前は思い出せない…それがどうしたの?」
「あのお笑いの娘にそっくりじゃありませんか
…あの娘?」
「えっ? どの娘?」
…と見るとその娘さんは
その “なんとかあい”に 似ているというよりは、
なんと角野卓造に瓜二つなのでした。
「…いや むしろ なんとかあい は
どうでもよくて あの娘はもう卓造だと思われます」
「…ああ!!そうかぁ
僕はその卓造って役者さんの顔が逆に分からなくて…
テレビで “じゃあ~ねえよ!”ってどや顔する
あのお笑いの人しか知らなくて
…で、あの娘さんみたら似ているなって…
ねえもんやさん あの娘に
TBSのドラマに出ていませんでしたか?
って聞いてみてもいいですか?」
「いいわけ ないでしょ ダメです」
つまり その、なんの罪もない娘さんをAとすると
角野卓造 ≧ なんとかあい ≧ A
ではなくて
角野卓造 ≧ A
という事実を僕は目撃したことで
証明してしまったのです。
実際に なんとかあい に似ている
ってままであれば まだ幸せだったかもしれないのに…
僕と会話した友人とその娘さんは
いつかまた再会する可能性があるので、
その時に思わず言ってしまわないか
ドキドキしています。
ちなみに 声…声も卓造そのままなのです
その娘。
本日 最終回だそうで 思い出しました。
◆◆◆
「入院します ~経過 ご報告します」
とお伝えした手前ではありますが
どうにもこうにも
にっちもさっちもで
どう報告したらよいのか困ります。
入院期間は9日間で、3種類の抗がん剤を
このセットで決められた順番で
ほかの副作用止めの薬剤と併用しながら
点滴で毎日投与しました。
朝9時~夕方7時30分の10時間。
最初の3日間は、わりとダメージもなかったのですが
4日目くらいから 薬も溜まってくるのでしょう…
倦怠感 悪寒 発熱
が出始め 顕著だったのは足の関節、筋肉、神経が痺れて
激痛が走り、夜まったく寝られない日が何日か続いたこと、
(これは、退院した今では、痛みから痺れに変わり
後遺症となったようです)
また後半は、胸やわき腹の筋肉が
痙攣(こむら返り)を起して、
一時的に呼吸が出来なくなってしまったり
(これは退院してもなんどか起こりました)と
今までにない副作用がひどくて
このあたりは主治医に伝えても
いまひとつピンときていないようで、
痛み止めを処方してもらう以外に
手立てはなく辛かったです。
それでもなんでも薬は入れ終わり
その時点で白血球は落ちていないため
予定通りいったん退院
※普通の患者さんはそのまま経過観察で入院
なのですが、僕の場合はいつものことで
1週間後の外来を予約して自宅に戻りました
ちなみにこの時点でのAFP:88000
入院時よりわずかに下がっている値です
退院しても もちろん
倦怠感 悪寒 は続いているのですが、
2日目くらいから熱が出始めます
毎日1度は39℃近くまで
喉から脳天にかけて熱い熱の棒がささっている感じ
全身の節々がギリギリ痛む
まあそんな感じです。
朝、起きて熱が下がらないようなら病院へと
思うと 朝には平熱近くに戻っているので
また 氷枕と冷えピタシートで寝ていますと
夕方くらいからまた熱は上がり始め…
この繰り返しを5日間くらいローテーションしました。
ほかに 過ぎてしまえば些細な症状があれやこれや
人の身体というものは 細かくいじれば
まあ痛むところがさまざま出てくるものだと、
ほんとうに改めて感心します。
1週間後の朝… 目覚めると
「あっ … 抜けた」
という感じ。
投薬後のおきまりの倦怠感と
発熱からくるだるさがなくなっていました。
当日は検査の日
癌センターの採血室はパニックでした。
院内のシステムがトラブル起こしているようで
採血室に患者データが届いてこないらしく
100人以上の じじばばで 溢れかえっております。
これは先にレントゲンだと 採血の受付だけ済ませて
3階のレントゲン室に戻ってみても
採血室のパニックは続いています。
「このまま待っていてコンピューターは直るのか
直らないのか そこを教えなさい!!」
「ひまじゃあ ないんだ ぞ 」
「…しょうがないじゃん そんなこといっても
こんぴゅーた がきてないんだから
ほんとにあなたは せっかちなんだから
だから こんぴゅーたがきてないの !!」
「直る努力はしている? そうはみえないんだが」
「あなた どこいくの? せんせいのとこ?
