紋谷のソコヂカラ
命名 人間モドキ [戯れ言]
投稿日時:2010/09/28(火) 08:33
体が鈍るのは、どうにも気持ちが悪いので、夏は、近所の住宅街の真ん中にある、区民プールに通っていた。
25mの屋外プール、華やかさはなにもない、入り口のおんぼろな発券機で、入場券を買い、そのまま更衣室に、シャワー室の向こう側の出口が、もうプールサイド…というまことに僕好みの、単なるプール…1時間100円也。
こういう気楽さが好きで、通っていたのだが、行く時間を間違えるとトンデモナイことになる。
25mプールが、少年少女で溢れかえる。
ある日曜日の午後、実際に数えてみたら25mプールに145人“浸かって”いた。
…ちゃんと数えたから間違いはない。
そのうち120人くらいは少年少女(こちらはなんとなく)
…平均年齢6~7歳 という感じ。
これはたまらんと監視員(常時3名がプールサイドにいるウォーターボーイズの妻夫木クン風、おそらく学生)に、
「いつもこんな感じになるの?」 と聞くと、
「…いえいえ 毎日 だいたい14時以降です子供たちの学校が終わったら…こんな感じです」
というので、早朝に来てみるとガラガラあの騒がしさから一変していた。
♪快適快適
…ある日はプールに中に僕ひとり…なんて日もあり、そうなると3人の妻夫木クンは僕のためだけに炎天下仕事をしているわけで、優雅に水の上を漂っているだけだと、なんだか申し訳なくも思うので、バタフライなど披露してみたりして、ヘロヘロになったりして…なんだかなあである。
こういう時は「だれでもよいから、だれか来て」と勝手な気分になる。
そう思っていたら、珍しく(ほんとうに高校生以上は子供の父兄以外はこないプールだったので)若いアンちゃんが4人で入ってきた。
しかし、“なにか” を期待して夏のプールにやって来た彼らに、このプールはお気に召さなかったようで…始終、盛り上がりにかけていた。
帰ろうと更衣室で着替えていると、シャワーを浴びている彼らの話声が聞こえてきた、ひとりが大声で、
「… シャワー浴びたらさ~ルービーぶちかましにいこうぜ!」
…?…なにを言っているのか最初はわからなかった??…わざとこういう言葉を使っているのか?
しかし、かれらは
「いくべいくべ」「おおっ」
なんて普通に会話をしている。たぶん、わざとではなく、普段の会話、そのままのようだ。
銀座で紋屋をしている時分、バイトは学生クンにお願いしていた。
「もんやさん、カウンターのお客さんイモ焼酎を牛乳で…半分半分で割ってほしいそうなんです…いわゆるハーフ&ハーフ“的な”…」
「マジ?…牛乳ないから 買ってきて」
「わかりました …でも おつまみ、お刺身ですよオレ的には…ありか なしかって言われたら…なしなんじゃね(語尾あげる)的な…」
「…あるか なしかで言われたら僕も なしなんじゃね(語尾あげる)…だけど、それでもお客様は神様…的な…」
こういう、言い回しが、店を閉めたいまでも、たまに口をついて出てきてしまうのは、困る。
言葉というのは、安きに流れやすいと思う。別に、日本語の乱れをどうこうとは思わないが、言葉ひとつでその人間の価値が決まる時もあるとは思うので、なるべく気をつけたいと思う。
先日、そのバイト君からメールをもらった、すでに社会人3年生で、立派な営業マン。
「…最近、ワーキングプワーなんで…」とメールの文中にあった。
彼は、立派な企業のれっきとした正社員のはず、この言い回しは、おかしい。
もちろん、何気なく形容したのだろうが…彼が「人材採用関連の会社」で働いていることも合わせると、ありかななしで、なし。
よほど返信で一言と思ったが、悪気もなし、メールでの指摘は、角がたつので、今度、面と向かい伝えようと思う。
朝のラッシュの銀座線…新橋駅のホーム
僕がもっとも苦手な場所であります。…日本人の体型では合わない人もいるのに、計ったようにピッチリとしたスーツ、パンツの裾は短く(わが母の世代用語では“つんつるてん”)