せんせいのとこもう1回行っても
しかたないじゃない
ねえ あなた!!」
「だから いそがしいのに 病院きているんだよ
ひまじゃないんだよ」
「データが こないなら
外来で手書きでカルテ書いて
メモでもいいから
こっちに届けさせれば
いいんじゃないんですか?」
↑ 左右からこんな会話が大声で
採血のスタッフを捕まえては
はい左のご夫婦 右のおじいさん 向かいのおっさん
ってな感じで …
思えば 誰かが言い始めると
もう 俺もワタシも じいさんもばあさんも
一丸となっての攻撃です。
冷静なスタッフの対応の内容からわかったのは
昨日までに、本日の採血の予約をしている
患者のデーターは
採血室に届いているため問題はないということ
つまり この 待たされて文句を言っている
じじばば軍団は 今朝の外来を終えて
採血の指示が出てその足で ここに来ていて
システムトラブルのせいで採血が遅れ
後から来た患者さん
(昨日までに採血の予約を入れている)
に順番を飛ばされまくり
相当に頭にきている状態だということです。
その人数およそ60人…
そして僕のまわりは
その殺気立ったじじばばだらけであり、
僕は普通に予約が成立しているので、
おそらく ほどなくして呼ばれるわけで
…そうなると あっ!? 呼ばれた
血を抜かれている最中も
後ろから刺すような視線
裏切り者を許さないというその視線を
じじばばの怨念を
これほど感じたことはなく
ほうほうの体で
さっさと逃げ出したのでした。
いったん自宅に帰り 念のため体温を計るも
ほぼ平熱
やはり 先生のみたてより
骨髄抑制の山場は早かったようです。
午後4時も近くなると
病院は朝の喧騒とは一変しています。
採血室を覗いてみると
もうほとんど人はいません、
あのじじばばさんたちも無事に採血を終え、
お帰りになられたようでなによりです。
「うーん どう判断してよいのか 迷いますね」
AFP: 153,690ng/ml
0901時点で 96,000
0922退院時で 88,000
抗がん剤を投与後 今までであれば効果が出始めてくる
よし どこまで下がってきたのか
期待するそのタイミングでこの数値というのは
…ちょっと呆然としてしまうというか
とまあ これが 冒頭の
どうにもこうにも報告し難い
ということなのです。
3月時点で43000
それが半年で倍強になっている…
まあそれが順当だとして
ここにきて1週間で9万が15万に!?
本当だとすると
おいおいちょっと癌細胞君
調子に乗りすぎていないか?
と言いたい。
入院する心構えに
苦行に挑むつもりとはいったけれでも、
もう苦行は乗り越えたので
その先にはせめて
1杯の美味しい水を施そうという
そういう慈悲の心はないのかね君はと。
「うーん どう判断して…」は主治医の言葉です。
大きな細胞が壊れてその数値が一時的に出たのか?
投薬直後に一時的に大きく数値が上がることがあるが
そのタイミングではない気がするし?
投薬そのものが逆に作用した…
ないわけではないが考えにくい?
ここまで数値があがると、
その上がり方の法則性はなくなり、
大きな上昇の流れの1点の自然の推移か?
とまあ ぜんぜんまったくさっぱりわからない。
レントゲンでは、肺の腫瘍の大きさは
うーん 変わってないか
少し小さくなっているか?
いずれにしろ この数値の大きさほどの変化はない。
… もやもや いらいら
とするばかりでしたかないので
また来週 検査にくることになりました。
ということで また次回も
おなじような話となります
ご容赦くださいませ。
多くは望みません 平穏な採血室を。
あのじじばばの多くは
「渡る世間を…」を楽しみに観ていたのだろうなあ~
などと思ってみたりする。
サイト検索
アーカイブ
- 2013年1月(1)
- 2012年12月(2)
- 2012年5月(1)
- 2012年4月(1)
- 2012年2月(1)
- 2012年1月(1)
- 2011年12月(1)
- 2011年11月(2)
- 2011年10月(2)
- 2011年9月(2)
- 2011年8月(1)
- 2011年7月(2)
- 2011年6月(2)
- 2011年5月(2)
- 2011年4月(1)
- 2011年3月(2)
- 2011年2月(1)
- 2011年1月(2)
- 2010年12月(1)
- 2010年11月(2)
- 2010年10月(3)
- 2010年9月(2)
- 2010年8月(2)
- 2010年7月(1)
- 2010年6月(3)
- 2010年5月(2)
- 2010年4月(2)
- 2010年3月(3)
- 2010年2月(2)
- 2010年1月(3)
- 2009年12月(3)
- 2009年11月(3)
- 2009年10月(3)
- 2009年9月(3)
- 2009年8月(3)
- 2009年7月(2)
- 2009年6月(5)
- 2009年5月(3)
- 2009年4月(4)
- 2009年3月(4)
- 2009年2月(4)
- 2009年1月(4)
- 2008年12月(4)
- 2008年11月(4)
- 2008年10月(4)
- 2008年9月(4)
- 2008年8月(6)
- 2008年7月(5)
- 2008年6月(1)
紹介メール
MON:U アマゾンストア
(紋谷さんお薦めの逸品を手にしてみませんか)
コメント