…関西人でもないのに(関西人はよいのです)茶の靴…この場合、スーツに縦じまのストライプのパターンが多い(関西人でもないのに)
ノーネクタイで、シャツの襟は高く、ひとつボタン外し、髪の毛は立たせて、視力が高くても伊達メガネ…
そして、みなさんうつむいて携帯で無料ゲーム、座っている場合は、パソコン開いて、なにやら眺めている。
僕は彼らのことを“モドキ” と呼んでいる。
…そう。…マグマ大使に出てくる悪の帝王の手先の集団“人間モドキ”のモドキであります。
※ご存じない方に:ゴアの命令で、ルゴース星人が作り出した植物生命体。黒ストッキングを被ったような容姿をしていて、人間態で暗躍する。人間モドキがガムの熱線にやられてドロドロに溶ける特撮シーンには、寒天が使われた。:Wiki引用)
このモドキがもっとも多く出没する…それが「銀座線新橋駅の“狭い”ホーム」なのです。
ショッカーじゃあダメなのか?と疑問に思われるでしょうが、ショッカーはああみえて、強いのです。
「イー イー」言っているだけのように見えますが、なかなかどうして根性があるのです。一般的な人間より強い→れっきとした戦闘員。モドキの様に、人間社会に紛れこむなんて卑怯な真似はしません。
いや、銀座線のサラリーマンの若者も、がんばって仕事してるんじゃないの…確かに。
…でも、あのモノマネファッションに浸かっている以上、たかが知れているのです。だから 先輩諸君、会社の部下が、モドキに見えたら、喝!です。
「人間見た目だぞ」とか、
「そのままじゃ溶けてなくなっちゃうぞ」とか
なんでもいいので、脅しながら…正しい道に導いてあげてください。
なんでこんな話を…というと、先日モルドバの女性と話す機会があり、モルドバに関しては、旧ソ連で20年くらい前に独立していて、いろんな面でルーマニアに似ているということくらいしか知識がなく、でも彼女、お父さんが京大の教授で、産まれたのも京都で…
必然、京都弁(ほかに4ヶ国語は喋れるらしいが)で、大学で地学を学び、オーストラリアでマスターまで修め、いまはデンマークで「移民政策」に関わっているという女性で、
「うーん どこの国の話をしていいのか困るなぁ…」と悩んでしまう。そんな流れの中で
「日本人…最近、なんだかみんな同じに見える」と言われたからであります。
それは、その顔で、京都弁で、そういう話をされると、なんだか妙に説得力というか、これは、問題視しなきゃならないと思ってしまい。
「おなじに見えるよねえ…、君は知らないだろうが…マグマ大使…モドキで…銀座線が…」と喋ってしまったのでした。
こういうことは、重なるもので、これまた先日、香港の若きご夫婦の面倒をみる機会があり、半日、ご一緒して仲良くなった。
この夫婦も、日本は綺麗で楽しいけど、人間的には個性がない…と指摘を受けた。
相手が、モルドバ産まれなら仕方ない気もするが、同じアジアの同胞に、ただ、やられているわけにもいかないので、ちょっとまて、最近のオタクラは、いかがなもんか?と切り返してしまった。
たとえば、「領海侵犯の確信犯なら取り調べは当たり前じゃない?…プロバガンダだとは思っていても、実害が出始めると、なんだかなあ…と思うよ」
すると、「反日 抗日感情 なんてワタシタチにはないわよ。香港と中国は似ていても違うし、あんなの政府と一部の人とひと世代前の人の感情よ」と言う。
ご夫婦で日本に遊びに来る、ブルジョア層…のごく当たり前の意見。
「人口は大勢いても、みんなバラバラ、国が成長途上だから、そのひずみの分だけ、考えも生き方も違うの。日本人は、いちように豊かだから、みんな似てきているんじゃない」
「たぶん11億人くらいの中国人は、日本なんかのことより、自分のことが優先であることは分かるんだけど、見聞きする範囲では、国を挙げての国民感情の象徴のように見えてしまうよ。」と言うと、
「いいじゃん、あなたは私たちと今、一緒にいるのであって、いま、ここが楽しければ、その範囲で中国人といると楽しい…ってことで」
確かにそうではある。
こういうことをさらっと言えるのが、個性で、こういう会話ができれば、モドキから卒業出来るような気がする。
こういう話の結論は、嫌いではないのですが、それでも根本に 「ひとそれぞれ」があるとなると、黙って頷けない。
あるかなしかといえば、「なし」なのです。“ボク的”には…。
「ヒトソレゾレ」…結局最後は、こういう言い方で締めくくるのは、「逃げ」だと思う。
言うしかない場面は、日常どこにでもあるし、やっぱり「人それぞれだから」と言ってしまうのですが、問題はプロセス。
どこまで考えて「それぞれ」なのか…ということにあると思う。
イモ焼酎を牛乳とハーフ&ハーフ…飲み方としては「あり」だと思うけど、お刺身には合わない…
と考えて、でも人それぞれでお出ししましょ。
ルービーをぶちかます…仲間内ではありですが、こいつはどうみえても「なし」でしょ。
銀座線の新橋駅のホームの「モドキ軍団」…その格好もひとそれぞれ、
…違う違う それぞれじゃない…おんなじ…。
ハーバードのマイケル・サンデルは“中立原則”と闘っている。
講義の内容を読み、NHKでの放送も観た。怒られるかもしれないが、昔流行った「究極の選択」に似ている会話ゲームのような気もするが、
「なんでもひとそれぞれ…と結論付ける前に、考えちゃどうだい」
という根本姿勢は、わが意を完全に得ている。
◇◇◇
「詩のボクシング」をはじめて生で観て(聴いて)きた。
大井町 品川区民会館小ホール。東京大会本大会(全国大会の東京予選の位置づけ)入場料無料 席はすべて自由。
この前に、第6回となる神奈川大会で、初出場の女子高校生が優勝同じ大会に参加していた友人が、「あれには勝てない」と絶賛していて、そちらは観に(聴きに)行けなかったので、リベンジを兼ねてその友人がチャレンジする「東京大会」を観に(聴きに)出かけた。
舞台の中央が張り出し、リングを模している。対戦は1:1形式。
双方がそれぞれ3分、自作の詩を音読する。
両者が音読し終えると、前方の11人の審査員が赤、青の旗どちらかの旗を上げ、勝敗が決する。
完全な「印象対決」より届く詩を朗読した(と思われる)方の勝ち。
出場者は16人赤青双方に分かれてトーナメント対戦勝ち残りで優勝者が決まる。
テーマは設定されていないのでいろんな詩が飛び出してくる。
なかにはこれは詩じゃなくて、紀行エッセイじゃない?とかこれは単なるひとりごとじゃない?とか、
どうみても50歳くらいの女性が沖縄戦争の状況と心理描写を語りはじめた時は、うーんこれはあなたの体験じゃないよね。などと、ひとり、いろいろチャチャを入れつつではあったが、出場者と観客の間で、真剣な空気が流れている会場に身を置いていて楽しかった。
審査員のジャッジを見ているとは、詩そのもののの出来、不出来はもちろんながら、声の質や大きさ 顔や体格、身振り手振りが醸し出す印象…など全体の合わせ技が重要なようで、どんなによい言葉を紡いだ詩であろうとも、音読でる以上「ライブ表現」が求められていた。
僕が好きだったのは「肉屋のおばさん」自家製のチャーシューの自慢話を朗々とうたった。
そういうものでも詩になることが新鮮で、一歩間違うと単なる、出店の口上でしかないのだが、商店街を形容した語り出しから、その声の良さに惹かれた。
残念ながら、初戦で敗退したが…あれは 僕が審査員なら勝ちにあげていた。
男性は想像的な文句が、女性は現実的な描写が…傾向として多いように思う。
あらためて、詩というものはなんじゃらほい。と感じたのでした。
全国大会は日経ホールで10月16日…「噂の女子高生の朗読」をぜひ聴きにゆきたいのですが、病院の検査結果の出るタイミングで、思わしくなければ、それどころではない。
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